さっそく参る![]()
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドロン!!!
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さて第三回は
真田幸村の信念について少し補足をしたいと思います![]()
前回も書いたように
幸村は自分の信念に基づいて豊臣側につく決心をしました
それはただ「豊臣への恩義」とだけでは説明出来ない背景があります
ちょうど去年のNHK大河ドラマだった「天地人」
その中で描かれた直江兼続
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彼は愛の前立てで有名で上杉家の家老として活躍した人物です
上杉家はもともと関東管領という朝廷の役職を務めてきた名家です
しかし時代と共に力も弱まってきて上杉家を他の有力大名に引き継いでもらう必要がありました
その時越後(現在の新潟県)で私利私欲ではなく義を旗印にしている
長尾景虎(後の上杉謙信)にその名を譲ったのです
上杉謙信の教えを守った直江兼続は
相手がどんな強い勢力であろうとも義を貫き通していました
有名な関ヶ原の戦いのきっかけも直江兼続が徳川家康に
「直江状」という挑戦状を送ったことだとも言われています
しかし最終的に
上杉家と直江兼続は生きて後世に自分達の義を伝える選択をしました
一方、直江兼続とも親交の深い真田幸村は死しても自分達の義を示す選択をしました
自分達の正当性を示すことでは同じでも手法は様々だということですね…
さて現代の私達は後世に何を伝えられるのか?
自分は物質的な物を後世に残す(財産を子供に残すetc)だけではなく
どんな小さなことでも精神的に人類を豊かにする知恵(エコ・教育法etc)を
残して生きていきたいと思います
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドロン!!!
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大阪の陣













「バンバン!」
「ですが殿、次の弾込めにもう少し時間を~」
「パカパカパカ」
「殿、敵の騎馬隊があと一刻ほどで到着の模様」
一刻後
や ゴルフの石川遼くん


(伊達男の由来とも言われています)