はじめに

 日本の歌謡曲は、個人の感情や生活の断片を抒情的に描き出すことを得意とする芸術形式である。特に演歌・歌謡曲においては、家庭や故郷、親への想いといったテーマが繰り返し扱われてきた。本記事では、五木ひろしによる「母の顔」という楽曲を取り上げ、その歌詞を分析することで、そこに込められた時代性、母性のイメージ、労働倫理、そして家族観について考察を行う。

 

 

 

第一章:テーマとしての「母」——記憶と感謝の重層構造

 本楽曲の中心的なテーマは、まさにタイトルが示す通り「母」である。しかし単なる母への感謝や賛歌ではなく、時代背景や家庭の中での役割、そして記憶の中での母の存在感が幾層にも重なって描かれている点が注目に値する。

 第一節では「目を閉じれば思い出す あの頃の/苦労を重ねた 母の顔」とあるように、記憶の中に残る母の姿が描かれる。ここでの母のイメージは、労働者であり、家庭を支える柱であり、しかもそれらを無言で、献身的にこなしていた存在として表現されている。

第二章:構成と時制——反復と回想の手法

 楽曲は三つの連から成り立っており、それぞれが時間の流れに沿って母の姿を描写している。第一連では母の苦労を、「夜明け前から 日暮れまで/家族の為に 働いた」と反復することで、その日常の継続性と偉大さを印象づけている。この反復は第三連でも繰り返され、詩としての構造に安定感を与えると同時に、母の労働と愛情が日々の中で一貫していたことを強調する。

 また、第二連では「ラジオから流れる歌」「冬の夜」「昭和の時代」といった具体的なモチーフが登場し、ノスタルジーの感情を強く喚起させる。ここで歌詞は一時的に家族全体の情景へと視野を広げつつ、再び母の姿へと収束する。この構成は、個の記憶と共同体の記憶が交錯する詩的手法として極めて効果的である。

第三章:表現技法と感情の流れ——抑制された叙情性

 本楽曲は、激しい感情表現よりも抑制された語り口を通じて深い情感を伝えている点が特徴である。「倖せだった」や「なつかしい」といった語彙は、平易でありながらも深い感慨を呼び起こす力を持つ。これらの語の選択は、過去を美化するのではなく、かつての厳しさの中にあった静かな幸福をすくい上げる役割を果たしている。

 また、「全てが手作りの 母の味」という表現は、母の手による生活の細部がいかに記憶に根差しているかを象徴しており、母という存在が家族に与えてきた具体的な「ぬくもり」を象徴している。

第四章:時代と母性——昭和の象徴としての母

 「昭和の時代」という語が持つ象徴性は非常に強い。戦後の混乱、復興、高度経済成長といった社会の変動の中で、日本の家庭は大きな変化を経験してきた。その中で「母」という存在は、変わらぬ支柱として家庭を支えてきた。

 本楽曲における「母」は、まさにこの昭和的価値観を体現している。「小さな身体で ひたすらに/子供の為に 汗をかき」といった描写には、母性とは献身であり、労働であり、そして自己犠牲であるという観念が凝縮されている。これは、現在の価値観と照らし合わせると再考すべき面も多いが、昭和という時代を語るうえでは避けて通れない描写である。

 

 

 

おわりに——「母の顔」が映し出すもの

 五木ひろしの「母の顔」は、単なる家族への賛歌ではなく、日本人の記憶に深く根ざした「昭和の母」というイメージを丹念に描き出した作品である。抑制された語り口の中に宿る深い愛情、記憶の中で蘇る母の働く姿、家庭の温もり。それらが丁寧に織り込まれた本作は、歌謡曲というジャンルの中においても、特に記憶と感謝という普遍的テーマを扱った名品である。

 現代において、家族の形や母の役割は多様化しているが、それでもなお私たちはふと「母の顔」を思い出す。それは過去の時代へのノスタルジーであると同時に、人間の根源的な「帰属欲求」や「愛情の記憶」に根差したものであろう。本楽曲は、そうした普遍的な情感を歌謡曲として昇華させた、稀有な作品である。