人類は進歩した。
だけど、進化はしていない。
今では海外旅行へ行くような気持ちで月へ行けるし、長期休暇と言えば火星か? なんて言われてたりする。
そんなに科学が進歩し続けていても、人間同士の争いはなくならない。
もうみんな争いなんて止めて、みんなで幸せになろうよって思うけど絶対にそうはならない。
平和な国が貧しい国を支援すればいいじゃんって思うけど、上手くいかない。
資金援助であれば、テロ組織や軍にお金が流れてしまう。
食糧支援も同じで上層部がいいとこ取りで、現地に届く物資は残り物だったりする。
どんなに良い目的で良い物を届けようが、扱う人間がしっかり活用してくれないと悪用されるんだ。
だから私は思うんだ。
人類は進歩はしても進化はしていない。
もし本当にサルから進化したのなら、その時のサルはどんな気持ちだったんだろう。
どうなりたくて進化したんだろう。
私には進化と幸せが繋がっているようには感じない。
争いはサルだった時以上に無慈悲で残酷だよ?
本当に人は進化するの?
その答えが火星にあるんだったら、私は火星にでもどこへでも出かけて見極めてやるわ。
ふぅ。
私が人類の進化について考えているのは他でもない。
ここのところ弟が反抗期なのか仲良くしてくれないんだよ。
ちょっとテーマを大きくしてみたら気が紛れるかなーと考え事していたら、いつの間にか進化について考えていた。
はぁ、何がいけなかったんだろう。
可愛い弟と仲良く出来ないのはつらいなぁ。
そんなことを考えながら、VRWで授業を受けていた。
授業が終わり昼休みになると、私はVRW用のスーツを脱ぎベッドから起きる。
今では自宅学習が当たり前だ。
高校生になっても登校日はあまり多くない。
友達と遊ぶのもVRWの仮想空間内がほとんどで、ショッピングや散策くらいしか出かけることがない。他の子は結構外にも出歩くようだから私が少し変わっているのかもしれないけど、外は物騒で怖いしね。家が一番だわ。
体調は凄くいい。
授業中は体が硬くならないようにマッサージ機能と筋肉が低下しないように負荷がかかるようになっている。おかげで筋力も維持できるし体も動かしやすいので科学様様だ。
だけどそれはお金を持っている人の特権であって、みんなが持っているわけではない。
どこまでいっても格差社会が存在する。
最近の私のテーマは貧困と心の貧しさだから、少しナイーブになっているの。
それも弟が構ってくれないから。
お昼を食べにリビングへ向かう途中にお母さんの部屋を覗いてみたけどまだ仕事中みたい。
弟の部屋は鍵がかかっている。
仕方ないので一人で食べようかな。
今日のお昼はカレーなの。
実は昨日の夜もカレー。
便利なレトルト食が普及しているおかげで、料理をする過程は年々減少傾向にある。
そんな中でも、うちのお母さんは手作り料理に拘るの。
ご飯は炊けているので、今日もカレーを美味しく頂く。
「ごめんね。遅くなっちゃった」
「ん。食器は出してるよ。カレーは少しあっためて方がいいかも」
「少し冷めてた方が食べやすくていいわね」
「そういえば、お父さんは今日会社に行ってるんでしょ。珍しいね」
今では仕事のほとんどは自宅で出来る仕組みが出来上がっている。いいことも多いのだけど、コミュ障の人が増えていることも否めない。
だけど大事なことは面と向かって話さないと伝わらないことも多いので、週に1回は必ず出勤しているが今週は3日連続出勤している。
「あ、そのことなんだけど……。んー、やっぱりあの人が帰ってきてからにしましょうか。一応一大プロジェクトだからね」
「ええー、もったいぶらないで教えてよ。別に私には関係ないことでしょ。いいじゃん」
「それより、あんた達仲直りしたの?」
「仲直りも何も、なんで避けられてるかわかんないもん」
弟の反抗期だと思いたい。
向かいでカレーを食べている母にそう文句を言うと、ニカッと効果音が付きそうな笑顔を向けてくる。
「火華はさぁ。気分転換に火星に住んでみない?」
「……は?」
この時私は何かの冗談にしか受け止めていなかった。
火星。
人類は次なる安住の地を求めて火星をテラフォーミングする計画はもう100年以上前から検討され続けているが、大気の問題がクリア出来なくて移住には至っていなかった。
だが、移住計画だけは進んでおり今では500人が収容できる設備が備わっている。
外気に触れることは出来ないので、火星に設置されたスペースコロニーのような感じだ。
移動に関しては2週間で航行できるレベルにまでなっており、お金持ちが箔付けのために旅行したりなんかもしている。
その火星に私は今向かっているのだ。
「うっわぁー! 宇宙って真っ暗なんだね。地球を見下ろした時は綺麗だなーって思ったけど、後はプラネタリウムの中にいるみたいに暗いし変な感じ」
はしゃいでいるのはついさっき友達になった未央ちゃん。
ショートボブで健康そうな小柄の可愛らしい女の子。私たちは今回のプロジェクトに参加した女子高生組。
搭乗した時からから二人一組のペアで行動することになっている。
下は小学6年生から、上は60歳までで各年代に4人づつくらいの割合で今プロジェクトに参加している。
別枠で30組くらいの夫婦枠が設けられているので、参加者数は250人くらいになる。
実施期間は1年間。
その間に人体にどのような変化が起きるかを検証するため今プロジェクトは行われている。ぶっちゃけると重力が地球の三分の一しかない大型施設の中に閉じ込められる感じ。いいことなんて何もない。
体に問題が発生した場合は国が保障してくれるし安全には配慮されている。
それでも火星に行きたいと思っている人が250人もいることには驚きだ。
未央ちゃんはどうして火星に行こうと思ったんだろう。
「未央ちゃんはさ。どうして火星に行こうと思ったの?」
「ん?」
フワフワ浮かびそうになる体をベルトで固定した未央ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「火華ちゃんは火星に興味があったんじゃないの?」
質問を質問で返されるが、私の答えは決まっている。
「私はね。火星でなくてもよかったの。ただ、人類はこれから先に進化できるのか見たかったの。宇宙に行けばニュータイプになれるって言うじゃん」
「あははっ。それってアニメでの話でしょ。それだけで人が変わるのなら月で活動している人達がニュータイプ? になってなきゃおかしいじゃない。生まれも育ちも宇宙なら話は別かもしれないけどね」
むむむ。ぽやぽやしている感じのくせに鋭い突っ込みをしてくるじゃないか。
「……そうね。でもさぁ。不思議に思わない? わざわざ火星に行く必要ってあるの? もっと地球を住みよい星にする努力をすればいいじゃん。なんで火星なのよ。人の考える最先端に立てば少しは先の景色が見えるんじゃないかと思うのよね。だから志願したの。人類の目指す先を私が見てやるのよ」
ちょっとドヤ顔で笑いかけるが、あまり興味がなさそうに目をパチパチさせている。
「ふーん。火華ちゃんってさ、結構面倒なこと考えてるんだね。あたしはさ、人の経験できないことがしてみたかっただけ。それって凄いことじゃない? だからすっごい楽しみなんだ。良くも悪くもすごい体験だよ」
そうこうしているうちに2週間の航行を終えた。
私が踏みしめるのはコンクリートの上だ。
火星の大地は踏めない。
そもそも外には空気がない。
無重力状態からいきなり重力がかかるので足元が覚束ないが、思ったよりは心構えが出来ていたのでしっかりと地面を踏みしめていた。
これから1年間未央ちゃんと一緒に生活することになる。
この2週間を一緒にいたけど、嫌じゃなかったしいい子だと思う。
パートナーってほんと大事だなと思う。
一人で心細い時も、二人だとちょっと心が軽くなるし何気ない話でもちょっと楽しい。
価値観は全然違うけど、小さなことは共感できるし未央ちゃんとなら何とかなりそうな気がする。
部屋割も決まり荷物を運ぶが思いの外軽くて吃驚した。
流石は重力三分の一だよ。
もうカバンとか投げちゃいたかったもん。
それくらい軽いのよ。
もちろん飛び跳ねるのも楽しい。
日々の運動量は一定以上の義務が課せられているから、少しは頑張らないとね。
勉強なんかは各自自由にするみたいだし、試験なんかもない。
だけど毎日の体調チェックと一週間に一度の身体検査は義務だからね。
「見て見て! すっごいよー! 宇宙にいた時もフワフワしてて楽しかったけど、地面に足が付くのにこんなに体が軽いんだよ? なんかダイエットに成功したみたい。こんなに高くジャンプしても降りた時、足がいたくないんだよ。すごいよねー」
相変わらず未央ちゃんは可愛い。
「分かってはいたけど、外に出られないのは少し寂しいね。折角火星に来たのに施設の中だけだもの。それに外は寒いんだってね」
「それは言えるー。でも寒いのは苦手だから仕方がないかな。思い出はしっかり残さないとね。いっぱい写真撮るよー」
未央ちゃんは楽しむ気いっぱいだ。私も見習わないとね。
あれから1ヶ月が過ぎた。
少し体調を崩す人も現れたけど、大きな問題は起こっていない。
それどころか、未だにはしゃぎまわっている人もいる。
主には小中校生なんだけど、若干名高校生も混じっていた。
「なんか外を歩くのが楽しいね。体が軽いと心まで軽いよー」
ピョンピョン跳ねるのは未央ちゃん。
なんだか飛んでいかないか心配になる。
私はと言うと、可愛い妹が出来たようでちょっと楽しい。
妹っていうのもありかもしれない。
この際、弟の代わりに可愛がりたい衝動に駆られるが今は抑えている。
最近仲良くなった若いご夫婦から、火星に来た理由を尋ねられたから「人類の進化のために来ました」と言うと、まぁと何故か喜ばれた。
聞くところによると、このご夫婦は火星でも子供が出来るのかを検証するために参加したようだ。
そのため日夜励んでいると聞いた時は微妙な気分になった。
私は進化であって、子孫繁栄がテーマではないんだけど、何故か同類にされている。
今思えばそれがいけなかったのかもしれない。
その話を聞いた日から未央ちゃんスキンシップが始まった。
思いの外寂しがり屋で、寝る時に手を繋いで欲しいと言われた時は驚いたけど、私も心細かったし渡りに舟な感じで手を繋いだんだけど、あまりにも可愛かったものだから寝ている時におでこにキスしたのよね。お母さんが小さい頃してくれたみたいに。弟にしてたみたいに。
「火華ちゃん。今日も手を繋いでもらっていい?」
照れながら可愛く言ってくるので頷くと、目元まで布団で隠してじっと目を見つめてくる。
「……おでこにチューもして欲しい」
なっ! バレていただと……。
というか、寝る前だけ未央ちゃんって甘えん坊になるんだよね。
やっぱり寂しいんだろうと思う。
「えーと、なんのことかな」
しらばっくれると、未央ちゃんがすり寄ってきておでこを突き出してくる。
「チューして欲しいの」
少し逡巡するが、嫌じゃないし軽くキスすると「にゃにゃにゃ」と言いながら布団にもぐる様子が可愛くて私の寂しい心も紛れていく。
気が付けば同じ布団で寝るようになり、未央ちゃんが寝るまで頭を撫でることもしばしばだ。
この頃思うことは、幸せって何だろうってことだ。
私は未央ちゃんを可愛がることに幸せを覚えている。
それは恋とかそんなんじゃなくて、人間の根源的に持っている欲求なんじゃないかと思う。
誰かを可愛がり慈しむことがこんなに幸せに感じることだとは思わなかった。
私が小さい頃に、お母さんがおでこにチューしてくるのは、くすぐったくもあり嬉しかったんだけどそれだけだ。
自分がする立場になった時初めて気が付いた。
まさかされる立場よりする立場の方が幸せだと思うだなんて……。
大袈裟な話、人類が進化するためには人を愛して慈しむことなんじゃないかって思う。
いや、進化って言うのは違うかもしれない。
どちらかと言うと原点回帰なんじゃないかと思う。
とにかくこの考えを纏めるために未央ちゃんの意見も聞かなきゃいけないと決心する。
翌日。
いつものように運動をするためトレーニング施設へと向かう。
トレーニング時間は1か月単位で予定が決められていて、必ず参加しないといけない。
道中はいつも未央ちゃんがはしゃぎ、私も乗っかって飛び跳ねながら歩いている。
ちょっと聞きづらいけど、確認は取っておきたい。
チラッと未央ちゃんを見ると不意に目が合う。
照れたように笑う未央ちゃんは変わったと思う。
以前から笑顔の多い子だったけど、楽しもうとしている感じがありありとみて取れた。けど今は普通に楽しそうだ。
こんな未央ちゃんを可愛く思うのは、母性の成せる業なんだろう。
この子は家ではどんな風に過ごしているんだろう。家族構成もどんな生活をしているのかも聞いていない。趣味や好きなこと、嫌いなことはシェアしているが、本気で踏み込んだ会話はしていない。
関係が崩れるのが怖いけど、私の目的は人類の未来なの。
勇気を出しなさい火華。
「未央ちゃん。私ね。寝る前の未央ちゃんのこと、すっごい可愛いと思うの。だから、私は幸せなの。未央ちゃんを大事にしている時ね。母性本能が擽られるっていうのかな。なんか脳内が幸せーって感じになるのよ。その、ええっと。未央ちゃんはその時どんな風に思ってるの? あ、いや、私の研究は人類の進化だからね。その根源的欲求がどうあるかを知りたいというか、なんていうか率直な意見が聞きたいというか、どうなのかなって」
そこまで言うと未央ちゃんは歩みを止め俯いている。
「お」
「お?」
「お布団に入ると……」
「入ると?」
「なんか、寂しさと嬉しさが、わーって押し寄せてきて抱き着いてくるの」
「はぁ」
「火華ちゃんがよしよししてくれるから、恥ずかしいけど嬉しいの。後は寝る時に言う!」
そう言うと走り出してしまった。
よかった。この分だと夜には答えてくれそうだ。
寂しさと嬉しさが擬人化してて可愛い。
私は人類の未来のため、夜になるのを待った。
最初は離れていたベッドもすっかり隣り合わせが普通になって、私達はとっても仲良しになった。
だけどそれは、環境が成した結果だと思う。
お互いに怖かったから。
家族と離れて、人類が辿り着いた宇宙で最も遠い場所。
そこは楽園ではなく人類が管理する箱庭だ。
自由はあるようでなく、でもしがらみもない。
あるのは1年という時間。
私はここで何が見たかったんだろう。
ぜんっぜん、進化の最先端な気がしない。
なんだったら月の方がよかったんじゃないとすら思う。
人が火星に夢見ているのは未来への希望ではなく、好奇心と実験なんじゃないかと思っちゃう。
だって、ここは希望に満ちているようで満ちていない。
見方を変えれば監獄。
もし誰かが、ここの施設のシステムを乗っ取ったら、私達は生きるためにすべてを投げだす奴隷に成り下がるかもしれない。
それくらい人が管理しているこの空間が信じられなくなる時がある。
まだ体調に変調をきたした人はいないけど、精神的に不安定になっている人はいる。
それはみんなの不安を煽るからと秘密にされているけど、私達が仲良くなった同い年の男の子達がそうだったから。
始めはホームシックかと思ったけど、どんどんネガティブ志向になりいつしか「俺は殺されるー! 家に帰してくれ!」と泣き喚くようになった。
もしかしたら人類は地上を離れては正気を保てないのかもしれない。
それくらいに錯乱していた。
私が理性を保っていられるのは、未央ちゃんと一緒だったからなのかもしれない。
考えれば考えるほど、人が管理するシステムが怖い。
逆に、地球はどうしてあんなに安心できるんだろうと思う。
人は地球を管理できない。
地球が意思を持っているというよりは、とても正確に何かの法則に従って、それこそ絶対に壊れない精密機械の如く毎日毎日同じことを忠実に繰り返している。
それって、すごくない?
地球を離れて初めて生まれ故郷の凄さを感じることが出来た。
私は勘違いをしていたのかもしれない。
もしかしたら、人類の進化は――
「火華ちゃん。どうしたの?」
就寝準備が整った未央ちゃんが私の顔を覗き込む。
少し心配そうな顔をして枕で口元を隠している。
「聞きたいんじゃないの? あたしの気持ち」
恥ずかしさで顔を赤くする未央ちゃんは可愛い。
咄嗟に抱きしめておでこにチューしたくなる。
未央ちゃんは私に甘えてくれるけど、私は未央ちゃんに甘えてもらう特権を与えられているのかもしれない。
ポンポンと私の座るお布団の隣を叩くと、いつものように隣に滑り込んでくる。
「では聞かせてもらおうかしら。可愛い未央ちゃんの気持ちをね」
未央ちゃんは布団の中でモソモソ動き回って何故か腰に抱き着いてくる。
「なんかね」
「うん」
「モソモソしてると楽しいの」
「まじで?」
「それでね」
「うん」
「楽しんでるところを捕まえて欲しいの」
「え?」
「あたしね。お母さん猫に甘える子猫なの」
「はあ」
「お母さん猫はね、いたずらする子猫を優しく捕まえるの」
「うん」
「全然怒ってないの。めっちゃ目が優しいの。だから子猫は嬉しくて笑うの」
「うん」
「お母さん猫も優しく笑うの」
「優しいんだね」
「そう。子猫もお母さん猫もすっごく幸せなの」
「どうして?」
「だって。一緒にいて何もないのに楽しくて笑ってるんだよ? それって、何かをしてもらってるわけじゃないの。勝手に幸せを感じてるの。それって凄くない?」
「そう……なの、かな?」
「うん。あたしは今そんな気持ちなの。幸せが心から湧いてくるの。人から与えられる幸せよりも、心から湧いてくる幸せの方が心地いいの」
「そう……なんだ」
「お布団でモソモソして、優しく受け入れてもらって、顔を出したら二人で笑うの。あたしはそれがすっごく楽しい。ほんとは少し寂しいけど、優しく受け入れてくれると照れるけど嬉しいの。分かった? あたしの気持ち」
私の腰の周りでモソモソする未央ちゃんは確かに楽しそうだ。
あんまり可愛いものだから、お母さんになった気分で優しくしていたんだけど、それが良かったみたい。
モソモソする未央ちゃんを捕まえて抱き上げてみる。
目が合う。
少し恥ずかしそうに未央ちゃんは笑う。
私も笑って、未央ちゃんのほっぺにチューする。
「あう……ぅー……」
照れて俯く未央ちゃんが可愛すぎて、ぎゅーと抱きしめる。
確かに心があったかいかもしれない。
私がいることを喜んでくれるって、こんなに嬉しいことなの?
ああ、弟に避けられて悲しかったのは、私が必要とされてないみたいで怖かったのかもしれない。
そっか。
人類が頑張るのは――
「あ、私今幸せかも」
「えへへ、でしょ? はあはあ、あたしの気持ち分かった?」
「うん。わかったかも。……私お母さんになりたい。そしたらもっと人類の進化の謎がわかるかもしれない」
「進化の謎?」
「そ。そこに希望はあるのか? 私達は進化したいのか、それとも――」
はあはあはあ、と未央ちゃんが肩で息をしている。
そう言えば、さっきから息苦しい。
私も大きく息を吸うが、息苦しさは変わらない。
酸素が薄いのかしら?
え? 酸素が薄い?
けたたましく警報が鳴る。
この警報の鳴り方は、このコロニー内の大気に異変があった時の鳴り方だと初めに習った。
吃驚した未央ちゃんは息を荒くし、私の腰にしがみ付いている。
館内放送が流れた。
『あ、あー。すみません。火星テラフォーミング計画責任者の菅井です。申し訳ありません。ちょっとしたアクシデントがありまして、酸素濃度が緊急時用の低濃度に設定されてしまいまして、復旧の目途が立っていません。ですがご安心ください。生命を脅かすほどのことではありません。ですが激しい運動等はお控えください。本国へは修理要請と念のための帰還要請も出していますので、ご安心ください。詳しい話は夕食時に行います。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした』
血の気が引いた。
ここで、隔離されて閉鎖的な場所で、人が管理できない事態が起こったら私達は死ぬんだ。
科学は凄いと思うし信用もしている。
だけど万能ではないんだ。
なんの確信もないけれど、地球は明日も同じように日が昇り一日があって明後日も来ると信じれる。
なんでだろう。
こんな事態だからかな。
無条件で私がいた地球は大丈夫だと思えるの。
地球にはすっごい安心感があるけど、ここにはない。
夕食時に説明を聞いたけど専門的なことは私には分からなかった。
みんな不安がっていて、帰りたいと泣く人もいた。
未央ちゃんも泣きそうな顔をしている。おかげでわたしは少し冷静になれて「大丈夫だよ」と手を繋いだ。
それからは、みんなピリピリしていて些細なことから争うが起こるようになった。
救助が来るまでに2週間なんだけど、みんな心が荒んでいった。
若いご夫婦は、激しく動けないので時間をかけてゆっくり楽しむようにしたら夫婦関係が更によくなったと喜んでいたが、なんのこっちゃ。
悪いことばかりではなかったけど、不安と恐怖は人の心をどうしようもなく不幸にするんだなーと思った。
不幸が心から湧きだしているみたい。
不幸であることを他人のせいにして暴言を吐いている。
確かに、管理が悪かったと思うけど、でも志願した私達は万が一のことがあるかもしれないって同意書にサインしたよね? 周りの人が暴言を吐く度に私の心は冷静になった。
誰が悪いって話になった時、その行先は『私の不幸の原因はあなたの責任』と言いたいだけなんじゃないだろうか。
それって、結果的には私不幸ですって声高らかに叫んでいるだけなんじゃないだろうか?
その後無事救助が来て、私達は帰還した。
結局往復合わせて3か月弱の旅だった。
未央ちゃんとは仲良くなり連絡先も交換したけど彼女からの連絡はない。
きっと怖かった時のことを思い出したくないんだろうと思う。
一つ変わったことと言えば、弟と仲良くなれた。
私が地球に帰還すると、家族が待っていてくれてた。
お父さんはお母さんは心配そうにしてて、弟は渋い顔をしていた。
弟に心配かけてごめんねと言うと、
「姉ちゃんと喧嘩したまま別れるみたいで、嫌だった。帰ってきてくれて、ほんとに、良かった」
と泣いていた。
私ももらい泣きした。
弟に距離を置かれた理由を聞くと、シスコンと友達に揶揄されたからのようだ。
まあ、年頃だから仕方ないよね。
私はブラコンと言われようが平気だけどね。
今回の火星移住でいろんなことを学んだ。
私は地球にいる方が幸せだ。
もう火星に行きたいとは思わない。
人類が支配する領域には安心感がなかった。
人の心は簡単に折れる。
もし人類が進化するなら、それは今が幸せだと思うことじゃないかと思う。
幸せだと思えたらさ、争う理由もないじゃん。
どうだっていい結論かもしれないけど、真実ってそれくらい単純なのかもしれない。
女子高生は火星に行ったけど、科学は進歩しているけど、私は幸せで元気ですって言える人生を送りたいと思った。