最近様々な大学のブログや自分の想いを書いた文などをよく目にする。
サッカーから得たことやサッカーへの想い。
後悔していることや、未来への想い。
その人にしかない人生、歩んできた人生を率直に言語化し発信している。
次世代にヒントを残すために。
たくさんの人に自分という人を知ってもらうために。

だからこそ九州産業大学サッカー部副キャプテンとして
これが僕にできる最後の仕事です。
何か少しでも後輩達やたくさんの人の力になれれば
幸いです。


僕にとってのサッカーとはなんだったのか。

振り返ればサッカーを始めてからの14年間はあっとゆうまで思い出が走馬灯のように浮かんでくる。
サッカーの楽しさを教えてもらった小学校。
うまくなる喜びを知った中学校。
夢をみさせてもらった高校。
そして挫折を経験した大学。
サッカーに全てを注ぎ、サッカーのために全てを犠牲にしてきた。
今では全てが僕にとっての財産だ。

いつだって僕の夢はプロサッカー選手になる事だった。

小学生の時の卒業アルバムにはバルセロナに入ると
書いている。
今考えればバカだ。誰もが笑うと思う。

ただ、思い出して欲しいのはみなさんにもそのような時があったということです。
なりたい自分がいてそれを目指して頑張っていたときがあって、誰にも恥ずかしがらずに夢を語っていたときがあったはず。
でも少しずつ大人になっていく過程で自我が芽生えてなりたい自分を諦めて現実を見ていく。
周りにバカにされるのを怖がって言わなくなったり
自分が今まで頑張っていたことが否定さればかみたいになって自分が傷つかないように苦しまないように
少しずつ楽な方へと逃げていく。
それが普通だと思う。
僕も大学2年まではプロサッカー選手になると
声を大にして自信を持って言っていた。
なりたい自分になるために逆算して努力してる自信はあったし笑われても周りに無理だと言われても
結果で見返してやるって強い気持ちがあったから。
そんな強い自分でいることが僕にとってのなりたい自分だったから。
ただ、今年の2月「前十字靭帯断裂」という全治1年の大怪我を負い「プロサッカー選手になる」という夢を諦めた。
声に出して言うことだけでなくその夢自体を諦めた。

僕は弱かったのだ。
全治1年の怪我だからという理由をつけて自分を諦めさせようとしただけ。
ただ、自分に実力がなくてその結果を認めきらない自分がいただけだった。
プロの選手にだって僕と同じ怪我を2回してる人もいれば3回してる人だっている。それでも諦めず活躍している。そんな人達がほんとに強い人達なのだと思う。
僕にはもう一度夢を目指すそんな自信も気力もなかった。
でも夢を諦めるには相当な覚悟と勇気がいるということも知った。
諦めるということは今までの自分の努力を否定することにもなるし応援してくれている人達を裏切ることにもなる。何度も葛藤した。このまま諦めていいのか、これが正解なのか僕にはわからなかった。
わからなかったけど僕に出来るのは恩返ししかないと思った。本当はすぐにでも逃げたかった。辞めたかった。逃げた方が絶対に楽だったから。
でも怪我をしたときに支えてくれた人達がいて応援してくれてた人達がいたことに気づくことができた。
そしてその人達に最後サッカーをしている姿をみせてあげなければいけない。
それが僕にできる最後のサッカーのけじめだと思った。

チームも今年は結果が出ずに副キャプテンの自分はチームに何一つ貢献できない。外から見ていることしかできない。そんな自分が歯痒かった。みんなの前で気丈に振る舞うのも苦しかった。
それでも逸る気持ちを抑えて毎日往復2時間かけてリハビリへ通った。
リハビリはすごく過酷で地味で光の見えない長い暗いトンネルだったけど応援してくれる人たちのことを思うとがんばることができた。

怪我は順調に回復したけど
全治1年の怪我は全治1年でしかなかった。
覚悟を決めた。
もう一度再断裂してもいい。ピッチに立ちたい。
ドクターの許可を得ずに復帰した。



だけど、、、
最後まで公式戦のピッチに立つことはできなかった。


結局何一つ報われなかった。
大学に入学してから
一年生の頃は前期リーグ戦や天皇杯決勝も出場させて頂いていたが急に干され試合に出れなくなった。
二年生に上がってからはレギュラーを取れたがある試合で途中交代に不満な態度をだしてしまい後期リーグの途中から干されて試合にでられなくなった。
三年生に上がり「腓骨筋腱脱臼」という怪我を負いトップチームから初めて降格すると腐って遊んでばかりでトップチームに戻れた時にはもう最後のインカレだった。
そして今年。
ラストイヤー、最後のチャンスと思っていたが
不本意な形でサッカー人生を終えてしまった。

三年連続で選手権の舞台に立ち順風満帆だった高校生活とは打って変わって大学では苦しんだ。
大学は高校とは違い全てが自分次第。
色々な誘惑や自分の時間が多くありそっちに流されたこともある。
うまくいかないときこそ自分を見つめ直すチャンスで
あったのに自分自身と向き合うことができなかった。
「他の大学にいけばよかった。」と何度も思ったことがある。
でも結局どの道を選んでも僕は成功していなかったと思う。だれのせいでもない。自分の責任である。
どの環境に置かれてもどの道を選んでも這い上がってくる人は這い上がってくる。
誰にも流されることなく自分の強い信念をぶれることなく持っている。
人並み以上に努力をしている。
そういった人たちが成功を手にしている。
だから、夢を叶えた人たちへほんとにおめでとう。
かっこいいし、羨ましい。
これが素直な僕の思い。


ただ、大学生活を通して、大怪我を負って得たことは本当に大きかった。
大学へ行ったおかげですごく人として成長することができたし大怪我を負ったことで当たり前のことに感謝できるようになった。
サッカーで成功することはできなかったけど
きっと成功よりも大切な成長をすることができた。
常に考え行動することの大切さを知った。
成功することが全てじゃない。成長することに意味がある。


色々な人がいて色々な生き方がある。
その人にしかない人生、その人にしかない生き方があるから面白いと思う。
正解なんてない。
だから僕がどうこう言うのは違うのかもしれない。
ここまで長々書いてきたが
ただ、僕が伝えたいことは毎日常に考え行動し
目標をもって生きていって欲しい。
まだ22年しか生きてない僕に言われても説得力も
ないだろうが、この大学生活で常に考え行動してる人と何も考えずただ1日1日をこなして生きている人の
成長は明らかに違うと気づけた。
社会人の人で仕事を辞めたいと思っている人
スポーツをやっていて辞めたいと思っている人
目標をもつことで辞めたいと思っているネガティブな要素をポジティブに変えられる。ぼくはそう思う。
たった1度しかない人生。
ぼくみたいに急に終わりがくるかもしれない。
後悔のない人生を送れる人なんてそうそういない。
だれもが後悔をもって生きていく。
でもその後悔を小さくすることはきっと可能である。
誰に何を言われても自分にしかない人生を
好きなように生きて後悔して欲しくないと思う。

サッカーが教えてくれた。
辛いときも、悲しい時も、楽しい時も、嬉しい時も
いつだって僕のそばにいた。
でももう卒業しなきゃ。
本気で取り組んだからこそ負けたら悔しかったし
本気で取り組んだからこそ勝った時は嬉しかった。
本気で取り組んだからこそいっぱい壁にぶつかって苦しんで
本気で取り組んだからこそ成長できた。
目標を志し本気で取り組みその過程が今の自分を形成してくれた。
何事も目標を持って本気でやることに意味がある。
上を目指すことに意味がある。成長がある。
サッカーが全て教えてくれた。

この結果を受け止めるには
まだまだ時間がかかりそうだけど
この経験を糧に僕は第2の人生を歩み始めます。
まだ今はサッカーが無くなったばっかりで
新しい目標も夢もありません。
だけどこの14年間の経験がこの先の人生をより良くしてくれると信じてます。
最後死ぬときまでこの人生は成功だったか失敗だったかなんてわからない。
ただ、この14年間で得たこと、この4年間の挫折を将来成功したときの過程にできるように僕はこれから頑張っていく!

全力で1つのボールを追いかけ全力で生きたこの14年間は僕にとって一生の財産です。
11人しか試合にでれない、勝ち負けしかないこの残酷な世界で14年間もサッカーができたくさんの人に応援して頂き支えられ僕は幸せ者でした。

そしてこの大学へきて
毎年140人近くの部員が所属するなかレギュラーを
目指して日々切磋琢磨しあいその過程で
尊敬できる大好きな先輩方に会えたこと
こんなぼくでも慕ってくれたかわいい後輩達に会えたこと
なにより
小学生みたいな脳みそをもったやつや、明らかに中年のおっさんもいて、顔がモアイみたいなやつ、笑い方のクセがすごいやつ、歩くWikipedia、アイドルオタク、集合写真のときいつも同じ顔のやつ、ブランド物にしか目がないやつ、Twitter西野カナ、女の子のことばかり考えてる変態なやつら(複数形)チームの為に自分を犠牲にして浪人しかけたやつ。なかなか濃ゆくて、みんな仲悪くて全然まとまりなくて最低な僕の同期だけど全てが僕にとっての宝物です。

サッカーをしていたおかげでみなさんと会うことができ今の僕があります。
みなさん出会ってくれてありがとう!
そして出会わせてくれたサッカー。ありがとう!
そして14年間サッカーをさせてくれた家族。ありがとう!


僕にとってのサッカーとはなんだったのか。
それは僕にとっての全てでした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。