金木犀の香る季節になった。
僕の同級生の彼女のお父さんは、
「金木犀の香りは天国の香りなんだよ」と言っていたが、
どこかの宗教の経典にそう書いてあったなら、
僕はその宗教に入ってもいい。
そのくらいいい香りだと思う。

僕は金木犀の匂いをそのくらいいい匂いだと思うが、そう思わない人もいるらしい。
金木犀の匂いに、アレルギーにも近い感覚を持つ人もいるらしく、
この季節にはなるべく外を出歩かないようにしているという。

好きな匂いも好きずきだ。
病院の匂いが好きな人も、本の匂いが好きな人もいる。
雨の日のアスファルトの匂いやエレベーターの匂い、
三角コーナーやカビの匂いが好きな人もいる。
新札の匂いが好きだという人もいたが、
それは、お金が好きなだけだろう。

匂いは言葉との相性が悪い。
うまく言葉で説明することが難しい。
例えば、見知らぬ土地を電話でレポートすることになったとしよう。
目で見たものはなんとか伝えられるが、
鼻で嗅いだものはなかなか伝えられない。
今まで匂った経験からなんとか伝えようとするが、簡単にはいかない。
それを「一回性」と言うこともできる。
目で見たものは後で絵に書くことができるし、
耳で聞いた音は後で言葉にすることができるが、
鼻で嗅いだ匂いはなかなか再現ができない。
「その場限り」でしかない。

大学生時代、変な匂いのする友達がいた。
くさい匂いではなく、変な匂い。
運動した後などは特に強く、彼特有の体臭をプンプン周りに振りまいていた。
ある日、そいつと一緒に運動をし、ジャージのままカフェに入ると、
後から、美人な、彼の彼女もカフェにやってきて、
ソファで強烈な体臭を放っている彼に寄りかかった。

「女は、自分とは一番遠い匂いの男に惹かれる」
と何かで読んだことを、その瞬間、思い出した。
なるほど。
あの男の匂いが、彼女にとってのそれなのか。
彼女にとっては、彼の匂いが「その人限り」の匂いなんだな。
なるほど。ああいう匂いが・・・。
ああいう・・・、なんていうか、あの、その、
あいつの、あいつ特有の、あの、ああいう感じの匂いが・・・。

大学生の時、図書館で本を借りて延滞すると、1日につき10円の延滞料がかかった。
僕は読めもしないくせに一度に大量に借りてしまい、
そのまま本を借りたことを忘れてしまうことがあったので、
よく高い延滞料を払っていた。
そうやって毎度毎度延滞料を図書館で支払っている時に気になったのが、
延滞料を払ってるのにもかかわらず、係の人に「気をつけてください」と
強く言われ、
僕ら、学生が毎回「すみません」と謝っていたことだ。
あれ、僕ら罰金払っているのに、なんで、謝るんだっけか。

TSUTAYAやGEOのようなレンタルビデオ店で返却を延滞してしまった時に、
店員から「謝れ」と言われることはない。
それは、延滞という行為を、延滞料という”罰金”で解決しているから。
逆に、罰金のない市や県の図書館で借りた本を延滞してしまったら、
図書館のカウンターの人に対して、丁寧に謝ることになる。
それは、僕が借りていた本を、他の誰かが借りたくて待ってた可能性があるから。
こちらの落ち度を、金で解決していないから。
でも、大学の図書館は、本を延滞した際に、
罰金を払わせた上に、頭を下げさせようとしてくる。
これ、間違ってない?
どっちか片方でいいはずじゃない?
そう、同じ大学に通う関西出身の友達に話したら、
肯定も否定もせずに、自分の話を始めた。
「俺、おとつい、彼女との待ち合わせに遅刻してもうてさぁ。
めっちゃ謝ってんやんか。めっちゃめちゃ、謝ってん。
そやけど、遅刻許してもらう代わりに、映画代おごらされることになってん。
めっちゃ謝ったのに、おごらされてん。
これ、どっちかでええよな?」

なんだそりゃと思ったが、僕が言っているケースと違う例を出してきたので、
真っ向から否定する。

「いや、違うだろ。
レンタルビデオ屋さんは、ルールとして延滞料を決めてて、
それに同意して僕らはDVD借りるわけ。
でも、市や県の図書館はルールで罰則を決めてないから、
マナーとして謝るし、マナーの範疇なら向こうも許してくれるわけ。
でもさ、大学の図書館は、
延滞したら罰金っているルールを導入してるにも関わらず、
マナーの範疇であるはず謝罪を態度で示せっていってくんのが、
僕は気に食わないって言ってんの!」
「・・・」
「でも、お前と彼女の間には、
遅刻したときのルールとか罰則はなかったわけだから、
謝罪の態度も見せて、映画もおごるってことで、お互いが手をうったんなら、
それはまったく問題がないし、それに対して、お前が怒るのは筋違いだろ」
「いや、ちゃうやん。
俺は、謝ったんやから、映画はおごらんでええやろ、っていうてんねん」
「いや、だから、罰則を決めてない時点で、そこは交渉次第なんやから、
お前が謝った上に、映画代で手を打ったんなら、それでしまいや、いうとんねん」
「いや、そんなことやないねん。
俺は、一般の感覚として、1時間の遅刻は、謝って済む話やろっていうてんねん」
「それは二人の感覚の問題やないか」
「ちゃうねん。同意してほしいだけやねん。
 1時間の遅刻は、謝って済む話やろっていうてんねん。
 『そやな』っていうだけでええねん」
「ちゃうねん。僕も同意してほしいだけやねん。
 大学の図書館での延滞は、謝るか罰金払うかのどっちかでええよな、
っていうてるだけやねん。

 『そやな』っていうてくれるだけでええねん」

ほんとうは、「そやな」って言って欲しいわけではない。
関西人と話してると、こっちもニセ関西弁になって、
正しいか正しくないか、是非の話をしていたのに、
いつの間にか、言葉遊びになってきてしまって、困ってしまう。

コンピューターは、賢い。
検索も計算も連絡もスケジュール管理も瞬時にやってくれる、優れものだ。
コンピューターがなければ僕らの今の生活は成り立たないと言っても過言ではない。
ただ、人間の能力をゆうに超えるコンピューターに、
たまにはひどくがっかりすることがある。

先日、友達とLINEで話していると、昔見たドラマの話になり、
「ケイゾク」「白線流し」などから「踊る大捜査線」の話に移った。
僕は当時、シナリオ本を買うくらいに「踊る大捜査線」が好きだったので、
ここぞとばかりに、親指を動かして、求められてもいない細かい情報を打った。

「和久さん(いかりや長介)が、
ドラマの中で「だめだこりゃ」って言うシーンがあるんだけどさ、
 それは、二人の監督が、いかりやさんに
ドリフのセリフを言わせようと勝負してたからなんだよ」とか、
「真下の役やってたユースケ・サンタマリアは当時、
 『ビンゴボンゴ』っていうラテンバンドのボーカルやってて、
 俳優としてはほとんど無名だったんだよ」
友達は「踊る大捜査線」自体はなんとなく見ていたらしいのだが、
そんな細かい情報は知らないし、興味もないので、
適当に絵文字で相槌をうっていたのだが、
「ユースケ・サンタマリアが好きだった女の人いたよね」
と少し興味を見せてくれたので、
「ああ、雪乃さんね」
と返し、
「青島(織田裕二)が担当した事件の被害者だったんだけど、
 後で刑事になるんだよ。水飲み器がやってた人でしょ」
と続けた瞬間、親指が止まってしまった。
み、水飲み器!?
もちろん「水野美紀」のことだが、その誤変換に驚いた。

それまでずっと、「踊る大捜査線」の話をしていて、
いかりや長介、ユースケ・サンタマリア、織田裕二ときた流れで、
”水野美紀”を”水飲み器”と変換してくるなんて、変換精度どうなってんだよ!?
コンピューターって、まだまだだなあ、しみじみ思う。
「踊る大捜査線」の話の流れで、「み」と打ったら、当然「水野美紀」だし、
「ふ」と打ったら、「深津絵里(すみれさん)」に決まっている。
「スリー」と打ったら、「スリーアミーゴス」だし、
「どうして」と打ったら、「現場に血が流れるんだ!」に決まっているじゃないか。
なんのためにネット上に膨大な「踊る大捜査線」のデータを載せてるんだよ。
コンピューターには、ちゃんと、勉強しなおしてきて、ほしい。

SNSが苦手だ。
どう扱っていいのか全然わからない。
扱い方はわからないが、一応現代人なのでアカウントを開設していると、
知りあいから『友達申請』というものがやってくる。
この申請が来るのは、たいていそれまで気軽に会える関係だったのに、
僕か相手のどちらかが街を離れることになって、
それまでのように頻繁に会えなくなるような時だ。
「友達」というものが何かはよく分からないけど、
「友達申請」を送ってきた相手とはすでに何度かお酒を呑んだり、
話したりしたとこがある。
まあ、正面切って”友達”とは言わないけど、”友達みたいなもん”だ。
それなのに、そこにわざわざ 「申請」って必要かい。
「承認」って必要かい。
そう考えだすと、送られてきた「友達申請」を「承認」するのが
何だかしゃくに思えてきたので、
そのままなにもせずに放置しておく。

それから数ヶ月が経ち、放置していたことなど忘れた頃にその”友達”に再会し、
開口一番言われる。
「なんでお前は、『友達承認』しねえんだよ!」
それまで気づかなかったが、
友達を「申請」したのに「承認」されないということは、
何かを否定された気分になるようだ。
別に相手を否定したり拒否したりしたつもりもないので、
「フェイスブックに頼らなくても、僕らはつながってるだろ」
と、もっともらしいことを言ってみる。
とっさに出た言葉にしては、なかなか核心をついているが、
自分の芝居染みたセリフに、にやついてしまう。
「いいから、『承認ボタン』押せよ!」
僕のにやつきにいらついた相手は、
その場で、僕のスマホをフェイスブックにつなぎ、
『承認ボタン』を押した。
彼は一方的に、彼自身を「承認」し、僕らは晴れて「友達」になった。

ぼくと”正式に”友達になった彼は今後、
まったくSNSを触らない僕から
一度も『いいね!』も『コメント』ももらうことなく、
年に一度くらい、まったく新しい情報が更新されない僕のホーム画面を覗くのだ。
そう、僕は彼の368番目の友達で、彼は僕の23番目の友達だ。
トモダチって一体なんだろう・・・。

最近はゲーム機にリセットボタンがついてないので、
「人生にリセットボタンはないんだよ」という比喩が若い人にピンとこないという。
確かに、リセットボタンを知らない若者からすると、
「人生にない『リセットボタン』ってのは、一体どこにあるんだよ」
という話になる。

それと似てるようで似てない例として、「 ボディブロウ」の話がある。
ボディブロウとは、ボクシングで横っ腹に受けるパンチのことで、
顔面へのパンチほどダメージはないが、喰らい続けていると、ダメージが足に来て、
後半のラウンドに立てなくなる、後半疲労形の攻撃のことだ。

国民のほとんどの人が、本気のボディブロウを喰らったことがないにも関わらず、
『このように毎年増え続けている国の借金は、
後々、ボディブロウのように効いてきますよ』
と、さもボディブロウの怖さを知っているかのように、誰しもが簡単に使っている。
と、どこかの本で指摘されていたのを、以前読んだことがある。
なるほどな、と思う。

確かに、ボディブロウよりも後々じわじわ効いてくるものを私たちは
もっと他に知っている。
例えば、「給料日に調子にのって使ってしまった3万円」とか。
給料日に調子にのって使ってしまった3万円は、翌月の給料日5日前に、
じわじわ効いてくる。
苦しい。使わなきゃよかった。
まさか、先月使った3万円が、こんなところで効いてくるとは・・・。
みんなが、しっくりくる感覚だ。
少なくとも、「ボディブロウ」よりはしっくりくるだろう。

しかし、だからといって、
「このように毎年増えている国の借金は、『給料日の5日前くらいに感じる、
調子にのって使ってしまった前月の給料日の3万円』のように、後々効いてきますよ」
と言っても、締まらない。
それに、長い。
「ボディブロウ」というのは、みな喰らったことはないかもしれないが、
比喩としては、優秀なのかもしれない。
定着する表現とは、そういうものなんだな。