7月23日、石巻市鮎川浜の9家族物資支援に行ったときの日記です

物資をご支援いただいたみなさま、本当にありがとうございましたm(__)m


鮎川のおばちゃんがいる地域は家は残りましたが、買い物をするお店が1軒残らず津波で流されてしまいました。
車もなく、介護が必要なおばあさんを預かっているため、石巻市街地への買い物は困難です(1日3往復のバスで片道1時間半かかります)

日用品や洋服はまだ不足してないとのことだったので、渡波イオンで生鮮食品を購入して行きました


ご支援いただいた物資で持って行ったものは、ネコカリのみになります。
おばちゃん家に顔を見せるようになったネコちゃんは、津波で家や飼い主をなくしたため野良になってしまったらしいです。
鮎川手前のおばあちゃん家にも顔を出すネコがいるようなので、そちらにもネコカリを置かせてもらいました。
ご協力ありがとうございましたm(__)m


鮎川へのルート
仙台を出発→パン屋パンセで買い物→バイパスから産業道路(仙台港近く)→多賀城で45号線へ出て→塩釜→松島→東松島(矢本)→石巻港→日和大橋を渡り→石巻の湊町に常駐しているボランティアさんにさし入れ&支援用の洋服をいただく→石巻の渡波→渡波イオンで買い物→万石橋を渡り→牡鹿半島へ→目的地鮎川

帰りは産業道路までは同じ道をとおり、仙台港→荒浜→ゆりあげ→帰宅




今回は少なめ
鮎川へはネコカリのみです(^^ゞ

6:50出発



パンセでパンを購入
・パンが好きなおばちゃんにラブラブ
・パンが好きなばあちゃんにラブラブ
・差し入れ用


松島

三陸自動車道は渋滞


東松島大曲
土のう袋がつみ上がっていた道沿いには、花が植えられていたキラキラ


石巻市湊町でボランティアをしている方達の拠点にちょこっとお邪魔しましたm(__)m
ボランティア団体の方のブログ(7/24新拠点準備に名前出てちゃって(〃д〃)あせる
http://ameblo.jp/ihoujinn2/


石巻市渡波付近


ホーマック
こんな状態での仮店舗に並々ならぬ復興の意思を感じます



渡波のイオン
食料調達

石巻市街地から牡鹿半島へ

桃浦
左の建物は派出所でした
90゜以上回転したみたい







すっかりキレイになった集落も


津波がはがした道路のアスファルトが端に寄せられている


茶色くなった木は津波をかぶった木。高さ10m以上あるのに…


ばあちゃん家で休憩。
いついている猫は支援でいただいたカリカリを嬉しそうに食べるドキドキ
この2匹のほかに、茶トラのボス、半シロ、シロっぽいの、マツコ(身体が大きいらしい)がいるとのこと。警戒しているのか人間には寄ってこないらしい。夜にこっそりごはんを食べているみたい。
津波で家や飼い主を失った猫はまだまだいるはず…

ちょっとビビりながらも、中を覗く猫たち

このあとテレビで緊急地震速報あせる速報の前から地響きそして強めの地震
ばあちゃんと一緒に部屋から海を見る。
風で波がたっているのか、地震で引いているのか…とりあえず津波の心配はないとのこと。
これから鮎川に行く私を、ばあちゃんはすごく心配していた。ごめんね焏


ばあちゃん家からおばちゃん家がある鮎川へ車

鮎川入り口
まだこんな感じやっぱりへこむ…

でも、津波でアスファルトがはがれ砂利道だった道路が舗装されていた♪復旧も感じる!

鮎川町中





先月、ボランティアさんが植えていったヒマワリ。
咲いたのを見ると思った以上にいいな~(^^)



おばちゃん宅に到着
自家菜園でとれた野菜で作った味噌漬け。絶品ドキドキ

同級生のお母さんがまだ行方不明だって知った。ショック…


帰り道

十八成浜の仮設住宅

石巻

東松島
物資支援の協力をいただいている『千円物資で被災地に笑顔を』というコミュで活動している方と待ち合わせ。物資の受け渡し、いろいろお話しをしました溿震災の影響はいろんな方面に出ているんだな~と、改めて実感。
話しを聞いて思うこともあり。なんだか元気になりました(^^)
アクアさん、ありがとうございましたm(__)m

東松島からの帰り道


19:49帰宅
ちょうど200キロ車



今日は支援先の沿岸部で大きめの地震がありました。こんなこともあるだろう…と想定はしていましたが、もし津波がきたら…孤立したら、と考えました

逃げることができるように、いつも運動靴をはいて行くようにしていましたが、これからはバッグをリュックに代えて、ある程度の備えはしていったほうが良いと感じました

沿岸部でボランティアしている方も、どうかお気をつけて




※mixiからの転用のため画像が表示されていません。ブログに慣れたら徐々にアップしたいと思いますm(__)m


石巻港
瓦礫を積んだトラックの渋滞



ひょんな出会いから、石巻へ
押しかけで駄菓子を持って

被災した子供の支援。
子供が楽しめるプールや流しそうめん、バルーンアートなどのお祭り的な活動

子供たちは楽しそう音符
お母さんたちも楽しそう音符



普段、なにもないような被災地に行っている私には新鮮でした

ちょっと復興の格差あせる
楽しいのを規制しちゃいかんと思うけど…なんだろ?自分がすることは、ここには無いなぁ…と


そして、主催だか協賛だか知らないが、企画した人達がビール飲んだり肉食べたりしていたのは、本当に残念

購入した代金は支援金なのだろうか?

彼らは関東から来たらしいが被災者なの?

お母さん達は車で来てるからビール飲めないよね?
なんでビール用意したの?

疑問だらけ


『絆プロジェクト』って団体、なんなんだ?

有名ですよね

支援金も集まるはず

支援する側にモラルが無いと、いまの与党が得意とするパフォーマンスが上手いだけなんじゃ?と思ってしまう

支援金、こんなことに使っていいのかな?
一部がこんなんだと、絆プロジェクト全部がイヤになってしまう

あのビール代は「被災者に提供」とでも報告するのかしら?
サーバーごと、自費購入したの?
なんで昼間からビール?
ここも津波で死んだ人いるんだよ?
わからないことだらけ。
疑問だらけ焏



あまりに暇すぎて、私にやれることはないし、空気にもなじめなかったため近くにいた人に愚痴ってしまいましたm(__)m

そんでいろいろ話ししたら、一度、鮎川に行きたいと。支援が必要じゃないか見たいと言うのでせっかくだから案内を
…ちなみにその方のブログです
http://ameblo.jp/ihoujinn2/
(7/16の記事)

鮎川行ったついでにおばちゃんとこに食料を買って行きましたラブラブ(お茶っこ飲みは来週音符
牡鹿のコンビニ、じゃがいも3コで250円は高いよあせるバナナも1本100円くらいあせる買ったけど…地元の人、これじゃあ買えないべ
イオンで仕入れたって、こんなに高くしなくても儲け出るっしょ渹
コンビニは津波被害ないのにな…家でも建てるのかな?
あ、ちなみに24時間営業ではありません。トイレは使えますよクローバー


牡鹿から帰って石巻の湊町。
ここもひどい
津波が海からと、川をのぼってきた。
そうそう、小耳に挟んだのですが「石巻では個人からのボランティア依頼は受けない」らしいです。団体からのみにしたみたい(町内会とか?ボランティア団体??よくわかんない)

え~~~~!
じゃあ、じゃあ、ヘドロまだそのままの家は?瓦礫そのままの家は?人力で動かせないような物がそのままの家は?
どうするの?

石巻行政、ごてごて…
石巻行政というより、国なのか?わかんない(*_*)
わかんないことだらけだよ~

被災地はまさに、わかんない&不安だらけだよね
ゴールが見えない日々はつらい。

そんなわけで、興奮して眠れないのでした湜


明日は福島にいる妹と子供(3歳と1歳)が避難してくるかもしれない部屋を片付けに(というか作りに?)実家へ

本棚5コくらい2階に運ぶのかなぁ…母親段取りしてないっぽいので、えらく疲れそう汗
休みも作業だなや。



※mixiからの転用のため画像が表示されていません。ブログに慣れたら徐々にアップしたいと思いますm(__)m

いつも支援いただいている皆さま、ありがとうございます(^^)
ご協力いただいた支援物資を持って、南三陸町歌津地区に行ってきました

現地の状況と合わせての報告となります。
被災地の画像はショックを受けるかもしれないです。あまり見たくないなぁ…という方は見なくていいと思いますあせる(無理はなさいませんように溿


7月9日
南三陸町歌津地区へ

歌津のなかでも横がすぐ海という地域、高台(山)に建っているお宅は無事で、その家にご近所さんや親戚が身を寄せています。
家のほか、家族や仕事をなくした人達が避難してきているのですが、避難宅となっているのは年金暮らしの老夫婦宅、仕事をなくした家庭のため、経済的に大変厳しいそうです(扶養家族が増えたのに収入が無い状況)

在宅避難のため、避難所に届く物資はもらえません。近くにある民宿にも多くの物資が届き余っているようですが「これは避難所に、ってもらったんだから渡せない」と言われたそうです。
おばちゃんがいる鮎川と一緒の状況です。

支援物資は自宅避難している方に配布しました。
この地域のことをよく知る地元の方にコーディネートしていただいたため、必要な方に行き渡ったと思います溿



南三陸町へのルート
仙台を出発→バイパスから産業道路(仙台港近く)→多賀城で45号線へ出て→塩釜→松島→鳴瀬奥松島から三陸自動車道にのる(ここから北は無料のため音符)ナビが古く石巻河南インターまでしか載ってなかったため、なぜか登米で下りるあせる(終点の「登米東和」まで乗ってそこから国道398号線で行けばよかったようです






物資
思った以上に入りましたキラキラ
みなさまに感謝ですラブラブ


7:34
出発


松島


鳴瀬奥松島インターから三陸道へ
30℃

行き道
石巻赤十字病院裏手

南三陸町の現状































寸断された線路?







歌津地区に到着
6月末から営業再開したファミリーマート。
品揃えを増やしたという話


ナビに載っている道路は、道路ごと津波に持っていかれて、今も通れないらしい。
支援拠点となっているお宅のAさんがファミマまで迎えに来てくださいました。

Aさんの車のあとに続いて行くが、ナビは『次を右折です』←無視してまっすぐ、『次を右折です』←無視、ナビに載ってないすごい道を通りました。
ナビ『1キロ以上道なりです』←無視して左折。すれ違えないような山道を5分くらい走って拠点宅へ到着DASH!






10時半。
洋服を並べてフリマの準備。ある程度並べないとグチャグチャになってしまうらしい。ひとつひとつ畳んで年代と性別でまとめた。
(左奥は紳士物、その隣に子供服、右奥に婦人服、その手前におばあちゃんの服)
「こんなによく集まったねえ!しかも車1台なのにすごい量でビックリだわ~」と驚かれました(^^ゞ


配布を始めるのは13時の約束だったので、時間までお昼ご飯をいただく

拠点宅のにゃんこラブラブ!


開始の前に「仙台から来た宮腰さんです~」と紹介されました。はずかしい(->_<-)
「この物資はこうやって集めました全国から協力いただいたものです」と挨拶らしきものをして、配布開始クローバー


洋服はフリマ形式

もらいに来た被災者の方から口々に
「こんなのほしかったのよ~!」
「これもいただいていいの?」
「サイズ合う洋服もらったの初めてだぁ」
「孫が喜ぶ煜」
「助かります」
「こんなにしてもらって…」
「ありがとうございます」
「こうやってしてもらえっから生きてけるんだあ」
「ありがたい」
「迷惑かけてすみません、でもありがとう」
「ありがとう、こんなにもらっていいの?」
「遠くから心配してもらって…忘れられだがど(思ってた)」
「ありがとう、ありがとう、ありがとうしか言えないけど、ありがとう」

この声は、協力いただいたみなさんへの感謝の言葉ですラブラブ



30分かからず終了しました溿



配布後、拠点宅で休憩させてもらいましたお茶

拠点宅になってくれたAさん(2人のお子さんのお母さん)、Aさんのお父さんお母さん、近所のおばぁさん2人と恒例のお茶っこ飲み。いろいろ話しを聞きました

「おらだち避難所行っても入れてもらえない、物資なんて無いって隠されでるし。んでも廊下に段ボール並んでるの見えでんだげっとも」とおばあちゃん

「ボランティアでアリーナに集まった洋服の仕分けやってたら、”いいのは仕分けしている人が抜いてる”って言われてさぁ…自分も家なくして職場もなくして同じ被災者なのに、実家が近いから避難してるってだけで、被災者っていうふうに見てもらえない」

「震災のあと、うちの子供(小学生)は脱水になってヘリで石巻まで運ばれたんだよ。でもどこで降ろしたか、収容先とか自衛隊では記録してないから、見付かるまで10日かかった。見付かるまで気が狂いそうだった」

「お風呂に入れたのは震災から29日目。ボートに20分揺られて、沖にとめてある自衛隊の船で入った」

「地震のとき下の子供と一緒に実家近くにいたから、ばあちゃんを乗せてすぐ高台に逃げた。すごい津波くると思ったから、津波きてからじゃこの2人を連れて逃げられないと思ったから。ばあちゃんは仏壇の花瓶の水がこぼれたとってふいてたんだよ~!んだから、なにしてんの!早く逃げっから!!って怒鳴って車に乗せたのよ~」

「こんなふうに来て、物資を配ってもらったのは初めて。みんな見捨てられてるってガックリきてるから、すごく嬉しいよ。ありがとう」

「配給は2L入りの水6本と、食パンかカップラーメンという感じ。それも取りに行かなきゃだから、車が無い(流された)ひとは無理。○○さんにも持って行くから、って言うんだけど、ほんとに?って疑いの目で見られて辛い」


そういえば、洋服を並べていたら、ボランティアらしき人達が声をかけてきた。
「ステーキの炊き出しやってるので、食べにきてください(^^)」って。
それに対してAさんは「食べたいけど行けないのよ~…持って来てもらうことなんて、できないわよね?あせる」と。

ボランティアさんは持ってきてくれた!しかも私の分まで。すみません被災者ではないんですあせると言いましたが、ご馳走してもらいました

Aさんは「すごーい!ありがとう!!」と言ったあと「あ、ここで物資の配布することは、炊き出しやっている避難所の人には言わないでくれます?渹」と付け足した。
避難所には物資が入るけど、配布すると知ると来るそうだ…。

ちなみに炊き出しをしていたのはタレントの清水国明さんのグループ。
前日にブログで知っていたが、まさかこの地区だったとは(Aさん宅から歩いて数分の距離で炊き出ししていた)
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=kuniaki-shimizu&articleId=10948939253&frm_src=article_articleList


そうそう、この辺のお父さん達、仕事は無くなったけど瓦礫撤去を日雇いでしているそうです(100人ほど)
南三陸町もものすごく暑いです!1時間ほど洋服を並べていただけで、Tシャツがビチョビチョ
そんななか、瓦礫撤去で支給されるのは500mlの水1本。
えっ!?
重機は道が寸断されているため(道の土台ごと海に落ちている)まだ入ってこれず。
「支援物資で届いたスポーツ飲料とか、さしいれできないんですか?」と訪ねると、メーカーや銘柄が違うとさしいれできない、と。
例えば、ポカリ2箱、アクエリアス2箱、合計100本にはなるけど、銘柄違うからさしいれできないんだって。
アクエリアス100本、ポカリ100本、同じメーカーの水100本…というふうに揃わないとダメだと

「なんでそんなこと言ってんの!?」と思う方がいるかもしれないが、そういう土地柄なんだよね…
牡鹿の小さい浜でも、震災直後に配布されたおにぎり1個を3人で分けて食べた集落、人数分揃うまで手をつけずにいた集落…いろいろありました。
よそ者の私が口を出すことじゃないと思って何も言えず。
さしいれは100本揃ったら地区の長にお願いして、配ってもらうそうです

やたら脱線しましたが、脱線ついでに、
自宅避難している奥さんで、お子さんが小さいと大変そうです。学校や保育園は送り迎えに1時間以上かかる場所。送迎バスは途中から出ているが、待合場所は海の目の前。延長保育はできないため2時まで(保育士さんが足りないため)帰宅してから小学生を迎えに行っては間に合わないから、車で待って乗せてから帰宅。
時間の融通がきかないから臨時職員としても働けない(パートの募集はなし)





帰り道
石巻赤十字病院裏手

三陸道を下りました


約240キロ
片道3時間弱かかりました


今回も無事に帰ってこれました(^^)
みなさんからの支援に感謝です!

南三陸町には、2~3週間後に再度行く予定です車
「あまり頻繁だともらい癖がついて、ありがたいと思わなくなる」というAさんからのアドバイスでした

物資を集めています。ご協力、よろしくお願いしますm(__)m
(みなさん、無理のない範囲でお願いしますあせる細く、長くの支援をお願いします)



追記:支援した物資のリストが抜けていました。失礼しました珵
エプロン26
前掛け2
割烹着3
婦人服130
婆ちゃん服70
じいちゃん服30
男性服40
子供服15×2
婦人パンツ
婦人下着いろいろ
婦人靴下
紳士パンツ
紳士下着いろいろ
紳士靴下
帽子25

せっけん100
洗濯洗剤21
ブリーチ15
掃除用洗剤いろいろ14
シャンプー40(内10購入)
蚊取り線香5箱
殺虫スプレー10
ハエとりテープ(2~5巻き)100セット
ハエとりシート10
虫よけゲル15
ハエタタキ35

麺20袋
お菓子
野菜ジュース
缶詰
ソーセージ4
駄菓子セット50

BBクリーム41(内30購入)
日焼け止め12
汗ふきシート25
綿棒(少量15本)50
綿棒(ボトル)33
虫よけスプレー3
虫さされ薬9
目薬35(内20購入)
カットバン9
うちわ30
など。
数が多い物は数え間違いあるかもしれません。他にもリストに上げ忘れた物があるかもしれません。ご容赦くださいm(__)m



※mixiからの転用のため画像が表示されていません。ブログに慣れたら徐々にアップしたいと思いますm(__)m