岡山市・倉敷市玉島 リトミック・ピアノ ODA音楽教室 おとのわ 織田典恵 -16ページ目
前回の更新から、早1ヶ月。
夏休みも後半になりました。
予想していた通り、大忙しの夏休み。




そんな中、思ってもいなかった突然の別れがありました。


大学からのピアノの恩師の突然の死。
63歳という、早すぎる別れでした。


柳井修先生との出会いは、私が高校三年生のGW。
ホームレッスンに通っていた先生から、受験の為紹介されてのレッスンでした。


母とバスや電車を乗り継いで到着した先生のご自宅。
それまで女性の先生にしか習ったことのなかったピアノ。初めて受けた男性の先生のレッスンでした。
もうドキドキは半端なく、きちんと挨拶に声が出ていたかどうかもわかりません。

ツェルニー、バッハ、ベートーヴェンをみていただいた記憶がありますが、なにより、バッハを弾いた時のことは鮮明に覚えています。

「違うんだよ。違うんだよ!」
「は…はい…」
「だから、違うんだよ!」
「はい…」


「なんで、わからないかなぁ。違うんだよ!」

具体的な言葉でのレッスンではなく、先生の演奏から感じ取るレッスン。


その頃の私には、本当に難しく、先生の意図していることが分からず、ただただ、辛かった…。



帰りの道中、母に大学に受かっても、絶対柳井先生にはつかない!と涙ながらに話したこと、母もしっかり記憶していると。




それが、大学に入学して、いろいろな先生のレッスンを見学させていただき、選んだのは柳井先生のクラスでした。通称「柳井組」と呼ばれる先生のクラスは、本当にピアノの上手な、情熱的な先輩が多く、あんな風に音楽を奏でたい。ピアノを自由自在に操りたい。
そう思って決めた一大決心でした。



とはいいつつも、先生についたから急激に上手くなるわけでもなく、レッスンの前日は夜中遅くまで研究室に残り、練習。レッスン室のドアを開ける前は大きく深呼吸して、それでも毎回、レッスン後、ドアを閉めた瞬間、涙が流れる、そんな厳しいレッスンでした。





年を重ねるごとに、先生の意図していることが少しずつ感じ取れるようになり、迎えた卒業演奏。
今聞いても、心を揺さぶられる演奏ができました。





卒業後、進学しましたが、ありがたい縁で、門下生で「Salice e Amiche(サリチェ エ アミーケ)」と名付けたグループで演奏活動を続けて、もう20年が経ちます。

「柳と仲間」を意味するこのグループで、先生の手ほどきや、アドバイスを、受けながら、次回で19回目のコンサートを開催します。



そろそろ、先生に連絡し、みんなでご自宅に伺いたいなと思っていた矢先でした。





先生、早すぎます。
まだ教わりたいことが山ほどあります。
私達、まだまだ先生の支えが必要です。







でも、先生のおかげでたくさんの仲間ができました。
ありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。