ブラジルとアルゼンチンに股がっている世界遺産
【イグアスの滝】
Cataratas del Iguazú(スペイン語)・Cataratas do Iguaçu(ポル語)
(1986年 自然遺産 認定)
2002年に、訪れた旅行記です✈👜
イグアスへの入口Foz do Iguacuは、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの国境にあり、
私が最初にイグアスに行こうと思ったのは、滝よりも、ただ国境越えしたかったから(笑)
サンパウロからフォスドイグアスまで国内線で飛び
ブラジル側のYouth Hostelに泊まった。
オリンピックの開会式でも、アラブ移民が演出されていたけれど、
イグアスではケバブ屋さんや、ヒジャブを被った女性がたくさんいてびっくりした。
因みに、この後行ったPORT ALEGRE等は、ドイツ移民が多く、白人ばかり。
ブラジルというか南米大陸の南部には、ポルトガル人が入植した後、ドイツやイタリアなど欧州からの移民が多く、ウルグアイやアルゼンチンなども白人が多い。
今では日本でも見掛けるビールイベント「オクトーバーフェスト」
まだこんなにメジャーでない頃、
日系ブラジル人から
「ブラジルではドイツ移民が伝えて、今はブラジル全土に広がった」と教えて貰った。
(…何故か日本では収穫前の夏に多いけど…)
前回のサルヴァドールが黒人ばかりで「黒いローマ」と呼ばれてるのと対照的で、
南部は、アルゼンチンのブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれてる。
(……何故か、旧宗主国スペインやポルトガルの都市の例えでないのかは不明…)
さて、イグアスに到着した翌朝
朝一で、バスでブラジルとパラグアイに跨る
超~マイナーな「イタイプーダム」に一人バスで行き(何故、行こうと思ったんだろう?!)
やはり・・・・何にもなかった・・・
なんとなく消化不良のまま、 一度イグアス市内に戻ってから、
次は国境近くまで、また市内バスで行き
歩いて「友情の橋」を渡り、パラグアイに行った。
(パラグアイか?イグアスか?・・・サンパウロの橋か?覚えてない↓)
ブラジル出国の時に、税関でいつ戻って来るのか聞かれ、
「今日」と答えたら、そのまま通過していいと言われた。
……ユーロのシェンゲン協定みたい(笑)…
「南米の歩き方」には
「出国スタンプ無しでは、隣の国のイミグレーションで追い返されるので注意」とあったので、パラグアイの税関もそうだし、
またブラジルに再入国する時も心配で、どうすればいいか聞いたら、
税関の人に「私がここにいるから大丈夫」
みたいなことを言われ、ノースタンプでそのままパラグアイへ。
するとパラグアイでも同じ事聞かれ
「どうぞ」という感じで、ノースタンプのままでパラグアイに入国
この辺が南米(笑)
税関抜けると、そこはパラグアイのCiudad del Este
お土産屋みたいな免税店があり、埃っぽいお店が並んで
「Cambio! Cambio(両替は?)」と、中米みたいに闇両替も寄ってくる(笑)
店員もおじさんばかりで、珍しい東洋人(私)をみんながジロリとこちらを凝視
なんかすごーく嫌な雰囲気で、
特に行きたい所も無かったので、ここで初めて
「せっかく来たから、世界遺産のイグアスの滝に行こう!」
と(遅すぎ)、1時間後にはまたブラジルに戻ってきた。
そして今度は国際バスで
フォス・ド・イグアスからアルゼンチンのプエルト・イグアスまではバスで2時間前後(国境でのパスポートコントロール有り)
いざ、イグアスの滝のある国立公園へ!
この時点でもう、午後2時?3時?で
滝を下から眺めるボートツアーは終了。
そこでトロリーバスに乗り「悪魔の喉笛」と呼ばれている、滝の降下口へ
凄い轟音で大迫力
水飛沫が凄くて下が見えない!
虹が綺麗↓
でも、滝全体を見たわけではないので
イマイチ大きさがどのくらいなのかは分からないまま(笑)
世界最大級の滝を眺め終わり、ブラジルへ戻る為、国際バスターミナルでバスを待っていた時
遠くで、サンバの音が聞こえてきた・・・・
その音を辿ってみたら、なんと子供達がサンバパレードの練習をしていた
それも、リオやサンパウロスタイルでなく、ブラジル北部のバイーア(サルヴァドール)スタイル
体格のいい子が、スルドやフンド(太鼓)を叩き、
他の子は、タンボリン(パンデイロでない方)を叩く
感動したのが、それが全て手作りの楽器だということ
タンボリンには、トマト缶など(1kgサイズ)を切ったものや
ショカーリョは瓶の蓋を使ってみんな手作り
カメラを向けたら、みんな大興奮
そして、女子達はみんなダンサー
隊列や振り付けを合わせて踊り
みんなセクシーでチャーミング
監督らしきおばさんがいたので、ちょっと話を聞いたら・・・
なんと学校の先生
正にEscola de Samba
Real サンバ学校
一人興奮した私は、しばらく彼らの練習を見ていた
そして後ろ髪を引かれる思いで、バスターミナルへ戻ったら・・・
なんと ブラジル行の国際バスは最終便が終わってしまった
この田舎のターミナルには、ホテルらしきものもないし、
私はお昼すぎにアルゼンチンに渡って、その日のうちにブラジルに戻るつもりだったので、超軽装で、泊まる用意もなく・・・
仕方なく、タクシーでアルゼンチンからブラジルに戻った私。
でも日本人がブラジルに入るには、観光ビザの他、復路のエアチケットが必要だったけど、そんなもの、日帰り観光で持ってきてない私は
(入国した時は国際バスだったら簡略)
税関で足止めをくった…………
ブラジルからパラグアイに行った時は
「数時間後にすぐ戻るなら ノン プロブレマ!」と言って、入国スタンプも押さない程緩かったのに~・・・
その後、タクシーの運転手にも手伝ってもらい無事入国。
それにしても、一日で三カ国を一人で周遊した、超弾丸な一日だった
【イグアスの滝】
Cataratas del Iguazú(スペイン語)・Cataratas do Iguaçu(ポル語)
(1986年 自然遺産 認定)
2002年に、訪れた旅行記です✈👜
イグアスへの入口Foz do Iguacuは、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの国境にあり、
私が最初にイグアスに行こうと思ったのは、滝よりも、ただ国境越えしたかったから(笑)
サンパウロからフォスドイグアスまで国内線で飛び
ブラジル側のYouth Hostelに泊まった。
オリンピックの開会式でも、アラブ移民が演出されていたけれど、
イグアスではケバブ屋さんや、ヒジャブを被った女性がたくさんいてびっくりした。
因みに、この後行ったPORT ALEGRE等は、ドイツ移民が多く、白人ばかり。
ブラジルというか南米大陸の南部には、ポルトガル人が入植した後、ドイツやイタリアなど欧州からの移民が多く、ウルグアイやアルゼンチンなども白人が多い。
今では日本でも見掛けるビールイベント「オクトーバーフェスト」
まだこんなにメジャーでない頃、
日系ブラジル人から
「ブラジルではドイツ移民が伝えて、今はブラジル全土に広がった」と教えて貰った。
(…何故か日本では収穫前の夏に多いけど…)
前回のサルヴァドールが黒人ばかりで「黒いローマ」と呼ばれてるのと対照的で、
南部は、アルゼンチンのブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれてる。
(……何故か、旧宗主国スペインやポルトガルの都市の例えでないのかは不明…)
さて、イグアスに到着した翌朝
朝一で、バスでブラジルとパラグアイに跨る
超~マイナーな「イタイプーダム」に一人バスで行き(何故、行こうと思ったんだろう?!)
やはり・・・・何にもなかった・・・
なんとなく消化不良のまま、 一度イグアス市内に戻ってから、
次は国境近くまで、また市内バスで行き
歩いて「友情の橋」を渡り、パラグアイに行った。
(パラグアイか?イグアスか?・・・サンパウロの橋か?覚えてない↓)
ブラジル出国の時に、税関でいつ戻って来るのか聞かれ、
「今日」と答えたら、そのまま通過していいと言われた。
……ユーロのシェンゲン協定みたい(笑)…
「南米の歩き方」には
「出国スタンプ無しでは、隣の国のイミグレーションで追い返されるので注意」とあったので、パラグアイの税関もそうだし、
またブラジルに再入国する時も心配で、どうすればいいか聞いたら、
税関の人に「私がここにいるから大丈夫」
みたいなことを言われ、ノースタンプでそのままパラグアイへ。
するとパラグアイでも同じ事聞かれ
「どうぞ」という感じで、ノースタンプのままでパラグアイに入国
この辺が南米(笑)
税関抜けると、そこはパラグアイのCiudad del Este
お土産屋みたいな免税店があり、埃っぽいお店が並んで
「Cambio! Cambio(両替は?)」と、中米みたいに闇両替も寄ってくる(笑)
店員もおじさんばかりで、珍しい東洋人(私)をみんながジロリとこちらを凝視
なんかすごーく嫌な雰囲気で、
特に行きたい所も無かったので、ここで初めて
「せっかく来たから、世界遺産のイグアスの滝に行こう!」
と(遅すぎ)、1時間後にはまたブラジルに戻ってきた。
そして今度は国際バスで
フォス・ド・イグアスからアルゼンチンのプエルト・イグアスまではバスで2時間前後(国境でのパスポートコントロール有り)
いざ、イグアスの滝のある国立公園へ!
この時点でもう、午後2時?3時?で
滝を下から眺めるボートツアーは終了。
そこでトロリーバスに乗り「悪魔の喉笛」と呼ばれている、滝の降下口へ
凄い轟音で大迫力
水飛沫が凄くて下が見えない!
虹が綺麗↓
でも、滝全体を見たわけではないので
イマイチ大きさがどのくらいなのかは分からないまま(笑)
世界最大級の滝を眺め終わり、ブラジルへ戻る為、国際バスターミナルでバスを待っていた時
遠くで、サンバの音が聞こえてきた・・・・
その音を辿ってみたら、なんと子供達がサンバパレードの練習をしていた
それも、リオやサンパウロスタイルでなく、ブラジル北部のバイーア(サルヴァドール)スタイル
体格のいい子が、スルドやフンド(太鼓)を叩き、
他の子は、タンボリン(パンデイロでない方)を叩く
感動したのが、それが全て手作りの楽器だということ
タンボリンには、トマト缶など(1kgサイズ)を切ったものや
ショカーリョは瓶の蓋を使ってみんな手作り
カメラを向けたら、みんな大興奮
そして、女子達はみんなダンサー
隊列や振り付けを合わせて踊り
みんなセクシーでチャーミング
監督らしきおばさんがいたので、ちょっと話を聞いたら・・・
なんと学校の先生
正にEscola de Samba
Real サンバ学校
一人興奮した私は、しばらく彼らの練習を見ていた
そして後ろ髪を引かれる思いで、バスターミナルへ戻ったら・・・
なんと ブラジル行の国際バスは最終便が終わってしまった
この田舎のターミナルには、ホテルらしきものもないし、
私はお昼すぎにアルゼンチンに渡って、その日のうちにブラジルに戻るつもりだったので、超軽装で、泊まる用意もなく・・・
仕方なく、タクシーでアルゼンチンからブラジルに戻った私。
でも日本人がブラジルに入るには、観光ビザの他、復路のエアチケットが必要だったけど、そんなもの、日帰り観光で持ってきてない私は
(入国した時は国際バスだったら簡略)
税関で足止めをくった…………
ブラジルからパラグアイに行った時は
「数時間後にすぐ戻るなら ノン プロブレマ!」と言って、入国スタンプも押さない程緩かったのに~・・・
その後、タクシーの運転手にも手伝ってもらい無事入国。
それにしても、一日で三カ国を一人で周遊した、超弾丸な一日だった