初めて投稿します。
私は今、免疫系の進行性難病で身体の自由が奪われ悔しい思いをしています。
やりたい事は全て失い早13年。
未だに失うばかりで得るものが少ない人生です
今は毎日ベッドで半寝たきりの入退院を繰り返す生活、失明もしているので、テレビの楽しみも無く、このブログも音声入力です
命に関わる難病でない分、タチが悪く先が見えず色々な治療を試し、日に日に身体や臓器に弊害が出てきます。
見えないゴールを走るマラソン程辛いものはありません。
メジャーな難病の様に余命を告げて貰った方がどれだけ心の整理がつくか。
など、当事者には失礼な事を考えてしまう事もよくあります。
さて、タイトルについて
私は昨年、持病とは別に服薬の関係でウィルス性肺炎になり2回ほど死の淵に立ちました。
その時は息もできず、輸血や人工呼吸器で数日過ごし、その後も飲食は数週間てんてきでした。
この時、初めて『生きる幸せ』について考えさせられました。
病気でやりたいことができない、自由がない、幸せではない。
そう考えていた自分ですが、この時、回復するにつれ『息ができる』『飲食が出来る』これって幸せな事だよな!
世の中には栄養失調で亡くなる子供が数多くいる、自分の恵まれている当たり前を見落としていました。
何でも当たり前の事は、見落としがちになり、有り難みを感じにくいものです。
何かに疲れた時、ふと立ち止まり空を見上げて青空を見上げるだけ、雨の日に外出せずに窓を開けて雨の音を聞くだけ、それだけでも幸せを感じる事ができるかもしれませんよ。
私は今それくらいしかできないから、それで幸せを感じて、1日が痛みなく過ぎたことに感謝しています^_^
知人がある出来事で落ち込んでいるので、ふと思いをブログにしてみました。