果てしない演劇~いちばんはじめは | きゅっきゅ8のえんがわで

きゅっきゅ8のえんがわで

人生は演劇だ。社会劇場、世間の目を観客に、何者かを演じて生きる。無限大の可能性を信じて、制服に征服されぬよう、着たい服をまとい息をする。こころの店、きゅっきゅ8(きゅっきゅや)のえんがわで、うたたねしながら感じる音や光。
ゆき過ぎる日常をたねに、うたう。


制作だな

もし、自分が企画やるとして、一番はじめに決めたいのは制作を頼む人。

今まで、制作の端々のお手伝いや、進行状態を見守る補佐的な役割は担ってきた。

けれど、全般的にやったことはなくて、どちらかというと、主でやるのは照明、音響、宣伝美術などだった。

たぶん、班長ではなく副班長みたいなポジションがいいんだな自分。

今、あの人、手が足りなそうとか、一人でたくさん抱えて無理してるかも みたいなのは、気づきやすい。
かといって、自分が助けてあげられる能力は無い。だから、その人を助けてあげられる人を探して頼む。で、また見守る。

期限までに、各々が無理なく進行できるように、気をつけて見守る。


そんな感じ、きっと。


劇団で、各スタッフの補佐を、ずっとやっているうち、「○○だったら、誰」みたいに究めたものが無いことが、自分で嫌になってきていた。自分は何の役に立っているのか、明確に分からなくて。
かといって、役者より裏方への興味が尽きない。



幼い頃から、やることなすこと遅くて、習得も人の倍以上時間がかかっていた。やっと自分が少し役に立てる場所を見つけたけれど、また遠くなるようで。
それはもう、ずっと悩んでいて、そのことで演劇やめようかと思ったこともあった。

そして、少しの間、音響(+照明少し)を生業にしてみた。けれど、やっぱり色々やりたくなる。

飽きっぽいからね。そして、常に色々なものに興味が尽きないから?


どこまでやっていいかというのは、仕事では上限があるし、技術的にできることでも、何でもかんでも引き受けて良いわけではない。お金が絡んでくるから、本当に、始めの約束と少しでも違ってきた時点で改めて書面で契約をしないとならない。過去、大失敗をしたので、身にしみている。生活していけなくなる。
長年、趣味で演劇をやっていたので、良い舞台にするために、できる事ならどこまでも、という思いがあったことも大失敗の原因。


そんなことが色々あり、スタッフをやること自体が怖くなっていた最近。

昨日、公演のお手伝いをさせていただいた。

もう、緊張して眠れないわ胃が痛いわだったし、全然動けなかったけれど、色々学ばせてもらった。


多くの分野が集まってつくられるものの何か一つを担うには、他の分野のこともある程度知っていた方がよいと、私は思う。

演劇は果てしないな。

つくづく思う。