”アナスタシア最新10巻のすすめ アナスタシアも普通の人間!” | ユリのふるさと創り

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アナスタシア8巻下と10巻を読み終え…。

 

 

 

 

10巻まで読んだ読者さん、感想書いてるかな~と調べていたら、

ヒットしました!

 

こちら ゆかさんはドイツ語版のアナスタシアを読まれたそうです。

 

著者のお墨付き英語版の改訳バージョンもおすすめされてました!

 

 

 

 

そう、10巻を読み終えたからだと思うのですが、

私も、ゆかさんの言葉に共感できる部分がありました。

 

 

「アナスタシアも普通の人間!」

 

 

その意識が強くなっています。

 

 

(以下、一部引用)

 

最初ハマりまくった時は 

これが絶対と思って、 

どこか崇めてたかも。

 

 

 

アナスタシアは好きだし尊敬するし 

大切なことを色々と教えてくれるけど 

 

やっぱり人間。 

完璧じゃない。 

 

全体の一部。 

真理の一部。 

 

 

 

そう思えるようになったのは 

 

10巻最新刊を読んだのも大きい。

 

 

 

10巻では、アナスタシアの息子が母アナスタシアの想像を超えた瞬間が描写されているんです。

 

 

アナスタシアの言葉が真実で、真理で、完璧な答えと思っていたのですが、

 

親を超える子供の描写と、その後のアナスタシアの情感に打ちのめされました。

 

 

そして、今さらですが大事なことに気づきました。

 

 

 

アナスタシアは、人間で、普通の女の子でした。

 

 

 

ただ、必要な情報を好きな時に受け取れるというだけ。

 

ただ、創造の力の扱い方が上手なだけ。

 

 

 

それが本来の人間で、私たちがその能力を使っていないか、使いこなせていないだけ。

 

 

 

確かに、私たちは思考から創造できるし、アナスタシアも息子君もそれを確信しています。

 

 

 

同じ真実を知っている母と息子が、それぞれの自分の意図するところが異なるという面白い発見もありました。

 

 

今までは、アナスタシアしか見ていなかったけど、アナスタシアと同じ土台に立つ息子君が現れたことで、

 

読者はアナスタシアとの対等な存在と比較して見ることが出来るようになったからかもしれません。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 

そしてもう全然関係ない話ですが、

 

書きたい気持ちとイメージがあるのに、子供たちに話しかけられると意識が分散してもうさっき書いていた時と同じ状態ではなくなりました。

 

 

アナスタシアや、アナスタシアのおじいちゃんたちが言っていた、人が思想しているときにそれ妨害してはいけないという言葉が身に沁みます。

 

 

くうっえーんもう書けない…。

 

 

あれしとかないと、これもしないとという、いろんな思考が飛び交い始めました…。

 

 

私の暮らす現代社会って、やりたいことに集中させないようにする環境が整っているのかもしれません。

 

 

アナスタシアに集中したいので、まずは家で気になる出来事を1つづつ無くしていこうと思います…。

 

 

 

 

もう少し先の未来では、自分の時間が妨げられることなく、自由で静かな環境を創りだしたいです。

 

 

 

木の枝や葉っぱが、陽の光を和らげてできる木漏れ日。

 

鳥の鳴き声や、虫の声、風に揺られる草木の音。

 

少し離れたところからは、水がせせらぐ音も聞こえてきて。

 

そんな環境で思想出来たらいいな照れ