お風呂とタオルとアナスタシア | ユリのふるさと創り

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アナスタシア シベリア杉シリーズを読んだことある人いますか?
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昨日、お風呂に入りながらお風呂掃除をしていました。

 

そしたら、濡れていた肌が乾いてきて。

 

確か、タオルで拭かないと肌の水分が一緒に蒸発しちゃうっていうのをどこかで聞いたな~って思っていたらアナスタシアの事を思い出して。

 

 

アナスタシアのお風呂は、湖での水浴びだろうし、タオルなんてないから風での自然乾燥。

 

 

きっとそれが本来の自然なあり方だろうから、

タオルで拭かなくてこのままでもお肌乾燥しないのかも。

 

 

あ、でも自然の湖と違って水道水は塩素とかいろいろ不純物が入ってるだろうから、だから肌乾燥とかが起きるのかも。

 

 

その土地の自然浄化作用を超える人間が集まって暮らすことになってるから、水の最低限の浄化を進めるために人間が処理して手を加えてる。

 

そもそも、そこまで密集する必要が無かったら水道に塩素入れなくても済むよね。

 

 

と、掃除しつつ黙々とそんなことを考えていました。

 

 

 

私はいったい人生のどのくらいの時間を掃除に費やすんだろうって考えたり。

 

 

お風呂に生えたカビを見て、このカビを落とす事を考えるのにどのくらいの人生を使うんだろう。

 

 

湖風呂なら掃除は自然のサイクルがやってくれるから人間の手いらずだよな、いいなーって思ったり。

 

 

家っていう自然界からしたらごく小さな空間に、毎日湯気が立ち上るような一室があればそりゃあカビも繁殖するよなって思ったり。

 

 

 

時と場所は変わり。

 

庭で、お隣さんの敷地に伸びていきそうな雑草を取りながら、一世帯1ヘクタールの広さだったら、ご近所さんとの近隣問題系も世の中から消えそうって思ったり。

 

 

 

また時と場所が変わり。

 

お仕事で肉体疲労蓄積している夫を見て、

 

マッサージとかリラクゼーション施設が繁盛する世の中って、疲れてる人が多い社会だって事だから、やっぱりこの社会のシステムはどっか歪んでるなって思ったり。

 

 

 

 

またまた時と場所が変わり。

 

 

子どもを園に送る時に、時間が迫ってくるとイラっとして急ぎ気味になる。

 

子どもがぐずる。

 

ぐずった子どもを急かして家を出ようとするとき、

 

時間ってものは、この社会で生きるために必要なもので、

 

何で私の人生は社会に合わせるために時間を守らないといけないんだ?って思いました。

 

 

社会って構造を守るために動いてる(生きてる)みたい。

 

 

私やそれ以外の人が生きてる全体を総じて”社会”って呼ぶんじゃないのかな。

 

 

 

自分が大きな枠の中にいる感覚になったとき、

 

私自身がそうした社会を構築してるんだから、

 

イヤだって思うなら、違う生き方を創造すればいい、って思いました。

 

 

 

きっと今、違う生き方を夢見たり想像したりしてる人がいっぱいいる気がするし。

 

 

 

私はどう生きたいのかな。

 

 

結局は、そこの追及にまた戻るんだと思いました(;^_^A