
私は次男次女の四女で五十なんで、じいさんもばあさんもすでに他界しております、とっくに
そんでうちの息子たちはどうかというと、これもまた私の父親は早死にしてるし、父方のじいさんとばあさんは私が看取って三回忌出してから別れてるんで、もううちの母親しかおりません
父方のじいさんばあさんがまた激しいヒトたちで
ここでは書ききれない激しさ
正に一冊の本ができます
ひいばあさんもすごかったし
追々書きたいと思います
とりあえず、初めてお邪魔した時の姑の話
息子が初めて彼女連れてくるってんですげー気取ってました
掘っ立て小屋にテーブルとテレビ置いただけみたいな家で
ほとんど外
じいさんはアル中
ほとんどアパッチ野球軍
子供の頃の元夫、よくがんばりました
この穴蔵みたい家でよくぞ町一番の進学校に受かって生徒会長までしました
もちろん進学資金などなく、防衛大落ちたらさっさと自衛官
さすが元好きになった男
んで、お茶入れてくれて
緊張しながら「お母さんは元気なの?」かなんか言われて
はあ、正月早々酔っ払ったあんたに一発怒鳴られてるけどな、うちの母親
その話はまた置いといて
テレビでは何か動物の番組
コモドドラゴンがすげー勢いで走ってます
姑、急須にお湯注ぎながら
「まぁぁぁ、こわい。なにかしら、これ。コモンドドランゴ?イヤねぇ」
コモンドドランゴ
コモンドドランゴって言ったよ
とりあえず
はじめましてなんでガマンしました
結婚後も
息子にタオルケットかなんかくれて
世界で一番有名なアメリカ漫画のビーグル犬を指さし
「はい、スヌーポイ」
スヌーポイ
スヌーポイって言ったよ
ほんと、ご近所の人たちからも親戚からも
「よくぞ嫁に来る勇気が」
言われた両親ですが
私は全然同居しても平気だと言ったら
実の息子がそれだけは言っちゃダメだと
俺は親子だけど金ですむもんならすまして縁を切りたいと
でもね
息子たちにはいいじいちゃんばあちゃんだったの
初孫を、そりゃあ不器用に目一杯かわいがってくれたの
涙の鼻水のたらしながら
だから私にゃ他人だけど、毎日病院寝泊まりしたの
老眼の目をクッと離して、ヨーグルトの蓋の賞味期限をじーっと見きわめ
サッと蓋をはがし表面の「なにか」をサッとすくいとってピッと捨て
「はい、買ったばかりだから」
と息子に食わそうとする日常
「すみません、今、お腹の調子が悪くて」
と言ってたのは最初のうちだけだったがな
でも最近、よく思い出す
もう10年かぁ
オソロシかったけど、葬式で全部忘れた
よくしてくれたことだけ、おぼえとくよ
今月の15日がじいさんの命日
さすがクソじじい、わざわざ結婚記念日に息を引き取りました
その10日後に「もうちょっと、いいおもいしても、ばちはあたんないよねぇ」言いながらばあさんも亡くなり
直前までどこどこの煎餅が食いたいだの○○屋のダンゴ買ってこいだの、もう氷をなめるのがやっとだったのに
しまいにゃ別々の病院に入院してた二人が嫁を取り合い
じいさんなんか脳梗塞起こしてんのに、ばあさんとこに行こうとすると「行っちゃうなら寝ないぞ!」と訳のわからんオドシをかけてくるし
ばあさんはばあさんで、私が担当の先生をものすごく誉めたら
「たい子さんが先生に取られちゃう」と泣き出すし
二人の葬式をいっぺんに出して
来てくだすった皆さんが
「まあ、いっぺんに片づいてくれたんが、せめてもの嫁孝行だったねぇ」と
ずいぶんな言われようだけどな
じいちゃんばあちゃんがまっすぐにうんと愛してくれたおかげで、息子たちはおもいやりのあるいい男に育ちましたよ
たった一人残ったうちのばあさんを、とても慕ってくれますよ
だから欲かかないでちゃんと成仏しろ
してると思います
プリーズ!