テニスが大好きで毎週3回スクールに通っていました。
学生時代にやっていて長く離れていたのですが
元気な老後を送ろうと再開,
週3のおかげで二の腕の筋肉が自慢になりました(´ω`)
病気になる前の年の暮れに右肘を痛めて休み
テニスができなくなって2年が過ぎました。
いつできるかな。
ラケットは新しいガットを張って靴も新調して
出番を待っています。
わたしは今55歳。
子どもが3人います。
もうみんな独り立ちしています。
同い年だった夫は40歳で他界しました。
家族性大腸腺腫症からの
大腸ガン,肝臓ガンに負けて死んでしまいました。
家族性という病名がついているだけに
遺伝の確率は2分の1,
長男と次女が遺伝していてそれぞれ10代で大腸を全摘出しました。
(夫と子どもの話はまたいつか。)
それで,末っ子が巣立ったあと
わたしは第2の人生を求めて
生まれ育った九州を猫と一緒に飛び出しました。
茶猫はちっち,グレーはちいちゃん。
肘を痛めてテニスを休んだのは
引っ越した先でのことです。
家の近くに接骨院で治療をしてもらっていたのですが
日を追うごとに左腕が痛くなり
背中,腰と増えていきました。
最初は筋肉が炎症しているとか強張っていると言って
施術してくれていた先生がある日
「うーん,こんなに筋肉が柔らかいのに
この痛みはおかしい。内臓かな。。。」
と言い出しました。
やーだ先生ったらー脅さないで〜(;゜∇゜)
と思っていたのですが
しばらくすると胃が痛むようになりました。
食べ過ぎで痛むのだろうと思い
消化の良いものを食べたりお風呂で温めたりしましたが
一向によくならずとうとう横になって眠ることができなくなりました。
布団に座り壁にもたれて眠りについて
いつの間にか横になっていて痛みで目が覚める,
そんな生活を2週間続けました。
ちょっとおかしいなぁ。
これは胃じゃなくて胆嚢だ。。。
ひどい胆嚢炎で胆嚢を摘出した父を見ていたので
なんとなくわかりました。
で,
消化器系の検査が抜群にうまいと評判の個人病院へ行きました。
胃カメラも胆嚢の検査も数ヶ月待ちってo(><)o
とにかく痛むので血液検査をして先生の診察を待ちました。
ラッキーなことにキャンセルが出て胆嚢を診てもらえたのですが,
胆嚢もちょっと悪かったのですが,
それどころではありませんでした。
「もういつ倒れて死ぬかわからないほど血液の状態が悪いですよ。」
すぐに近くの市民病院へ緊急外来で行くようにと言われました。
言いながら先生は市民病院に電話をしていました。
そして白血病かもしれないよと言われました。
やーだー先生ったら脅さないでください〜。
胆嚢が痛いだけですよー。
市民病院に行って何か検査をした気がします。
そのあと処置室みたいな
カーテンで仕切られたベッドに座って待っていたら
青いシャツを着た数人の先生が腕組みをして入ってきて
「足にアザができていませんか?」
えー,できてないけど。。。と思いながら
スカートを膝下くらいまでめくったら
足首に3つ覚えのないアザがありました。
「あーあーあーあー」
と言いながら頷く先生たち。
「ここで治療をするか医大でするかこれから話し合ってきます。」
しばらく待たされて現れた時は
白衣姿の先生がひとり増えていて
「明日から医大で治療します。」
って。
それから車椅子に乗せられて
カーテンで仕切っただけのブースや
小さな部屋のように仕切りとドアのあるブースがいくつもある
ただっ広い部屋に連れて行かれました。
わたしは壁とドアのあるブース。
お手洗いに行くにも看護士さんがついてきて
あの。。。ひとりで大丈夫なんですけど。。。(´・_・`)
一晩明けて医大病院の看護師さんがお迎えにきました。
市民病院と医大病院は隣接していて
何階かが廊下で繋がっているんです。
わたしは車椅子に乗ってその廊下を渡り
医大病院の血液内科に入院しました。
昨日まで普通に生活していました。
仕事場には
ちょっと体調が悪いので検査してきます。
明後日は普通に出勤します。
と言って休みを1日もらいました。
職場のわたしの机です。
わたしの仕事のひとつ。
病院で検査したあとで免許の更新に行くはずでした。
8月3日は親しい人たちと川に行ってバーベキューをしました。
わたしは仲良したちと川に入って遊びました。
岩から飛び込んで溺れたり
(思ったより深くて。。。カナヅチなんです。笑)
浮き輪に座って流されたり
賑やかで楽しい時間を過ごしました。
河原で見つけた豚バラ肉にしか見えない石。笑
テニスこそできなかったけれど
家事をして仕事をして友だちや猫たちと遊んで。
そんなのどかなわたしの生活は
2018年8月16日を境に一変しました。