昨日の記憶の呼び起こし。
上手くまとめられないうえ、覚え書きのため、コメント欄を閉めます。
今回のカウンセリングでの大きなテーマは、源家族について。
幼い頃の私は、父親から虐げられて笑いものにされて、身体的虐待は無いにせよ、精神的にはかなり傷ついた。
橋の下から拾ってきた子。
そう、親戚の前で言われて、泣く私を見て父と親戚中が笑っていた。
一度じゃない。
機会がある度、何度でも言われた。
母が味方でいてくれると信じていたのに、実はそうでもなかった。
母は自分の体裁を保つため、時に父に同調し、表立って皆の前で私を守る事はしてくれなかった。
それだけじゃないんだけどね。
カウンセラーさんに、小さいワタシがたくさん傷ついたエピソードを話してみて、
「それでも両親を好きになりたいのか?」の問いかけに対し、
「NO!!」としか言えなかった。
実は私は、自分が自分でいるために、「可哀想な自分」でい続けるために、記憶の操作をしたんじゃないか?って思い始めていた。
家で虐げられた??記憶、
学校でいじめられた記憶、
全部私が都合よく作り上げたんじゃないか?って。
だけどね。
カウンセラーさんは、
「もし作った記憶だとして、それを作ったことによってあなたに何の得があるの?
もし記憶が作れるのなら、それを消すことだってできたんじゃない?
消す事が出来なかったってことは、やはり本当に体験した事なのよ。」
と言ってくれた。
そうだよね。
苦しかったのは事実。
悲しかったのも事実。
40年近く父親メインに向かっていた怒りの矛先は、今方向を変えて母親にも向かい始めた。
父親を許す事が出来ないんだもの。
あっさり母親を許す事なんて出来る訳ないじゃない。
頭の中ではいろんな感情と、世間体とが交錯し、混乱している。
今はただ、アタマもココロも穏やかになるように、静かな時間を過ごしたい。