5:ケアテイカー(お世話焼き)
最終的に職業にまでつながってしまった役割。
ケアテイカー。
先に書いたクラウンの記事に繋がる部分も大きいのですが、母に対してワタシはケアテイカーでもあったような気がする。
母は、父や父の親族の事、仕事の事、借金の事、自分の友人の事、自分の親族の事・・・あらゆる不満を私にぶちまけた。
感情的じゃなく、落ち着いて話をしてくれるので、決して八つ当たりしているつもりはないんだろうけれど。
「ワタシにだけは何でも話してくれた」気がしていた。
でも、どれひとつとして子どものワタシに解決できる事なんてない。
本来おしゃべりなワタシも、そんな時はとにかく聞き役に徹した。
父と兄は不在がちで、母と2人で出かける機会が多かった。
いつも助手席から、運転席の母の横顔を見ていた。
母は前を向いて運転をしながら話をする。
明るい表情はあまり記憶にない。
いつも何かに苦しんでいたんだと思う。
母は父と離れられない共依存者。
私はどうしても、母を救ってあげたかった。
何度もチャンスはあったし、何度も本気で離婚を勧めた。
でも「そこ」にとどまる事を自ら選び、今も変わらぬ環境で生活を続ける母。
救えなかった自分が不甲斐なくて仕方がなかった。
気付いたら、私も母に共依存していたんだね。
母を救えない分、他の誰かを救いたい。
共依存者が自ら選ぶ確率が高いと言われる職業を、私も選んでいた。
自分がしっかりしているから、誰かを支えられるんじゃない。
「誰かを支えている自分」じゃないと、自分じゃいられないんだ。
きっと。
で、
出来上がってしまったのが今の姿。
何を得ても満足できない私。
一応結婚もして、子どももいて、人並みの生活が送れてる。
だけど劣等感の塊で、いつも悲劇のヒロインで。
誰かが「可哀想」なんて言葉をかけてくれたら、「ね。私って可哀想でしょ♪」って小躍りして喜んでいるのかもしれない。
構ってちゃんなんだ。
最低だ。
残念だけど、存在価値をまるで感じない。
ただ無駄にカロリーを体内に取り入れ、エネルギーを消費してるだけだ。
子どもたちの、「お母さん、ダイスキ
」って言葉が虚しく心に突き刺さります。私には決して言えない言葉だから。
きこきこ