今回は、ここ何年かで日本でも導入されている「コライト」について
僕なりの想いや考えを述べたいと思います。
僕の感覚では、いわゆる「共同作業です」という位置付けです。
各メンバーの得意分野を組み合わせて、最高のモノを作る。
これが僕の中での「コライト」です。
メロディーを作るのが得意な人もいるでしょう。
音色作りが得意な人もいるでしょう。
リズムセクションに拘りが強い人もいるでしょう。
ベースラインにうるさい人もいるでしょう。
作曲よりも編曲の方が得意な人もいるでしょう。
それらの得意分野を組み合わせる事が大事です。
そして、キチンと意見を言う事も大事です。
それは、自分の意見が通らないから言うのではなく、
あくまでも「この作品(音楽)を良くする為」に言う事が大事です。
日本のチームであるパターンで
「俺(リーダー)の言う事を聞けないなら、抜けろ!」
「気に入らないから、そのメンバーのパートをざっくりカットする」
みたいな事があるそうです。
まず「何の為・誰の為に自分達はチームで音楽を作るのか?」
を良く考えて、コライト(共同作業)を行わなければなりません。
「コライトでチームを作って、音楽を作れば良いモノが出来るようだ」
という単純で曖昧な思考でスタートし、コンテニューさせていても
良いモノは出来ません。
ではなぜ「コライト」をやる意味があるのか?
1人で音楽制作をしてはダメなのか?
僕の考えは、「コライト」しても・しなくても構わないという事です。
したければすればイイし、したくなければしなくてもイイ。
問題なのは
「ここ数年でコライトが当たり前になっているから、やろう!(やらなくては!)」
的な思考でスタートしたり、コンテニューしたりする事が問題です。
知っていますか?
海外の音楽制作ではもうかなり昔(僕がその存在を認識したのが2010年辺り)から
「コライト(チームでの共同作業)」であった事を。
古く言えば「PWL(イギリス・1980年代後半ー)」も、
ある種の「コライトチーム」だったというのが僕の認識です。
(小室哲哉さんがPWLから強い影響を受けた)
つまり海外の音楽制作シーンでは、古くから昔からあった制作手法なんです。
日本の導入が、だいぶというかかなり遅れているだけ。
もっと言えば、隣国・韓国のK-POPシーンもKARAの時代(2007年ー)から
「コライトチーム」が存在していました。(Sweetune)
※現在は「e.one」「Black Eyed Pilseung」など
その他多数コライトチームが存在している認識です。
日本がなぜここ数年になって「コライト」を導入する流れになったのか?
個人的な考えですが、
「日本のリスナーが邦楽よりも洋楽を聴くようになった」
「どうやらそに楽曲のほとんどは、チームで制作しているようだ」
もしこれらが本当ならば
若干というかだいぶ短絡的な導入の仕方だと思います。
特に海外では「コライトチーム」というよりは「音楽プロデュースチーム」
と呼ばれる事が多いようです。