『代表的日本人』であった。

『後世への最大遺物』と共に読み、

内村鑑三の功なのか、その訳者の功なのか、勇壮な文体に

心惹かれた。

 

今までお会いした人の中では、おそらく教育者のあの方に最も近い。

とある中高一貫校の理事長兼校長先生に。

その方を僭越ながら敬愛している。

 

おそらくは読まれたのだと思う。

内村鑑三の語り口に、大変近しいと感じたからである。

男を教育する人は、厳しく、懐が深く、そこはかとなく優しい。

 

後世への最大遺訓では、

金、事業、思想、高尚なる生涯を後世に残すべき、との言に、いまだ変わらぬ良さがある。

 

時間をあけて、そののちに読んだらまたその味わいが増しそうだ。

 

 

 

一人で食べても、

二人で食べても、

飯は飯。

個食でも問題はないが、

落ち着いたひと時を過ごしながら二人で食べるのもよい。

 

そのような昼飯どきであった。

職場で隣の席に座っている子と、

ゆっくりと飯を食った。

 

普段は入電対応のために時間差で食事をとろうとするので一緒に行くことはないが、

今日は自分が休日出勤であったのを見かねて、誘ってくれたのだろう。

 

それでもありである。

定食をちょいちょい食べながら、

様々なことを話して、

ちょっとしたいい時間を過ごせた。

 

七人家族の家庭で育ったので、いつも賑やかな食卓を囲んでいた。

会話が途切れることなく、今日一日がどのように過ぎたかが分かったような気がした。

爺さん婆さんは優しく好きなものを分けてくれたが、

兄弟間ではおかずの取り合いがあるなど熾烈だった覚えがある。

 

翻って個食の毎日はどうか。

これもこれでまたよい。

相手に気遣ってメニューを選ぶ必要もなく、

ただひたすらに食べることに夢中になってよく、

考えごとをしていれば、

それも楽しみながら、飯を楽しみながら。

 

だれと何を食べたか。

それを数え上げるべき年頃になってきたのかもしれない。

少しずつこれとも決別の時が来ているのか。

 

何人でもよい。

気心の知れた人間と、食卓を囲むこと。

その割合を増やせると、

少しは無駄食いが防げるのかもしれないな。

搾取する側に回りたいというわけではない。

搾取される側からの脱却を図りたいということだ。

 

問題点を上げればきりがないが、

やはり人の汚点をあげつらって溜飲を下げるのではなく、

自分がすべき事柄に集中して、成果を上げることの方が、

大事なだということ。

 

その方向性を邪魔する際に、

その欠点をあげつらって生きればよい。

そのように考える今日この頃。

 

いったん無駄な脂肪を落とし、

こんごのためにもう一段脂肪を落とし、

筋トレを進める。

 

その繰り返しの1年を過ごそうと思う。