ずっと更新をしてませんでしたが、復活しました!
今までは、教師になるためのことを色々と書いていましたが、これからは教師になってから考えることを書いていこうと思います。

今まで読んでいただいたことのある方、また新たに興味を持っていただける方、通りすがりの方、大歓迎です!

色々と発見したことや、ボヤキもあると思いますが、よろしくお願いします!

今日は、教育委員会の職務についてまとめよう。


教育法規において校長、教育委員会、任命権者などの職務は色々ごちゃごちゃしててややこしい。


まず、教育委員会の主な職務は



・就学に関すること


・学校の管理に関すること


・研修に関すること


・免許状の発行(授与)に関すること



教育委員会は、学校や、その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取り扱い及び教育職員の身分取り扱いに関する事務、社会教育など多岐にわたっている。


まず「就学」に関することであるが、市町村の教育委員会は、当該市町村の区域内に住所を有する学齢児童について「学齢簿」を作成しなければならない。


また「学校管理」については、当該学校を設置する市町村・都道府県教育委員会が公立学校の休業日を定めなければならない。


また「免許状」については、都道府県の教育委員会が授与し、普通免許状・特別免許状は授与された翌日から起算して10年を経過する非の属する年度末日まで効力を持つ。




ちなみに今話題になっている教員免許更新制度において、教員は10年に一度免許更新をしなければいけない。

その研修は30時間以上と規定されており、有効期限の2年前から研修を受けることが可能となっている。


このことにより、生徒がますます多様化している現代で指導力不足の教員の徹底研修や、多様化している生徒に柔軟に対応できる人材の育成が期待されている。

また免許を取るだけの「ペーパーティーチャー」の排除がねらいとされている。




話が反れたが、俺自身問題を解いていてよく問われると感じたのが「性行不良による停学処分」である。

これは、性行不良によって他の生徒に影響があると判断されたときに行われる処分であり、市町村の教育委員会が権限を持っている。

この場合は、懲戒の意味ではなく学校の秩序を保つという観点から、その「保護者」に対して命じられる。


また伝染病のため、出席停止にする場合は「校長」が権限を持っているので違いを押さえておきたい。


次は校長の職務でもまとめるとしよう。

はい。

今日は、最近勉強した答申を分析したいと思う。

テーマは「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領の改善について」



まず、冒頭に今後の教育において重視すべき理念として、新たに


「公共の精神、生命や自然を尊重する態度、伝統や文化を尊重し、わが国と郷土を愛するとともに、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」


ということが規定された。


また、教育基本法や学校基本法の一部改正は「確かな学力」「健やかな体」「豊かな人間性」の3本柱から成る「生きる力」の調和を重視しているが、実はこの「生きる力」は昭和52、53年の学習指導要領改訂から言われていた。

今回は、以前の反省を踏まえて更に具体的な方針を打ち出してきたんだろう。


その具体案として


・基礎的・基本的な知識・技能の習得


・知識・技能を活用して課題を解決するために必要な「思考力」「判断力」「表現力」


・学習意欲


の3点である。

この3点を通して「生きる力」というのを育んでいこうというのである。


確かに、日本の学生の持ち合わせている知識というのは世界と比べてみてもそう低いわけではない。

しかし、それを具体的に活用していく能力が不足している!


知識注入型の学習の典型的なパターンである。

以前にも書いたが、今回行われた「全国学力テスト」に出題された、上腕骨の長さから福沢諭吉の身長を求める問題も知識注入型からの脱却の姿勢が見受けられる。



また、今回の学習指導要領改訂においてのポイントを6点挙げておこう。


・「生きる力」という理念の共有


・基礎的・基本的な知識・技能の習得


・「思考力」「表現力」「判断力」の育成


・「確かな学力」を確立するために必要な授業時数の確保


・「学習意欲」向上や「学習意欲」の確立


・豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実


以上6点である。

これは、教採の勉強をしている人ならしつこいぐらいに見ている項目だと思う。


しかし、改めて見てみるとサラっと言っているがとても難しい・・・。

確かにこれらの事柄が実行できれば問題ないだろう。

やはり成功の鍵は現場の教師が握っているということで、そのためにもこれから各都道府県は今までより更に「人物重視」ということが採用の鍵になってくるのではないだろうか。


やはり、教師たるもの自分の専門科目の知識などを豊富に持っているのは当たり前のことであるが、それだけではいけない!

生徒が多様化している現代で単に知識の量が豊富なだけでは、とてもじゃないがやっていけないと思う。


まぁそれは置いといて、とにかくこの改訂学習指導要領ではとにかく「思考力」「表現力」「判断力」そして「基礎・基本の習得」、「健やかな体」が何度も出てくる。


それだけ主張したい部分なのだろう。

反復(スパイラル)という言葉も多用されているが、やはり基礎・基本を「繰り返し」やる!

そしてそれらを活用する力をつけることが大切だ。


また前述したように「思考力」「表現力」「判断力」が多用されている。

これは観察・実験やレポートの作成、論述などを通して知識技能を活用するにあたっての土台となる。



体験から感じ取ったことを表現

事実を正確に理解し伝達する

概念・法則・意図などを理解し、説明したり活用したりする

情報を分析・評価し論述する

課題について構想を立て実践し、評価・改善する

互いの考えを伝え合い、自らの考えや集団の考えを発展させる



このプロセスがこれからの子ども達に必要な能力である。


しかし、これらのプロセスを円滑に行うにあたって不可欠な能力がある。

それは「国語をはじめとする言語能力」である。


私達人間は、コミュニケーションをとるにしても文章を読むにしても必ずついて回るのが「言語能力」である。

これらを上手く活用できないと、不具合が生じる。

例えば、以前に俺が経験したことを例に挙げると「問題の文章の読み違い、または意味がわからない」ということがあった。

このような例からも分かるように何度も繰り返すようだが、これから世界にも通用する教育を実践するためには、きちんとして言語能力が備わっていなければいけない。


この「言語能力」を充実させるために、推進されているのが「読書活動」である。

4月23日は子ども読書の日である。(豆知識)


また学校図書館の活用も重要である。

このように子ども達を小さいうちからたくさんの文章に触れさせておくということはとても効果的だ。

俺なんかは、昔から本を読むという習慣がなく、恥ずかしながら未だに日本語の難しさというのをしみじみと感じるときがある。

だからこそ言語能力の重要性というのは痛いほどよくわかる。



このように、中教審が出した答申を分析したが、「生きる力」という無限の可能性を秘めているこの力をどのように伸ばしていくか。

これは、具体的な方針が打ち出されているものの最終的には教師の力量にかかってくるのではないだろうか。

この答申を見て改めて思った。


「子どもがかわいい」とか「元気に育って欲しい」なんてことは誰もが抱いていることである。

しかし教師は、更にそこから一歩踏み込んで子どもと接することができる。

大変なことかもしれないが、子ども達が社会へ出ていくための入り口として学校という位置づけは昔から変わらない。

そんな場所で他の一般の人たちには経験でいないようなことを経験して、自分達も共に成長していきたいと思って教師を志望した。


採用試験までもう少しだが、まだまだ足掻いてみようと思う。

自分の頭を整理するためにもまとめておこ。



学習指導要領は、4つのグループに分類することができる。


第一グループ(昭和22~26年)

経験主義を重視した教育を推進していた時代で、このころは学習指導要領はまだ法規的な性質を持っていなかった。

戦後間もなかったので、アメリカの進歩主義の教育が占領下の日本にそのまま入り込んできたという形。


S.26

・小学校「教科以外の活動」

・中学校「特別教育活動」



第二グループ(昭和33~43年)

この頃になると、高校への進学率が上昇してきたことによって、日本の教育は目の前にいる子ども達のみに目を向けるのではなく、もっと大きなビジョンを持とうという考え。


元来のスタイル「経験主義」を否定し、「系統的な学習」を重視した時代で、日本の教育水準を保つために、国が各学校に関与するということを明示した。


S.33

・告示形式へ移行したことにより、学習指導要領が法的拘束力を持つことが明示された。

・道徳の時間の新設


S.43

・教育内容の現代化

アメリカの教育の現代化の影響や、国内の進学率の上昇により、系統学習の傾向が強まり、特に理数教科の内容が教化された。



第三グループ(昭和52~平成11年)

第二グループの教育があまりにも高度だったことにより、授業についていけない子どもが続出した。

この「落ちこぼれ」をはじめ、「不登校」、「校内暴力」など様々な問題が出てきた。

この問題への対策として、子どもにゆとりを持たせて個性を尊重し、豊かな人間性を育んでいこうという流れになった。


S.52

・ゆとりの時間の新設


H.元年

・総合的な学習の時間の新設

・ゆとりの中で「生きる力」を育む

・小学校1,2年に生活科の新設



第四グループ(平成15~)

第三グループの「ゆとり教育」の影響により「学力低下問題」が出てきた。

このことにより、学ぶという基礎・基本が大切だということを主張しており、「ゆとり教育」にストップがかかった。

よって学習指導要領に「最低基準性」というものの明確化が行われた。


H.10

・中学校において習熟度別指導の導入


H.15

・最低基準性の明確化(歯止め規定の緩和)

・総合的な学習の時間の充実

・習熟度別指導(小学校において実施)




今日は、mixiで知り合った人達と大阪のカフェで教員採用試験に向けての面接・討論対策をした。

3時間に渡り、アツい議論をお互いが展開し、とても有意義な時間を過ごせたと思う。

これを定期的に続けていくことによって、面接や討論に対する度胸もつくし、心で思っていることをちゃんと言葉に変換して相手に伝えるいい練習になると強く確信した。


さてさて、今日は「子どもにとっての本当のしつけ」について書きたいと思う。


最近は、少子化の影響もあり一人っ子が増加し、親が子どもにかける労力・時間・お金が増えたことにより、子どもに対して過保護になってしまうといった傾向が見受けられる。

このような過保護によって以前に書いた「モンスターペアレント」などといった保護者が一部で出現してきたのではないか。


また、それに加えて最近では「親子関係」についてとても多くの問題が挙げられている。

その例として、常識では考えられないような些細なことで子どもが親を殺したり、親による子どもの虐待があったり、友人との些細なトラブルで友人を殺害してしまったりと、殺人事件や陰湿ないじめが日常生活の中で頻繁に起こっている。


なぜこのようなことが起こってしまったのか。

それは、やはり「親が子どものためと思うあまり、子どもの可能性・自主性の成長を縛ってしまっている」ということではないだろうか。


例えば、

・子供が興味を持ってやろうとしていることを、親の考えにあわないという理由で止めさせる

・年代に応じて経験しておくべきことをあまり経験させない
・子供がいくつになっても、親が子供の生活のすべてにわたって干渉する


などが挙げられるが、親が上記のことを子どもに対して行うことで、

自主性が育たなくなる (やりたいことをさせてもらえないのだから、最初からなにもしない方がいいとなる)
理屈では理解していても、いざとなると何の役にも立たない
頭でっかちの人間になる (知識偏重)

・親が子供のほとんどすべてのことを決定しているため、子供は親の言いなりになってしまい、親に責任を転嫁することを当然と考え子供に逃げ道を与えることになる

反発や反論・意見の言えない気の弱い人間になってしまう

なにごとも相手の顔色をうかがってから行動するようになる



などといったことになってしまう。


ここで重要なのは、「我慢」であると思う。

やはり、親の立場・教師の立場から見ると、ついつい子どもに対して心配のあまり口出ししてしまいたくなる場面が多々あると思う。

そこをグッと堪えて見守っていくのも必要であると思う。

僕は、高校数学の教師を目指しているが、高校になると中学とは違って子どもはどんどん大人に近づいていく。


そんな中で、子どもが挑戦しようとしていること・考えていることをはなから否定するのではなく、ある程度は子どもを信頼して経験させていかなければいけないと思う。


改訂以前の学習指導要領から強調されている理念にあるように


「生きる力」つまり「自ら学び、考える力」


を育むには、


「子どもが何かに挑戦する・経験する前からその可能性を潰してしまう・諦めてしまう」


ような教育をしてはならないということです!


これからは、子供を信頼して依存心の少ない自立心に富んだ子供を育てれることが親または教師の役目ではないだろうか。 

親の子離れがスムーズに行けば、親子の問題がここまで社会問題化することはなかったと思う。

親の価値観だけで子供を押さえつければ押さえつけるほど、子供は反抗するものであり、この意味で子供の反抗は、親の子供へのしつけが子供の気持ちをあまりにも無視したものであることを示しているのではないでしょうか。


子どもを思うからこその「我慢」を、今一度考え直していきたいと思う。

新学習指導要領に台形の面積が追加された事は知っていたが、イオンが復活したことは一昨日の新聞で知った!

このような取り組みから、少しずつ「脱ゆとり」路線をとっていって欲しいと思う。


しかし僕自身が思うのは、今回の学習指導要領の改訂は「ゆとり」からの脱出が目的であるが、昔のような「知識注入型」の授業に戻ってしまうのだろうか・・・・???ということである。


「知識注入型」に戻れば、子ども達へ様々な負担が押し寄せ、また「ゆとり」への路線を辿ってしまうのではないかと心配である・・・。それでは「注入型」→「ゆとり」→「注入型」→「ゆとり」→・・・・の繰り返しになってしまいそうだ・・・。


そのためにも、この改訂のチャンスを逃すことなく子ども達に真の「生きる力」を育むような教育をしなければいけない!

昔、日本は外国の様々な教育スタイルを取り入れて上手く日本に適応させてきたが、これだけ教育が発展した現在、習う「モデル」というのは自分達で作り出していかなければいけない!だから探り探りということもあり、難しいのではないかと思う。


それに加えて最近の子ども達は、昔と比べて多様化してきている。

その例として、最近話題になっている「学校裏サイト問題」にもあるように、「情報モラル教育」というのも教師達の新しい課題だ。


フィルタリングシステム」というのも徐々に普及してきているが、子ども達も賢い!

そんなものはスルスルっと潜り抜けていく者がすぐ出てくるだろう。

だから、教師も保護者も「フィルタリングシステム」というものに頼りすぎて、逆に


「フィルタリングがあるから大丈夫」


ということになり、無関心になってしまうこと、安心しきってしまうことは非常に危険だと思う。


「コンピュータ」というのは、複雑な機能が多数備わっており、「インターネット」を使用するのは大して知識は必要ないが、専門的に扱うには当然深い知識が要求される。

最近の若者は、


「パソコンに強い」


と思われがちだが、ワード、エクセル、パワーポイントをスラスラと使いこなせる者は、そう多くいるわけではない。

ましてや、HTMLなどのプログラミングを駆使できる者は更に少数と言っていいだろう。


若者ですらこのような現状なのに、年配の教師(パソコンが得意な方も、もちろんいらっしゃいますが・・・)や、普段パソコンをあまり使用することのない教師に対していきなり


「情報モラル教育を!」


と要求しても難しいと思う・・・。


やはりここで出番なのが「情報科」の教師だ!

情報に詳しい教師が先頭に立ち、まずは教師同士で知識の共有が必要だと思う。


情報モラル教育だけでなく今こそ、今まで以上に


「教師同士の連携」


を密にし、個人個人で生徒に対応するのではなく、学校としてガッチリとしたスクラムを組み生徒に接しなければいけない!

先ほども記載したように、「多様化」してきている子ども達にはこのような対策が一番だと思う。


教師はスーパーマンではない!


多様化してきている生徒に対して教師達が、この多様化に対処する一番の近道は、教師一人一人が自分の持ち味を発揮し、


全部を自分が抱え込むのではなく、役割分担をして望むことが必要と強く思う!


これからの情報モラル教育がどう展開されていくのか、自分なりに方法を模索しながらも、教育界の動きをみていきたいと思う。

今日、小中学校全国学力テストが行われた。

昨年は45位??であった大阪の順位が楽しみ!

順位が上がれば橋下知事も更にはりきって大阪の教育改革に取り組むだろう。




今日は理想の教師像について書きたいと思う。


俺の思う理想の教師像は


心にゆとりを持つ


ということである。


これは本当に難しい事だと思う。

自分が調子の良いとき、追いつめられていないときは当然心には余裕があり、柔軟な思考ができる。

そういう時は、もし自分が平常心を保てない時でも「何とかなる!きっとできる!」と思いがちであるがそうはいかない事が多々ある。

落ち込んでいる時は頭も回転しないし、イライラしやすい・・・・。そんな時に問題を抱えている生徒に直面したら、自分は心から親身になって指導できるだろうか・・・・


しかし教師も人間だ!


当然落ち込む時もあるし、イライラするときもある。

常に最高のコンディションで望むことが一番理想的だが、そんな事可能なのだろうか・・・・

少なくとも俺は実行できる自身がない。

しかし、日々最高のコンディションに近づける方法として


休日の有効利用


これは効果的だと思う。


休日は、学校でのことは忘れてしたいことをする事が一番!

温泉に行くもよし、スタジオに入って音楽をするもよし、買い物をするもよし!

とにかく一週間の疲れは次週へ持ち越さない事

これが大切だと思う。


休日も生徒の事ばかりを考えて気持ちがリフレッシュされないままズルズルと引きずるのが一番よくないし、それが続けば教師という職業が嫌になってしまうかもしれない。そうなれば最悪のサイクルだ・・・。


休日を有効利用し、心にゆとりと生徒の訴えを「聴く耳」を持って指導に望めば生徒は必ずこちらの気持ちを汲み取ってくれると思う。

また「聴く耳」を持って接するのは生徒だけではない。保護者に対しても同様である。


最近「モンスターペアレント」という言葉が世間でとても多く利用されている。

もちろん学校に対して無理難題を押し付けてくる保護者が存在するのも事実であるが、それはすべての保護者がモンスターなのではなく「一部」がモンスターなのである。


それを勘違いして保護者からの要求をすべて「クレーム」と捉えてしまわないよう、注意しなければいけない!

中には学校に対して適切な意見を持った保護者もいるはずなので、それをきちんと区別するためにも「聴く耳」というのは重要だ!


このように、心に「ゆとり」を持っていないといつ取り返しのつかない問題が起こるかわからない!

逆にきちんと「ゆとり」をもって物事を客観的に見る目と耳が備わっていれば、困難と思われる問題も意外とスムーズに解消できるかもしれない。


前回書いたように子供が育つ第一歩は「生活リズム」だが、教師が教育を行う第一歩は「心にゆとりを持つ」ということ!

これを念頭において教員採用試験に向けて頑張ろう!

が、明日全国で実施される。


確か大阪は全国45位・・・・。


新聞の記事を見ると大阪をはじめとする都道府県は様々な対策を立てている。

やはり都市部と地方での学力格差が広がっているせいか、特に地方はかなり力を入れていると書かれていた。


保護者に向けて「家庭学習の手引き」を学校が作成・配布したり、兵庫県では学力向上策に取り組む小中学校に非常勤講師を派遣し、新聞記事を手本に文章を簡潔にまとめる国語力アップの授業などを展開する


「学力向上実践推進事業」


を始めたりしている。



そこで最近つくづく思うのが「家庭学習」の必要性!


新教育基本法第10条で


父母、その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身につけさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。


と述べられている。


塾で教えていても、宿題を見ると保護者がきちんとチェックをしたり、一緒に考えたりしている形跡がみられる生徒はとてもよく伸びているし、勉強することをある意味楽しんでいる。

逆に宿題は適当にやり、保護者はそれをチェックもしないような生徒は、授業中時計ばかりを気にしながら


「早く授業終わらないかなぁ」


ということばかり考えているのだ。


このような生徒に以前書いたような「わかる!楽しい!」を伝えるのはなかなか大変だと思う。

はなっから聞く気なんてないんだからね・・・。

そのためにも、前述したように「家庭学習」というのは不可欠であり、学校だけで生徒を惹きつけることは到底難しい。


では家庭学習とは具体的にどのような事をすればよいのか。

学校側から配布された家庭学習用の教材をやるのは当然だが、まず親は子どもに対して


「早寝早起き」

「バランスのとれた朝食」

「正しい姿勢」

「挨拶」

「整理整頓」

「言葉遣い」
「必要最低限のマナー」


などを徹底することが第一だと思う。


学力とは

「学習意欲、習慣」

「学校生活の楽しさ」

「保護者とのかかわり」

「生活リズム」


など、様々な要素が関係しているがその中でも「生活リズム」は一番基礎的な事であり、学ぶ者の心身が健康でなければ楽しい授業も楽しくないし、意欲的にもなれないと思う。


だから俺は新教育基本法の中でも特にこの第10条の必要性を強調したい!

勉強と同じで何事も基礎を怠っては絶対にいけない!


全国学力テスト・・・・結果が楽しみじゃ!

最近JAZZばっか聞いてて、トランペットの虜になってる。

あの独特で味のある音がたまらん・・・・

中古で手ごろな値段の物を買って練習しまふ!

上手くなってやる!!!!!


ひっっっさしぶりです・・・w


教員採用試験へ向けて毎日ひたすら勉強です!

最近は、一般教養・教職教養の勉強に嫌気がさしてしまい、ずっと専門教養の数学ばっかやってる・・・。


一般教養や教職教養も大事やけど、やはり自分の専門教科がしっかりできてないと話にならない!!!

だからしばらくは数学やるぜぃ!!


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塾講師を始めて4年目になった。

思い返してみれば、なりたての時は入念に予習して準備した授業ほど


「予習した内容をすべて伝えよう」


という事で頭がいっぱいになってしまい、生徒が本当に理解できているのかをキャッチできずに終わってしまうパターンが多い。これは本当に講師を始めた当初多かった・・・・・。


生徒からしたら、先生は黒板ばかり見て・・・・・って感じでほとんど自己満足の世界になってしまう。


自分が中学・高校生の時にこういう教師を何度か経験したことがある!

教師の世界っていうのは、自分が受け持つ授業を毎回評価する人は生徒ぐらいしかいない!

だから教師側も、何年もやってる内容は教え方が固定されてきてバージョンアップしない・・・。

自分の授業について振りかえらないは、「長年やってる」というプライドからだろうか・・・・・・


俺は、何回目の授業であろうと毎回1時間~2時間かけて授業の予習をするようにしている。

一時期、基礎的な内容や以前に授業でやった内容は予習をしないという事があったが、予習しているときとしていない時の差がとてもあると感じて、怠けようとせず予習は続けようと決めた。


授業は教師の仕事からみると時間的にはほんの一部であるが、生徒に及ぼす影響は一番大きいといっても過言ではないと思う。

何年キャリアがあろうが、日々成長し、生徒が抱いている「なぜ?」に正面から向き合える教師でありたい。