このブログの主役であった父親が亡くなりました。


4月10日の早朝に母親から連絡が来たときには時間の問題で、1時間足らずで病院で息を引き取りました。


唯一母親は間に合いました。


それを聞いて少し安心しました。


改めて、肺癌の転移した症状の怖さを知りました。


父親の場合、抗癌剤、放射線と治療をしていくうちに、他の部位にも悪影響を及ぼしてしまい、それが死因となってしまいましたが、振り返っていてもどうしようもありません。


亡骸を見たとき、母親の真意な話を聞いたとき、親戚の協力を得たとき、葬儀が進んでいくとき、本当に父親は遠くに逝ってしまったのだと実感しました。


家族葬にする方針でしたが、父親の勤めていた会社の人たちもたくさん集まってくださいました。


同じ区の方も来てくれました。


約1ヶ月前に祖母の葬儀に集まって下さった方も、殆どの方が集まってくださいました。


喪主の母親は命を削るように葬儀の準備に追われ、それを守るように、皆の協力がありました。


俺のような若輩ものに出棺前の挨拶の機会を設けて頂きました。


父親が骨だけになるまでの間、食事をし親戚の方々にはいろいろ励ましてくださいました。


参加した方々にかぎらず、都合により行けなかった方々にも、自分の会社の関係者にも、感謝、感謝です。


父親の喪失感、父親の偉大さがわかるのはしんどかった葬儀を終えたこれからだと思います。


但し、闘病中も癌や死を恐れず、そっと「きてくれてありがとう」「頼んだぞ」とかすれた声で言った父親の強靭な精神力を受け継ぎたいと考えつつ、このブログの更新を今回が最後にしようと思います。


読んでくれていた方がいるかわかりませんが、いましたらありがとうございました。





ここ数日間寝たきりが続いているということで、どんな緩和ケアをしているかを母親に聞いてみた。


父親はフェンタニルをパッチ薬としている。


母親にそのことを聞いた時、その作用を伝えることができなかった。。。


末期の患者にはモルヒネを使われることは一般的だが。


フェンタニルの効果は、点滴であればモルヒネの100–200倍と言われ

呼吸抑制は強い。


さらに鎮静剤を追加するという。


せめて鎮静剤をやる前に、マイナートランキライザーなのかメジャートランキライザーなのか、明日報告してほしいと言ったが。


昨日から、泊まりで病棟に来るよう看護婦に言われたという。


疲弊した母親にはそんな余力が残されているのか疑問だ。




3/28

父親のお見舞いと主治医の話を兼ねて病院へ。


だいたいのことは母親から聞いてたが、最初に対面したときは辛かった。


祖母が亡くなったのは半月前、葬儀を無事終えてそれから約2週間ぶりでしたが、入院後はずっとベットの上のみでの生活。


入院しているのは実家から最も近い病院。


歩いていける距離、主治医である呼吸科の先生はその病院でも一人のため、とにかく多忙とのこと。


3時半に話し合いのアポを取り、その後父の弟夫妻がお見舞いに。


結局4時過ぎに主治医が到着し、父の病状はその夫妻と母親、僕とで聞いた。


頼みもせず、父の肺がんが見つかってからのことをレントゲン写真やデータベースの記載されているPCの画面で説明され、ようやく、現在手前までたどり着く。


その間、数回の携帯電話がなる。


恐らく、いきなり話す前のクッションとしてここ一年の病歴と治療歴を話したのはわかるが、病院名を間違っていたり、該当のページを見つけるまでもたついている感じは、あきらかに患者とは殆ど関わっていないことを露呈していることに。

再三このブログで書いているが、医者が多忙なのは従順承知なのだけれど、こういう対処を治療にも反映されているのかと疑いだすと今の父親には命に関わるので不安が募るばかり。


で、父親の現状を聞く。


あらかじめ聞いていた症状よりも悪く、「大変いいのにくいのですが・・・」


と貯めてから話し出す主治医の言葉には嫌なことばかりが発せられた。


ターミナルケアとしてホスピスを紹介することは可能ではあるが、


病状からホスピス(基準は場所によっても異なるみたいです。)に移る条件として難しいこと。

具体的には書きませんが、父がもう少し健康体であれば、ホスピスに入ることも可能であったということ。。。


但し、病院でもターミナルケアは可能で、父も希望していた個室を確保してもらうことはできました。


他方で父親の介護を実家でするのは精神的に持たないからと、本人だけにはまだ喋れていませんが、


「病院で看取る」


ことで結論が出ました。


本人だけにはまだ喋れていないことが問題になる可能性もあるみたいですが、今は伝えるべきではないと、主治医も含め、知った人たちには口合わせをしています。


その夜は父の弟夫妻と食事し、家へ。母親は大泣き、僕ももらい泣き。


3/29

姉夫妻と子供がお見舞いに。


その後、実家で食事。


正直、姉の夫に僕の好きなワインと前日壊れてしまったオープナーを買ってきてもらって、嬉しかったのですが、いろいろあって、胃の調子もわるかったのか悪酔いし、子供の相手をする気力もなく、真っ赤な顔をしながら見送る。あのテンションで相手したのはちょっとまずかったと自己嫌悪になる。


3/30

朝方に寝たせいもあるが、とりあえず昼食は食べた僕があまりにも元気がなく無言だったので、母親はいろいろ励ましてくれた。


本来なら僕が母親にすることなのだが。


歩いて帰るはずだったが、強雨なので、父の弟の嫁さんがパート終わりで車でむかえに来てくれることになりその言葉に甘える。


今日の父親は辛そうだった。正直かける言葉を失うぐらいだった。


明日から仕事なので神戸に帰るため、俺だけ先に病院を後にする。


「いつどうなるか保証はない、だから喋れるうちに1日でも早くあっておくことを勧められた」


が発端でいろいろと精神的に叩きのめされた4日間だったが、覚悟という心情も芽生えてきた。





闘病記をみて、皆さん明るい記事を精力的に書かれている。

すごく希望がもてる。


その反面、急に更新が途絶える場合が多いのでそのギャップはしんどい。


改めて振り返る。


父は2013年5月、肺がん、脳転移でステージ4判定で手術NG。


もしかしたら、もっと早く肺の影を知られていたのかもしれないが、少なくとも長男の俺に告白する人ではない。


ガンマナイフで脳転移の腫瘍を8割やっつけ大分良好。


抗癌剤(ランダ)4クール。


腎機能の低下で知らないうちに効力を下げられていて、人工透析すれすれでNG。


父の好きな酒を飲んだ結果、ゾウ足のようにむくみ、膵臓の機能低下で入院1ヶ月。


抗がん剤に耐えられない体を目の当たりにして、放射線に切り替え治療スタート。


途中、腰痛をかばうため、腕を地面についたら腕骨折。


あちこち悪性腫瘍の転移発覚。


祖母が他界。


そして腕骨折には手術が必須だがそれに耐えられる体力もない。


血液を自力で作る力も衰えている(輸血をしていたのを知ったのは今日。。。)


医師の判断により週末、マトモに話せる内に帰郷する予定。


その時、ホスピスに入れるかも検討。


残念だけれど、祖母が亡くなり、結果父親の両親がなくなってから急に衰えたのかもしれない。


俺は真実を語る。


暗い。


救いようもない。現実を。


精神が病んでいるような人のようなことを。


参考にする。


元気だからといって数週及び、週ヶ月後に逝っている方の闘病記は悟ったように明るい。


おれは、残酷だ。


逝くまえぐらいはつらい、きつい、もういい、かんべんしてくれ、死にそうだ。


最大限のわがままをいってほしい。


といった類のことを連発しても、生きている人には迷惑はかからないのだから。


そのぐらいじゃないと。別れがつらい。



何箇所かに転移している癌が発覚し、様々なことに対して考えた。


まずは、緩和ケアをするべき時期ではないのではないのかと。



精神が不安定で、常にどこか痛みを抱え、たまに人へ訴える。


それを言葉で表現することさえ、しんどそうだ。


緩和ケアといっても自分のように素人は、自分の常用しているマイナートランキライザー、流石に服用していない痛み止めの部類をどうしても考えがちだが、場合によっては作用のつよいメジャートランキライザー、モルヒネといった痛み止めの類を思い浮かべる。


よく、肝臓、腎臓、脳に影響を与えるからよくないと、医者には言われているらしいが。


①痛みも、不安も緩和して、内蔵にはダメージを追うケアをするか。


②痛み、不安に怯え、内蔵への負担を極力抑えるか。


個人差はあるけれど、俺にどうしても真冬、せっかくエアコンをフル活動にして、健康にはよくないともいう連中もいる乾燥や電気代を無視し、とにかく室温を上げることで体温を上げ、病院中の異常に暑い環境を良しとするか。ましてや冬なら薄着でも、夏なら灼熱になる。ましてや健康な人なら、そうして寝不足ですむだろうが。


父の病気には比べものにならないけど、


俺はマイナートランキライザーは何種類か試した。長期間、強い効力のあるレスタスやメレックスはあまり効かない反面、短期間、強い効力のあるデパスはよく効くので常用している。


効くのは人それぞれなので、抗癌剤と同じくやってみるしかない。

メジャートランキライザー以上に異常な薬物もある。

デソモルヒネ(クロコダイル)は、モルヒネの8~10倍の強度とされている。

この名前で調べれば悲惨な画像が流れてくるし、そこまで行き過ぎるのはよくないことも知っている。


他方で、いまさら抗癌剤よりも遥かに副作用の薄い痛み止めや抗不安剤を他の臓器のためにやめましょうと言われている父がかわいそうでしょうがない。


ましてや、大好きな酒もまったく飲めない状態で、何時まで、そしていつかなくなるであろう命に怯えて過ごす日々が果たしていいのだろうか。


少し母親にいった繰り返しになるが、これが2割ぐらいでも医者に代弁してくれれば幸いだと思う。

これから腕の手術を受ける父親の不安はピークを迎えるだろう。


痛み、不安に耐える日々より、少しても楽な方法を選んで欲しい。


煙草、酒を好んできた人だから特にわかる、


最終的には、そういう人生の方が楽しく過ごせるということを。。