今回は、『孫子』(岩波文庫『新訂孫子』)第十一 九地篇 七 の部分です。以下に本文をそのまま掲載します。

(本文)

   凡(およ)そ客たるの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師ある者は絶地なり。四達する者は衢(く)地なり。入ること深き者は重地なり。入ること浅き者は軽地なり。背は固にして前は(あい)なる者は囲地なり。往く所なき者は死地なり。

   是の故に散地には吾れ将(まさ)にその志を一にせんとす。軽地には吾れ将にこれをして属(つづ)かしめんとす。争地には吾れ将に其の後を趨(うなが)さんとす。交地には吾れ将に其の守りを謹しまんとす。衢地には吾れ将に其の結びを固くせんとす。重地には吾れ将に其の食を継がんとす、圮(ひ)地には吾れ将に其の塗(みち)を進めんとす。囲地には吾れ将に其の闕(けつ)を塞がんとす。死地には吾将にこれに示すに活(い)きざるを以てせんとす。故に兵の情は、囲まるれば則ち禦(ふせ)ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。

(訳)

   およそ敵国に進撃したばあいのやり方としては、深く入りこめば団結するが浅ければ逃げ散るものである。本国を去り国境を越えて事を進めた所は絶地である。〔絶地の中では〕四方に通ずる中心地が衢地であり、深く侵入した所が重地であり、少し入っただけの所が軽地であり、背後がけわしくて前方がせまいのが囲地であり、行き場のないのが死地である。

   こういうわけで、散地ならば〔兵士たちが離散しやすいから、〕自分は兵士たちの心を統一しようとする。軽地ならば〔軍が浮わついているから、〕自分は軍隊を〔離れないように〕連続させようとする。争地ならば〔先に得たものが有利であるから、〕自分は後れている部隊を急がせようとする。交地ならば〔通じ開けているから、〕自分は守備を厳重にしようとする。衢地ならば〔諸侯たちの中心地であるから、〕自分は同盟を固めようとする。重地ならば〔敵地の奥深くであるから、〕自分は軍の食糧を絶やさないようにする。圮地ならば〔行動が困難であるから、〕早く行き過ぎようとする。囲地ならば〔逃げ道があけられているものであるから、戦意を強固にするために〕自部はその逃げ道をふさごうとする。死地ならば〔力いっぱい戦わなければ滅亡するのだから、〕自分は軍隊にとても生きのびられないことを認識させようとする。そこで、兵士たちの心としては、囲まれたなら〔命ぜられなくとも〕抵抗するし、戦わないではおれなくなれば激闘するし、あまりにも危険であれば従順になる。

 

   以上です。今回のような内容は以前もありましたね。「敵国に進撃したばあいの土地の特徴」に応じた軍隊の動かし方について書いてあります。日本語にはないような、「土地を表す語」がいろいろ出てきましたね。本文に対して我々も以前も考えましたが、その土地の実態に応じてそれこそ柔軟に対応を考えなければならないということでしょう。日本の戦国時代のドラマにもよくある、「軍の行動」が書いてあるようです。諸葛孔明のように「将軍、ここはこうしましょう」とアドバイスするのが、それこそ孫子たちのような「軍師」の役目だったでしょうから、こういうことを研究していたのでしょうね。今回は以前もあったような内容でした。

   さて、季節は2月に入ろうとしていて、冬の寒さの中にも「梅一輪ほどの」暖かさが感じられるようになってきました。2月が過ぎれば、桜の季節も近づき、近隣の自然の大好きな我々の心を慰めてくれることでしょう。身の周りの美しい自然の中で今後も落ち着いた心で過ごしたいものですね。では今回はこの辺で。