突然ですが、私は家に帰るのがいつも怖いです。

 

 

家に帰ろうと思ってもどこかでギリギリまで帰りたくない気持ちが働いてしまい、勉強するなら図書館に行き、休憩したい時も図書館や学校の自習室に居て、寝て食べる時以外極力家に居ないよう無意識的に努めてしまいます。

 

 

七時の門限は絶対に守りますが、家に帰ると思うと毎回死にたくなります。

そんな娘で申し訳ないとも思います。

 

 

もちろん、私は私立高校に通っていて、高い学費を出してくれたり、ごはんをキッチリ三食丁寧に作ってくれる両親にはすごく感謝しています。というかしても仕切れないと思います。

 

 

兄弟とも、どちらかといえば仲が良いと方だと思います。

妹にはよく恋愛相談なんかもされます。笑

 

 

 

 

 

 

 

それでは何故私がここまで家が怖いのか。

 

 

 

 

 

例えば、「親が教育熱心すぎて怖い!」とか、「毎日殴られる!」とか、バシッと言える決定的理由がある訳ではありません。

 

なので、私がどう育ってきたか。少しお話しさせて下さい。

これから家庭を築く方や子育てをする方には凄く読んで欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は3人兄弟の長女として産まれました。

 

幼稚園時代

 

 

 私は専業主婦の母にピッタリくっついて、園庭で遊ぶ時間もいつも母が恋しくて寂しくて、園庭の隅で一人でいました。友達に遊びに誘われても、こっそり逃げ出していました。笑笑

 

 家では、母と、夜勤勤務もありお金持ちの家庭で育ってきた父が、いつも激しい言い争いをしていました。

 

父は、カーテンがピシッと締まっていなかったり、掃除が充分でないと不機嫌になる人で、母が何か言うとすぐカッとなり、口を聞かなくなり、結局いつも謝るのは母でした。

私は子供ながらに、「またケンカしてるー。どうせママが折れるのにな」と思ったのをハッキリ覚えています。

 

父は、その時から私の学費を貯めてくれたり、若いうちから投資やお金の勉強をするすごく真面目な人です。

もちろん父にも愛されていました。沢山抱っこされたし、出掛けて機嫌が良い時はお土産を買ってくれて嬉しかった記憶があります。

でも、仕事や家庭の関係で不機嫌な時の方が多かったのは確かです。私が泣いて幼児らしい駄々をこねている時は、何回でも頭を叩かれたし、蹴られたことも一度や二度では無いです。

 

 

 

 

小学校時代

 

 

仕事の都合などでは無く、父の望み家族で都市に引っ越しました。

私も転校して、なぞにデビューを果たし明るくハキハキしたスポーツ好き女子になりました。

その学校は都市でお金持ちの友達ばかりで、半分以上がお受験をするような環境でした。

自分は勉強が出来ないという事がとてつもないコンプレックスになり、カンニングなどの非行に走るようになりました。

 

父はこっちでも仕事があまりにも大変だったそうです。

 

夜勤明けで子供達がうるさいと決まって叩かれました。

ある日の夕食、何かで子供達が揃って怒られて全員叩かれました。

その時、叩かれた直後に私が少し父を睨んだのか(どんな目つきだったか分かりませんが)

「なんだその目は!!!!?!!!」と怒鳴り、3回連続でバンバンバン!と頭を叩かれました。

 

いまでもそれは弟と妹に「トラウマ」と言われるし、自分も思い返すと泣きそうになります。

叩かれて、痛いと言っても、その痛さより、心の切なさで毎回泣いていました。

呼吸が苦しくなって、口でしか息ができなくなるまで泣いていました。

 

今でも父と言い争いになると、些細な事でもこの状態になるまで一人泣き潰し

てしまいます。

 

何度も言いますが父は悪い人ではなく、誕生日にはケーキを買ってくれて、運動会や卒業式にも来て応援してくれました。

 

 

 

 

中学校時代

 

 

ここで私は大きく変わりました。

 

ある男子に恋をしました。

その人は学年でいつも1位2位に頭が良い人で、気が弱く優しい人でした。

しかしその人は、可愛くてバスケ部で凄く頭のいい女子の事が好きだったんです。笑

私はずっとバカすぎるのがコンプレックスだったので、ここぞとばかりに勉強しました。

その後2年間で偏差値20上がりました。ずっと勉強していました。

元々なんでも頑張る性格で、コミュ力もあって特に中学校時代は1軍の中の1軍だったのもあって、その恋は叶って彼に告白されました。

 

「頑張る子」として先生にも好かれ、凄く自分に自信が持てました。

頑張れば自分の人生変えられると思いました。

しかし、父は良くも悪くも「勉強なんてしてなんの意味もない。」と言う人だったので、特に認めて貰う事はなかったです。今思うと人それぞれに考え方はありますが、そこで私はムキになって永遠無限勉強に入ります。

 

受験生になると勉強し過ぎて家の手伝いが疎かになりました。

 

父とはそのせいで普通に不仲になっていました。

 

 

 

 

 

高校生

 

 

そのままの自分で入学。

 

しかし入ったのが滑り止めで私立高校だったので、高い学費に父も驚き、奨学金の大変な手続きをしている期間、私は死ぬほど家に居場所がなかったです。

 

その期間はとにかく理不尽な事でイライラを打つける怒り方を毎日何回もされ、覚えているのが、その時私は2ヶ月間くらい毎日泣きながら自転車を漕いで登校していました。

 

新しくできたばかりの友達に、「なんか目腫れてない?泣いたの?」と聞かれ、「え、なんでだろ、泣いてないんだけど笑笑」とかいう会話をよくしていました。

 

私立高校の友達もお金持ちばかりで、コミュ力がいくらあっても、遊びに行く時は心の奥では一人ぼっちでした。私はお小遣い月1000円だったため、放課後にスタバなんて行こうものなら一瞬で破綻です。笑

 

もちろん無駄遣いはしたくないし、必死でこれ以上ないくらい完璧に節約する父を見ているので、「タピオカ飲みたい」なんて地雷を踏めるはずもなく、いつも遊びは断っていました。

 

 

大学進学の条件は「国公立であること」と言われ、自分もそれが府に落ちたので、死ぬほど勉し続けました。部活から帰って七時、ご飯とお風呂とお手伝いで九時半、そこから深夜二時まで毎日勉強しました。しかし夜遅くに部屋の明かりがついていると父に怒られる。というか「イライラをぶつけるのと怒られた」ので、勉強するのにも罪悪感を持つようになりました。

自分は家の手伝いをする間に自分の為に勉強している。と思い、勉強していることも人に言わなくなりました。

父としては、遅くまで勉強する私を心配してくれたのだと思います。

でも、あまりにもイライラしているのが分かり、怖すぎて、何も入って

こなかったです。

 

その後色々あって、私は元気がなくなり精神疾患で今は勉強もなにもしていません。

ただ、落ち込んでいます。

 

 

現在、父はひどい気分屋ではありますが、手を出される事はありません。

理不尽に怒られるということもそうは無いです。

でも、いつも家に帰ると「お父さん偉いと思わない?今日はここを掃除して、これを直して…」「お前らもちょっとは協力しろよ」「お父さんはなぁ、ずっと働いてお前らのためにこんな辛い事をしてな…」と、語り始めます。

もちろんその話を聞くたび両親には感謝だなと思います。

 

でもそんな事しか言われないと、私は家で座ってられないんです。

なにか頑張ってなきゃ、家にいられないと感じます。

 

今日も、恵まれていながら家に帰りたくないと思ってしまう自分が申し訳ないです。

母も、父にイライラされるのが嫌いでいつも完璧に物事をこなしますが、「ここから出ていきたい」というニュアンスの言葉をよく父のいないところで言います。

 

 

私が去年精神疾患になり、体重が10キロ減り身長も三センチ小さくなりました。

それでも勉強に遅れたくないし新しいクラスでまだ友達もつくらなきゃいけない。

部活だって後輩を勧誘しなきゃいけない。

そう思ってギリギリまで学校にいきましたが、ある非プツンと「もうむり」と涙が止まらなくなり早退しました。

 

 

家には父が…l人でいました。

 

 

どうした?と言われて、私は頭真っ白ーで、泣きながら、もう全てが辛いと語り、余計な一言を言ってしまいました。

 

 

「男尊女卑な家にいるのが無理」

 

 

すると父はその一言にあからさまにイラついたのが分かりました。

余計な事を言ってしまった。もう終わりだ。ああ、もう無理。

父はイライラしながらなにかまた語り始めましたが詳しくは覚えていません。

 

でも最後に「〇〇(弟)はお前と違ってちゃんとやるって決めた手伝いとかは丁寧にやるし〇〇(妹)だってなんか言いながらも料理するし、でもお前は何をやっても中途半端じゃないか?」って言われたんです。

 

限界だから早退して帰ってきたのに。そんな事言われて、もうすべてのHPがなくなりました。

適当に返事をして自分の部屋で泣きました。

 

泣き過ぎて、その夜目と耳もつまって唾液を飲み込めなくなりました。

 

もうそれから、父と会うとその言葉を思い出してしまい苦しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、今も、極力、私の家は図書館です。

 

 

 

 

この状況から私が言える事は、

人は本当に、自分が幸せじゃないと人を幸せに出来ないし、他人の幸せを望めないっていう事です。

 

父も苦労をしてきたし、死ぬほどいきたくないような職場に毎日行っていたからこそ、私が限界で早退した時「学校なんてみんなそりゃ行きたくないんだよ。それで行きたくないなんて、これからどうすんの?」って言うんだと思うんです。

 

私は、貯金や学費(もちろんそれもとっても大切ですが)よりも、いじったりつっこんだり、時には真面目に相談したり、本音で話せる家族が欲しかったと思います。

私は家庭が怖いです。

 

将来絶対彼氏はいても結婚はしたくないし、したとしても子供は死んでも要らないと思ってしまいます。なぜかというと、家族は怖いからです。

 

 

 

だから、これから子育てをする方

 

子供のことを思って辛い思いをしてまで自分を犠牲にしないで下さい。

貴方が満たされていないと、お子さんの幸せを願うことは難しいと思うからです。

 

まだ未熟な18歳の思うことでした。