夢のように儚い人生を生きている(白骨の御文章・解説4) | メメントモリ 生と死を考えるブログ

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「生と死」は大切な問題ですが、タブー視されがちです。もっとオープンに、大人の人間として「生と死」が語り合えるようになりたいと願っています。そこで「生と死」に市民権を与える、小さな市民革命を、このブログで始めました!

http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu4/より


白骨の御文章についてお話ししています。

今日が4回目。

(全文はコチラをご覧ください→http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu0/)


今日は、

「凡そはかなきものは、
 この世の始中終、幻の如くなる一期なり」


についてお話し致します。


「凡(おおよ)そ」とは、この場合「すべて」という意味。

「はかない」とは漢字で書くと、こうです「儚」


「人が見る夢」と書いて「儚い」。

どんなリアルな夢でも覚めてみれば何も残っていません。




一度だけ、宝くじが当たった夢を見ました。

1億円の当選です。


夢じゃないだろうかと(笑)、

夢の中でほっぺたをつねるのですが、

それでも夢と気づかない(笑)


今度は、どこかに間違いはないかと番号を丁寧に確認します。

去年のじゃなかろうかと念入りに調べます。


しかし、何度見ても、見事ピッタリ一致しているのです。


「これは本当に当たったんだ!」


心臓が高鳴り、軽くめまいがおきます。


それから考えることは、1億円の使い道です。


当時、中学生だった私はいろいろ妄想しました。


貯金はどれくらいするか、

何を買うか?

あれも買える、これも買える、

あそこにも行ける、どこにでも行ける

夢が夢の中で膨らみます。


そして、当たったことを誰に言うかを考えます。

みんなに自慢したいのはやまやまだけれど、

友人にいうと、たかられる。

断ったら、ケチだと思われる。

多くに知らせるべきではない。

両親にだけは言うべきだろう。

うんぬんかんぬん。


そして、目を細め、改めて当選券をほれぼれと眺めていた時……


当然、異次元空間に放り出されたように世界が変わっていました。


布団の中です。

パジャマを来ています。


何やらスズメがチュンチュン平和に鳴いています。



やがて事態に気づきます。

「夢……、だった?」


ほっぺをつねると痛いです。

こちらの方が現実世界だと認めざるを得なくなります。


その時、

「どうせなら、換金して、好き放題楽しんでから

 夢が覚めればよかったのに」

と思いました。

愚かですね。

たとえ夢の中で、楽しんでも、楽しまなくても、覚めてみれば同じです。

何も残ってはいません。



世界の三大文学者はシェークスピアの最後の作品「あらし(テンペスト)」に、こう書いています。


「私たちは夢と同じ材料でできている」


実際、「思い出」と「夢」とは、ほとんど違いがありません。

確かに経験した子供の頃の思い出は、ほとんど実感はなく、

昨夜みた、怖い夢の方がよほどクッキリしている、ということもあるでしょう。


夢のようにはかない人生、生きる意味は何なのか?

答えは簡単ではありません。


「人身受け難し、今すでに受く」
(釈迦)


生まれがたい人間に生まれてよかった。

よくぞ人間に生まれたものぞ。


との生命の歓喜は、夢と消えゆくものとは別次元のもの。



死を前に、価値観は180度逆転し、

現実だと思っていたことが、死を前には夢、幻と色あせていく。

逆に、夢のように思っていた「死」が、これ以上ない現実の問題として迫ってきます。



その準備を何かしているのでしょうか。


「哲学は死の準備である」

とソクラテスの弟子であり、西洋哲学の源流であるプラトンは言いました。



死と聞いただけで暗くなってしまう、それは話題が暗いこともありますが、

心が暗いのではないでしょうか?


まるでステンドグラスのような幸せ。

華やかだけど、すぐ割れてしまう。

そのごまかしが、「死」の一字を聞いただけでヒビが入る。


壊れ物のような幸せを大事にするのは大切ですが、

いつも不安がついて回りますし、

無常の世界にあっては、失い、悲しむ種ともなりましょう。


もちろん、儚いからこそ大事にせねばなりません。

ですが、儚いもの「しか」なかったら、どうでしょう?



もし、大地に足のついた人生を歩みたいのなら、

死を前に色あせない幸福を手に入れるべきではないでしょうか?


そのことを、この白骨の御文章は教えています。



長くなりましたので今日はここまでとしましょう。




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◆ブログ紹介コーナー◆


このようなディープでな内容をお話ししていますと、

珍しく感じられてか、メールやコメントで声をかけてくださる方が多くあります。


今日は、そのお一人、えんどう ひでき さんを紹介いたしましょう。

えんどうさんは、「終活カウンセラー」です!

ちょうど昨日、「終活カウンセラー上級」に合格されたようです。

えんどうさん、おめでとうございます!!


「高齢化社会」「多死社会」という現実がありますので、

今後、より重要なお仕事になるでしょう。


いえ、本当は、多い少ないの問題ではないですから、

いつの時代でも大切なお仕事ですね。



えんどうさんは、

「あなたに寄り添い考える終活カウンセラー」

というブログをなされています。

コチラです→http://ameblo.jp/life-support72/


(自己紹介)には、こう書かれてありますね。


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終活カウンセラーをやっています。

終活とは・・・人生の終わりのための活動の略であり、人が人生の最後を迎えるにあたって、健康、介護、保険、相続・遺言、葬儀、墓などを行う事を総括していいます。

私は、両親を末期ガンで亡くし二人とも自宅で看取りました。

 その中で色々な戸惑いや、悲しみ、家族での争い、医療機関への不信、死後の雑務を経験し、その裏で最後まで両親の最後を看取どけることができた達成感も味わいました。

そんな“死”への不安をご病気になった御本人ももちろんですがそれを支える御家族の方々のお気持ちが楽になれたら・・・と思い終活カウセラーを始めました。

決して、弁護士やファイナンシャルプランナー、葬儀屋のようなプロではありませんが、必ず皆さんのベストな終活ができるようにお話しをお聴きして共に考えていきます。

先ずはこのブログが皆さんのお役に立てればと思います。

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えんどうさんの今後の一層のご活躍を念じております。

これからもよろしくお願いしますね!!



※「生と死」に関連するブログの紹介を希望されたい方は、

メッセージをお送りください。

全員の方をお受けすることは出来ませんが、

趣旨が叶った方のブログを紹介していきたいと思っております。




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http://masaoosajima.com/gift/mio/index.html


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