「もさことまこ」というブログがあります。
http://mosamosa.blog.jp/
8月25日の記事には、お盆にあらわれた猫、ぼんちゃんのことが書かれています。
私も、ぼんちゃんとそっくりな猫を飼っていたことがあったので、ちょっと過剰に反応してしまいました(^^;
このブログをどうして始めたのかについて管理人さんはこう書いています。
「2013年11月19日に9歳離れた最愛の妹、真琴を26歳で失いました。 最後の顔や笑った顔、思い出す度に、自責の念や寂しさや悔しさなどで 日々押しつぶされそうです。会いたくてたまらない。 どうしようもない気持ちをどうしようもないままにつぶやきます。」
胸が熱くなりました。
一体、私に何ができるのでしょう。
ネット上で「優しい」という言葉について書かれてある記事をみて、いろいろ感ずるところがありました。(元記事はコチラ)
ある小学校の先生が、校長先生から「優しい」という字についてこう教えてもらいます。
「“優しい”という字は、イ(にんべん)に〝憂い〟と書くのだが、
本当は〝憂い〟に〝にんべん〟をつけるのだよ。
つまり人が寄り添うことが“優しい”ということなんだ」
書き順としては、「人偏に憂い」と書いて「優」なのでしょう。
合理化、効率化、分類整理を重んじればそうなのでしょう。
でも、もし、これから「優しい」という漢字を説明するときは、
憂いのある人
(それは、寂しい人であったり
裏切られてしまった人であり
努力したけど認められなかった人であったり
大切な誰かを失った人であったり
思いが空回りしてしまった人であったりいろいろあるでしょう)
の横に、人が、そっと寄り添う。
それが「優しい」ということ。
そう話したい。
話は続きます。
この先生は、「優しい」の意味に感動し、ある日、小学5年生のクラス
でも話をしたそうです。
すると、最後に、在日韓国人の女の子が
「先生、憂いの横に、人で、優しいというのはよくわかったけど、
私には憂いという字は百と愛に見えるよ。
憂いのある人には百の愛が必要なんだよ、きっと」
と言ったそうです。
その子は、きっと優しい子であり、
優しさを必要としていた子であったのではないかと思えてなりません。
日本の文豪、太宰治は、この「優」という字について、昭和21年、フランス文学者の河盛好蔵へ送った手紙にこう書いています。
「私は優というふ字を考へます。
これは優(すぐ)れるといふ字で、
優良可なんていふし、
優勝なんていふけど、
でももう1つ讀み方があるでせう?
優(やさ)しいとも讀みます。
さうしてこの字をよく見ると、
人偏(にんべん)に、憂ふと書いてゐます。
人を憂(うれ)へる。
ひとの寂しさ侘しさ、つらさに敏感な事、
これが優しさであり、
また人間として一番優(すぐ)れてゐる事ぢゃないかしら」
・・・
優しく人に寄り添える物語が書きたい。
そういう願いから、一つの物語を書きました。
その一部を紹介します。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
やがて速度が下がり、開けた場所でバイクは止まった。エンジンが切られると同時に静寂な世界が訪れた。
眼下に、壮大な夜景のイルミネーションが広がっている。天上にはパノラマに展開する星の煌(きらめ)き。天と地の光の共演に魅了される。
童心に返り、二人で草原に寝っころがる。まるで地球を寝床にし、大宇宙を見ているようだ。異世界に迷いこみ、二人きりで銀河に漂っている錯覚に陥る。
いつまでもこうしていられたら……。
その願いは、《これが最後かも》との切なさに醜く歪められた。それは、心の奥をたまらなくさせる。せめて今夜だけはずっと一緒にいたいという気持ちと、早く帰った方がいいという気持ちが複雑に入り乱れた。
突然、「スギヤマアキラを知ってるか」と龍一郎が夜空を見ながら訊いてきた。
「ふむ、スギヤマアキラ、知らんな」
「百億光年の孤独という詩を書いた人だ」
「谷川俊太郎の二十億光年の孤独なら知っているが」
「まあ、百億光年でも二十億光年でもいいんだが、孤独っていうのは心の状態によって全く意味が変わるよな」
ねっころがったまま龍一郎がこちらに身体を向ける。
「〝一人〟いて、寂い人もあるし、
〝一人〟が心地よい人もある。
恋人に振られたアイドルは、東京ドームいっぱいのファンから愛されても孤独だったりする。だから〝独り〟というのは本来、心の問題だよな。〝独り〟を著す言葉も色々ある」
「うむ、寂寞とか、孤高とか」
「ああ、
寂寞
寂寥
悄然
こういうのはどっちかというとマイナスの意味の〝独り〟だな。
それに対してプラスの意味の〝独り〟は
孤高、
超然、
寂静」
「ふむ」
「英語でもそうだ。
lonely(ロンリー)とsolitude(ソリチュード)は違う。lonelyは心が満たされない独りぼっちの淋しさ。solitudeは、だれにわずらわされることなく独りになること。
周り中、友人に囲まれていても、lonelyな人は淋しいし、一人いてもsolitudeなら淋しくない。
ちょうど音楽でも、ソロ演奏(solo)っていうのがあるが、あの〝ソロ〟にマイナスイメージはないだろ。そんなsoloの状態をsolitude(ソリチュード)っていうんだ。それはいってみれば誰の力も借りずに一人でやれるってことだ。
だからlonelyとsolitudeは同じ〝独り〟でも、意味が全く違う」
「孤独論をひたすら語る龍一郎はまさに〝SOLO(独演)〟だな」
二人の顔に小さな笑みが浮かんだ。
「でもな、難しいのは、一人で感ずるときの孤独じゃなくて、二人いて感ずる孤独の方だ。これは龍男じっさまがよく言ってたことなんだが、実際、そう思う」
そこで言葉が途切れた。
龍一郎の言葉は吾輩に向かって語られたようでもあったし、自分自身に言い聞かせたようでもあった。
〝二人いて感ずる孤独〟
それは一人の男性を愛して初めて知る心。
一人で感ずるのとは異質の〝淋しさ〟
いつも一緒にいたいのに、一緒にいれない〝淋しさ〟。
ぎゅうと抱きしめてもらいたいのに叶わない〝淋しさ〟。
一緒にいても自分のことをどう感じてくれているのか分からず、どうしようもなく不安に感じる〝淋しさ〟。
そして……。
アトリエで言えなかったことを思い出し、胸がギュッとなる。
すぐ隣にいるはずの龍一郎が、何億光年の星よりも遠くに感じられた。
龍一郎は夜空を見上げたままだ。
永遠を思わせる夜空の下、二人いて感ずる孤独……。
切なさに全身が浸され、身体が冷たくなった。
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もし、関心があれば、こちらで全文読めます。
期間限定ですので、読まれたのでしたら、スグにダウンロードしておいてくださいね。
http://masaoosajima.com/gift/story.html1
少しでも、優しくなりたいと思います。
ではまた。
