以前ブログにもちらっと書いたことがありますが
私には年子の兄がいます
兄の性格はすごく優しくて
弱いくせにお兄ちゃんだからと頑張るがすぐ泣く
何事にもおっとりで、すごく大人しい
いつもイケイケ~
チャキチャキ
の私のほうがお姉ちゃんに間違われていました
そんな兄との写真がこちら~
ずっとこたぬきちゃんはパパの小さい頃にそっくりだと
義母もたぬきちゃん妹弟もみんな言うし
私自身もそう思っていたのですが~
上の写真の私、まん丸顔に目鼻口が中心に集中しているお顔・・・
私の幼少期もこたぬきちゃんと似てる~

今は色々あって疎遠になってますが
この頃兄とはとっても仲が良かったなぁ~
上の写真、これはちょうど小学校に入ったくらいの頃の写真でしょうか
隣の子はは現地で会った知らない子です
母がよく私たちを連れて山にドライブに連れてってくれて~
遊べそうな川原があったらそこでみんなでお弁当食べたり
この写真のように水着用意してくれてて川で遊ばせてくれたり
たくさん思い出を作ってくれました




この歳になって考えると母は本当に凄い人だと思います
今の私より若い時に父と離婚
父が悪いのだからと祖母に説得され父の実家には住んでいたものの、
金銭的にも子守、家事手伝いなどの一切の援助なし、
小姑3人(父の姉)、セクハラオヤジ2人(父の姉の夫達)、
ただただ無責任に口出し多く
本家のなので親戚の集まりや何かある度に
ただで使える家政婦扱いで・・・
仕事に家事に3人の子供の子育て、ものすごく大変だったと思います
せめてもの救いは2世帯住宅で3階から上が私達の家になっていたくらいでしょうか・・・
行き来自由だったのでホッとできなかったでしょうが・・・
そんな幼少期、家が複雑な環境だったからか
通常経験しないようなことをたくさん経験しているようです
父と離婚後、シングルマザーになった母に
父の姉2人の夫達が淋しいだろうといいよってきていたらしく
姉達は嫉妬から母に対してとても辛くあたってました
私から見たらいとこのお父さん、そのおじちゃんがいつも下のおばあちゃん家におじちゃんの家族連れてみんなで来てる時は
母がお風呂に入ってる時間を見計らってひとりで上がってきて、さも用事があるかのように名前を呼びながらお風呂を覗きに来るのです
母がお風呂に入る前に玄関に鍵をかけ、誰が来ても絶対あけたらダメよって言っていたのですが・・・
その頃の私は子供過ぎてわからなかったんですね~
コンコンってドアをノックされると
おじちゃんが来たよって鍵を開けてしまうんです
兄は感がいいのか、泣きながらお風呂の前に座り
入っちゃダメって頑張っていました
~
こんな感じのセクハラオヤジ、私が小学校4年生くらいになった時に
みんなの前だったけど大きくなったなぁ~って言いながら
私の体中をいやらしく触ってきて、私は何かおかしいと思い
すぐに『おじちゃんが胸触った
』って叫んだのですが・・・
親戚のおばさん連中は何言ってるの~って感じで無視
子供ながらに母以外、誰も守ってくれないんだと思い
その時から絶対近づかないことに決めました
私が大人しく黙ってる子なら、母のお風呂を覗きに来るこのおじさんにイタズラされていかもしれないと本気で思ってます

このおじさん、私が中学3年の頃に胃がんが発覚し
長く闘病生活していたのですが、耐えられなくなったようで
数年後、おじさん家の玄関の前のポールで首をつって自殺しました
私と母は、この事件を聞いて顔を見合わせ
冷たいようですが絶対バチが当たったんだと話をしたのを思い出します
こんなこともありました~
母の育ったところは広島の中でもかなり田舎の漁師町
小さい頃~母に連れられよくそこに行っていたのですが・・・
その家の近所にちょっと頭の弱い感じのお兄さんがいて
私達がお祖母ちゃん家でくつろいでいるとやってきてはあれこれ話をしに来るんです
いつも母がお兄さんが帰ったあとに、あの子はちょっと頭が弱いから
何かあったらいけないから気をつけんさいよ~って言ってました

ある日、私が小学生4年生くらいの時だったかなぁ~
私は怖いもの知らずの釣り好きだったので
ひとり釣竿を担いで近所の桟橋で餌も付けずに引掛け釣りをして遊んでました

そこに例のお兄さん登場
何かブツブツ・・・・
桟橋の端に繋がれていた手漕ぎボートっぽい小さなボートを指差しながら
『お船に乗せてあげるからこっちにおいで~楽しいよ~』って
子供でしたが頭フル回転で状況分析してました
はぁ・・・
力じゃ負けるし
騒ぐと怖い
ものすごく緊張して
警戒していましたが平静を装い
・・・
『じゃあおにいさん先に乗って~後から乗るけん』って言って
お兄さんが乗った瞬間ボートを蹴って岸から離し
急いで走って逃げ帰ったことがありました

この経験も、ある意味毎日の生活の中でそういった危機感を感じて過ごしていたので回避できたんだと思います
そしてこれは小学校3年生の頃の話・・・
校庭でお友達と学校にあった遊具で遊んでいた時に
同級生のM君が、ちょっとこっちに来て~と言って
当時あった古い校舎横のトイレに連れて行ったんです
同じクラスのお友達だし、遊ぶのかなぁ~なんて思いながらついていくと
その子がトイレの一番奥の扉を指差し、私が覗きにいくと
小太りの不潔そうなおじさんがいて、私の顔を見て
『こっちに来い』って小さなトイレの中に引っ張り込み
『おい、パンツ脱げ』って
もうパニックになって『嫌だぁ~みんなに言うてやるんじゃけぇ~』って泣き叫びながら騒ぎまくりました
そうしたらすぐに、『もういい、帰れ・・・絶対に誰にも言うなよ』って
この時ばかりは何が何だかであまりの恐怖に一目散に家に帰ったのを覚えています
本当に何もされなくて良かった
あまりの怖さに私をトイレに誘ったM君とも
親や学校の先生にもこの話をせず、忘れてしまおうとなかったことかのように普通の生活に戻ったんです
今だったら絶対言うけど、言うなよっていう恐ろしい言い方が怖かったのか
なかったことにする方が楽だったのか・・・
子供って結構怖いことがあっても言わない、言えないんだなって実体験からそう思います
そして、この変質者
数年前にわかったのですが、当時幼稚園児や低学年の子供ばかりを狙って犯行を繰り返していたようです
被害者が多くいたのにもかかわらず
捕まることなく・・・
当時の被害者の一人が数年前に警察を連れてその変質者の家に行った時にはもう、亡くなっていたそうです。
行くのが遅すぎた・・・
実はこの被害者は私の兄だったのです
自殺したおじさんの子供、従兄弟に誘われ幼稚園児だった兄は変質者宅に連れて行かれ
脅され、無理やりイタズラされたと、すごく怖かったと・・・
ずっと知りませんでした、従兄弟も兄も何も言わなかったので・・・
兄は20歳位からおかしくなり、引きこもり、体も薬やらでボロボロ
未だに完全に社会復帰できていません
引きこもった兄を何も知らない私は単に心が弱すぎるからあんなになるんだと
責め立ててばかりでした
怖い経験をしていたと知ったのは数年前、兄が母に打ち明けたことがきっかけでした
自分で押しつぶして隠した怖い経験は大人になるにつれ、鮮明にフラッシュバックしてきたのだそうです
それで心のバランスが崩れたのか・・・
母や兄の面倒はずっとお金ですができるだけサポートしてきました
でも結婚し、子供が生まれ、自分たちの生活もあるのに
兄の面倒をなんで私が見なきゃいけないんだと、もう関わりたくないと母に伝えました
その時にこの話を聞きました
ショックで、兄のことを思うと涙が止まりませんでした
母は兄がかわいそうだからと言いましたが、ずっといろんなことを我慢してサポートしてきた私だって・・・
何があったにせよ、自分で生きる努力もしない人間の面倒はもう見ないと宣言したあと母が兄と話をしたようです
母が死んだら誰も頼れなくなる、妹たちに迷惑をかけるなと
そんな兄はやっと最近自分で生きていかないととリハビリなど頑張り始めました
どうなるかわかりませんが、お兄ちゃんには人生を楽しむ時間も味わってほしい
話が飛びまくってますが
こんな感じで子供って恐怖すぎることがあると誰にも言わなかったりするのです
男の子も被害に遭ってしまうということ、
この変質者のようにあの子連れてきてって言って
直接声をかける子じゃない子を子供に連れてこさせる手口があること
知らない人にはついていかないけど、お友達にはついていってしまう・・・
最近変質的な嫌なニュースばかりあるので、
ある程度の危機感持って生活して欲しくて、
もう傷つく子が出ないようになって欲しい
そう思って書いてみました
重い話、長々読んで下さってありがとうございました
私には年子の兄がいます

兄の性格はすごく優しくて

弱いくせにお兄ちゃんだからと頑張るがすぐ泣く

何事にもおっとりで、すごく大人しい
いつもイケイケ~
チャキチャキ
の私のほうがお姉ちゃんに間違われていました
そんな兄との写真がこちら~
ずっとこたぬきちゃんはパパの小さい頃にそっくりだと
義母もたぬきちゃん妹弟もみんな言うし
私自身もそう思っていたのですが~

上の写真の私、まん丸顔に目鼻口が中心に集中しているお顔・・・
私の幼少期もこたぬきちゃんと似てる~


今は色々あって疎遠になってますが
この頃兄とはとっても仲が良かったなぁ~

上の写真、これはちょうど小学校に入ったくらいの頃の写真でしょうか

隣の子はは現地で会った知らない子です
母がよく私たちを連れて山にドライブに連れてってくれて~

遊べそうな川原があったらそこでみんなでお弁当食べたり

この写真のように水着用意してくれてて川で遊ばせてくれたり

たくさん思い出を作ってくれました





この歳になって考えると母は本当に凄い人だと思います

今の私より若い時に父と離婚

父が悪いのだからと祖母に説得され父の実家には住んでいたものの、
金銭的にも子守、家事手伝いなどの一切の援助なし、
小姑3人(父の姉)、セクハラオヤジ2人(父の姉の夫達)、
ただただ無責任に口出し多く

本家のなので親戚の集まりや何かある度に
ただで使える家政婦扱いで・・・

仕事に家事に3人の子供の子育て、ものすごく大変だったと思います

せめてもの救いは2世帯住宅で3階から上が私達の家になっていたくらいでしょうか・・・

行き来自由だったのでホッとできなかったでしょうが・・・

そんな幼少期、家が複雑な環境だったからか
通常経験しないようなことをたくさん経験しているようです

父と離婚後、シングルマザーになった母に
父の姉2人の夫達が淋しいだろうといいよってきていたらしく

姉達は嫉妬から母に対してとても辛くあたってました

私から見たらいとこのお父さん、そのおじちゃんがいつも下のおばあちゃん家におじちゃんの家族連れてみんなで来てる時は
母がお風呂に入ってる時間を見計らってひとりで上がってきて、さも用事があるかのように名前を呼びながらお風呂を覗きに来るのです

母がお風呂に入る前に玄関に鍵をかけ、誰が来ても絶対あけたらダメよって言っていたのですが・・・
その頃の私は子供過ぎてわからなかったんですね~

コンコンってドアをノックされると
おじちゃんが来たよって鍵を開けてしまうんです

兄は感がいいのか、泣きながらお風呂の前に座り
入っちゃダメって頑張っていました

~こんな感じのセクハラオヤジ、私が小学校4年生くらいになった時に
みんなの前だったけど大きくなったなぁ~って言いながら
私の体中をいやらしく触ってきて、私は何かおかしいと思い
すぐに『おじちゃんが胸触った

親戚のおばさん連中は何言ってるの~って感じで無視

子供ながらに母以外、誰も守ってくれないんだと思い
その時から絶対近づかないことに決めました

私が大人しく黙ってる子なら、母のお風呂を覗きに来るこのおじさんにイタズラされていかもしれないと本気で思ってます


このおじさん、私が中学3年の頃に胃がんが発覚し
長く闘病生活していたのですが、耐えられなくなったようで
数年後、おじさん家の玄関の前のポールで首をつって自殺しました

私と母は、この事件を聞いて顔を見合わせ
冷たいようですが絶対バチが当たったんだと話をしたのを思い出します

こんなこともありました~
母の育ったところは広島の中でもかなり田舎の漁師町

小さい頃~母に連れられよくそこに行っていたのですが・・・
その家の近所にちょっと頭の弱い感じのお兄さんがいて
私達がお祖母ちゃん家でくつろいでいるとやってきてはあれこれ話をしに来るんです

いつも母がお兄さんが帰ったあとに、あの子はちょっと頭が弱いから
何かあったらいけないから気をつけんさいよ~って言ってました


ある日、私が小学生4年生くらいの時だったかなぁ~
私は怖いもの知らずの釣り好きだったので
ひとり釣竿を担いで近所の桟橋で餌も付けずに引掛け釣りをして遊んでました


そこに例のお兄さん登場

何かブツブツ・・・・
桟橋の端に繋がれていた手漕ぎボートっぽい小さなボートを指差しながら
『お船に乗せてあげるからこっちにおいで~楽しいよ~』って
子供でしたが頭フル回転で状況分析してました
はぁ・・・力じゃ負けるし
騒ぐと怖い
ものすごく緊張して
警戒していましたが平静を装い
・・・『じゃあおにいさん先に乗って~後から乗るけん』って言って
お兄さんが乗った瞬間ボートを蹴って岸から離し
急いで走って逃げ帰ったことがありました


この経験も、ある意味毎日の生活の中でそういった危機感を感じて過ごしていたので回避できたんだと思います

そしてこれは小学校3年生の頃の話・・・
校庭でお友達と学校にあった遊具で遊んでいた時に
同級生のM君が、ちょっとこっちに来て~と言って
当時あった古い校舎横のトイレに連れて行ったんです

同じクラスのお友達だし、遊ぶのかなぁ~なんて思いながらついていくと
その子がトイレの一番奥の扉を指差し、私が覗きにいくと

小太りの不潔そうなおじさんがいて、私の顔を見て
『こっちに来い』って小さなトイレの中に引っ張り込み

『おい、パンツ脱げ』って
もうパニックになって『嫌だぁ~みんなに言うてやるんじゃけぇ~』って泣き叫びながら騒ぎまくりました

そうしたらすぐに、『もういい、帰れ・・・絶対に誰にも言うなよ』って
この時ばかりは何が何だかであまりの恐怖に一目散に家に帰ったのを覚えています

本当に何もされなくて良かった

あまりの怖さに私をトイレに誘ったM君とも
親や学校の先生にもこの話をせず、忘れてしまおうとなかったことかのように普通の生活に戻ったんです

今だったら絶対言うけど、言うなよっていう恐ろしい言い方が怖かったのか
なかったことにする方が楽だったのか・・・
子供って結構怖いことがあっても言わない、言えないんだなって実体験からそう思います

そして、この変質者

数年前にわかったのですが、当時幼稚園児や低学年の子供ばかりを狙って犯行を繰り返していたようです
被害者が多くいたのにもかかわらず捕まることなく・・・
当時の被害者の一人が数年前に警察を連れてその変質者の家に行った時にはもう、亡くなっていたそうです。
行くのが遅すぎた・・・

実はこの被害者は私の兄だったのです

自殺したおじさんの子供、従兄弟に誘われ幼稚園児だった兄は変質者宅に連れて行かれ
脅され、無理やりイタズラされたと、すごく怖かったと・・・
ずっと知りませんでした、従兄弟も兄も何も言わなかったので・・・
兄は20歳位からおかしくなり、引きこもり、体も薬やらでボロボロ
未だに完全に社会復帰できていません

引きこもった兄を何も知らない私は単に心が弱すぎるからあんなになるんだと
責め立ててばかりでした

怖い経験をしていたと知ったのは数年前、兄が母に打ち明けたことがきっかけでした

自分で押しつぶして隠した怖い経験は大人になるにつれ、鮮明にフラッシュバックしてきたのだそうです

それで心のバランスが崩れたのか・・・

母や兄の面倒はずっとお金ですができるだけサポートしてきました

でも結婚し、子供が生まれ、自分たちの生活もあるのに
兄の面倒をなんで私が見なきゃいけないんだと、もう関わりたくないと母に伝えました

その時にこの話を聞きました
ショックで、兄のことを思うと涙が止まりませんでした
母は兄がかわいそうだからと言いましたが、ずっといろんなことを我慢してサポートしてきた私だって・・・
何があったにせよ、自分で生きる努力もしない人間の面倒はもう見ないと宣言したあと母が兄と話をしたようです

母が死んだら誰も頼れなくなる、妹たちに迷惑をかけるなと
そんな兄はやっと最近自分で生きていかないととリハビリなど頑張り始めました

どうなるかわかりませんが、お兄ちゃんには人生を楽しむ時間も味わってほしい

話が飛びまくってますが
こんな感じで子供って恐怖すぎることがあると誰にも言わなかったりするのです

男の子も被害に遭ってしまうということ、
この変質者のようにあの子連れてきてって言って
直接声をかける子じゃない子を子供に連れてこさせる手口があること
知らない人にはついていかないけど、お友達にはついていってしまう・・・
最近変質的な嫌なニュースばかりあるので、
ある程度の危機感持って生活して欲しくて、
もう傷つく子が出ないようになって欲しい
そう思って書いてみました

重い話、長々読んで下さってありがとうございました










ぐったり~





































を握りとり











