私の人生について書きますね。
実は小学校時代の記憶はほとんどなく、バレー部のキャプテンをしていたことぐらい。
中学校入学とともに、今の実家に引越し、友達もいないまま入学式を迎える。
中学校の時は正義感も強く、男子にでも注意をしてしまうような生徒でした。
この頃バレー部に入部し、2年生でキャプテンになるも、揉め事の多い部活で、
ちょっと目立ったちすると、無視をされる、というような居心地の悪さ。
正義感の強かった私も、どうやって、その洗礼から逃れることができるかを考え、
人に注意するというよりは、周囲をまるくおさめるという方法を考えるようになる。
この中学時代に運命の出逢いがある。(後に教師になるのですが、目標となる先生が担任になる)
高校時代、家が厳しかったので、本当に何をしたか? という特別なものはないが、
誘われてバンドに入ったりもしたが、家でバンド練習をすると叱られるので、ほとんど練習ができずにバンド活動も終了。
大学は推薦入試で合格し、初の一人暮らし。
ほとんどの生徒が一人暮らしだったため、人生でこんなに楽しいことがあるのか? っていうくらい、友達との時間を楽しむ。学生時代を振り返るとこの大学生活で得たものは、今でも何にも代え難いもの。
神戸市の採用試験と、ANAクラウンプラザホテルを受験し合格。
教員になることを決める。
ここから、睡眠時間平均3時間半の生活が始まり、1年目は半年で8Kg以上痩せる。
初任校は最初の2年間は良かったものの3年目、4年目は学校が荒れ、早朝練習で登校しても、部活動の練習ではなく、校舎の割られたガラスの処理から一日が始まる。そんな日々が2年続く。あまりの激務に4年目に自分の学年の卒業生を送り出すとともに、倒れ、しばらく休職。
復帰してからは、学校が変わっていたので、落ち着いた生活に戻る。
この頃に主人と結婚し、2年後に退職。
家庭に入るが、子供が生まれると、幼児英語に興味がわき、娘をバイリンガルに育てることを決める。
そして、その頃大手子供英語教室の講師となる。
幼児は中学生とはまた違う可愛らしさがあり、自分に子供がうまれたことで、考え方に変化がでる。
大手の英語教室に勤めてはいたものの、自分の理想とする英語教育とのギャップが気になりはじめ、自分で「リリーインターナショナルスクール」を立ちあげ、外国人講師・事務スタッフ・私の3人で5年間続ける。
生徒・保護者の方には申し訳なかったのですが、5年間でお教室をたたみ、中学校のに戻りました。
そして自分を高めるために、神戸市外国語大学の大学院を受験し、合格。
通い始めたのですが、今は、学校で働いていないので、研究対象がなく、休学状態です。
そして、今。
英語を普及したいと思う気持ちはうすれず、自分で教えることの方が簡単だとはわかっていても、できれば多くの人に「簡単・安価・お手軽」な家庭での英語学習方法を広めたくて、この英育アドバイザーとして始動。
人生で一番大きなことは中学時代に出会った担任の先生。
その先生のおかげで中学時代の苦しい学校生活から救われました。
そして、就職して偶然にも同じ職場で働くこともできました。
恩人です。
私は常に現状に満足できず、上に上にとベクトルを向けてしまう癖があります。
そんな私を主人は不安に見ています。他人から見ると、無理していると思われるのでしょう。
自分の長所か、短所かわかりませんが、現状維持では物足りなくなります。
常に新しいことにアンテナをはっていたいし、向上したいです。
きっと今からもいろいろなことにチャレンジしていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます、