城 奈穂美(じょう なおみ)

 神奈川県横浜市に生まれる



《幼い頃の私》
幼い頃から洞察力が鋭かったので、「奈穂美の発言は子どもらしくない!」とか「生意気だ!」叔父や叔母から良く叱られていた。

《小学生》

小学校1年生まで横浜で過ごすが、父の仕事の関係で2年生からは海まで歩ける茅ヶ崎市に移り住む。

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一人っ子の私を鍵っ子にしたくないという理由で小学校の真ん前の病院に看護師として勤め、私は下校と共に毎日病院の自宅に帰り、先生や奥様、お手伝いさんに可愛がられて育った。


小学校4年生のある日、看護助手の方のお嬢さんを海の側の保育園まで迎えに行くことになり、そこから毎日お迎えが日課となった。

私はいつしか将来は保育士になる!と決めていた。


《中学生》

男の子とばかり遊んでいた。

時として教室で机や椅子を振り回して暴れる男の子のそばに行き、恐れることなく本気で怒鳴り飛ばすほどの勝気さを持つ子だった。

(今でもその子とはとっても仲良しです。)


《高校生》

高校に入るとピアノ経験ゼロの私は、OGのプロピアニストに直談判をし指導をお願いした。

快く受けてくれた先輩は、私の性格を加味して初級の練習本は一切やらず、私の好きなショパンから指導してくださった。


《短大》

保育科のある短大を自分で探し、全て自分で決めた私に母が「奈穂美の辞書に相談という言葉はないのね!」と淋しそうに言っていたのを今でも覚えている。


他のクラスの人達からもドラミは笑い声ですぐに居場所がわかると言われるくらい目立っていたらしく毎日愉しく、あっという間の2年間だった。


《とんでもない失態》

実習園に就職したかった私は、近隣の幼稚園の園長がわざわざ電話をくださって試験を受けさせてくださったにも関わらず、「受けたい園があるので早く結果を教えてください!」と失礼発言をした。それが功を奏したのかどうかはわからないが、見事合格。

一つしかない担任の枠を1年目にしていただく事になった。


《幼稚園教諭》

この園では沢山の保護者に助けられて、可愛がられ、一人前にしていただきました。今でも教え子に私の事を伝えてくださっていたり、教え子達ともご飯を食べたり、教え子の子供や奥様、旦那様とも関わらせてもらっている。





《その後》

スタジオのオーナーに誘っていただき、エアロビクスのインストラクターの資格を取った。

ファッションビル内のショップの店長を経験した。


主婦になってからは、

小学校の読み聞かせ、算数補助、郊外学習の、引率など、そこでは子供達が大好きで仕方ないことに改めて気づかされた時間だった。


《現在》

やっぱり子どもが大好きで0.1歳児担当として保育士をしている。

その傍ら個人セッションをメインに、学校での講演会、会社の研修、などとここまでの私の生き様を通して人を育てる真髄を話させていただいている。


そして私が体感している親も子も「自分を活かし、自分を愛し、本来の自分を生きる」を伝えていかれたら、嬉しい。

私の経験全てから、私が私であれば「何者にでもなれる」

そのことを一人でも沢山の方に会って伝えて行こうと思いながら今に至る。


あなたの人生の中の、

「思い込みを書き換えて親も子もEnjoy Life!」

人は思い込んでいることすら気づかず毎日を過ごしている。だからこそ人の力が必要。

 


人は生まれ持った資質を活かし、その人にしか出来ないことをやりきって人生を終える。最後の瞬間に「あー、幸せだったなぁ!」って言って次の世代へとバトンを繋げたら幸いです。


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                                                     ジョーナ