私は高校2年生の夏休みまでは受験校の優等生の部類に入る女子高生でした。父の転勤で名古屋に行ってから、暫く父と妹と3人の生活が続きました。普段、祖母もいて家事を余りしたことがなかった私は毎日がとても大変でした。おまけに得意の数学の教科書が違って、長崎でこれからやる所が名古屋ではもう終っていてそれを取り戻すことにもとても苦労しました。
 転校して初めて貰った成績表の数学の10段階の成績が惨憺たる物で、しょっぱい涙を流したのを今でも覚えています。
 やがて母・祖母・弟が来て、家事から解放されましたが、母が私の成績と精神の落ち込みを心配して知人の紹介の家庭教師を雇ってくれました。国立大学の学生さんで山男。真面目な人でした。真面目に一所懸命指導してくれましたし、勉強後のお茶の時間に山の話などもたくさんしてくれました。
 だんだん慣れて来たら、ボーリングなどに誘われるようになり少し勉強の指導と離れていきました。それで母に頼んで家庭教師をやんわり断って貰いました。私もまだまだ真面目な女子高生で、それがとても不純で嫌なことに思えました。
 受験の第一志望は見事に失敗。人生初めての挫折を知りました。私は4月初めに上京して学生寮に入り、暫く経った時に彼が実家にお祝いに来てくれたそうです。その時も特に嬉しくもなく、若さゆえの残酷さもあったのでしょう。御礼の葉書も出しませんでした。
 そして4月の終わりの連休に彼は八ヶ岳連峰の赤岳で遭難して亡くなりました。友達が滑落して骨折したのを知らせに下山する途中、慌てていたのか自分が転落して亡くなったそうです。
 実家に帰ったときに母に連れられて彼の家にお参りに行きました。丸坊主の笑顔の遺影の前で手を合わせながら不義理をお詫びしました。連休が始まる頃になると、苦い青春の思い出として色々思い出されます。先日も八ヶ岳連峰の映像がTVで流れていました。その山並みの美しさを見ながら少しセンチメンタルになってしまいました(x_x;)。★