さて、京都に住む、というテーマでさきほど住みやすさ、ということについて書きましたが、
京都のような街に住む、ということは、住みやすいかどうかだけで語れないものがあります。
それは、「歴史の中に埋もれる」ということ。
たとえば、週末ごとにお寺巡りをして、それぞれの時代に思いを馳せるということではない。
日常の中に、歴史の断片が急に現れるということなのです。
観光で京都に行けば、興味のある建物やレストランなどを選んで訪ねることになる。
しかし、住む場所を選べば、その場所で起こってきたことを、少しずつ知るようになります。
バスの車窓から、本能寺が見えた。え、もう、終わり?本能寺ってこんな小さいの?
え、だって本能寺って、他の場所で見たよ。本能寺ホテルなんていうのもある。
調べると、本能寺は移転をしていることがわかるのです。
歩いているうちに見つけけたお寺が気になって調べてみた。それなりの歴史があるんだなあ。
え、歴史といえばかっこよいが、たんなる喧嘩の延長じゃないか。
そんなことでお寺に火をつけちゃうの~。
紫式部が引きこもりをしたお寺だって。へえ。でも、こんなにちっちゃいなんて。
そういえば、当時の人たちの身長は135センチだって、どこかで聞いたなあ。
街屋といわれる古民家レストランの階段は急で、あまりにも幅が小さい・・
男の人も150センチぐらいだった?
これまで教科書で見てきた歴史が、こんなに煮詰まった、小さな時空間で起こったことだとわかると、
なにやらかわいらしい感じがするのです。