今日もお越し頂きありがとうございますラブラブ

(また、はじめましての方は 前1話〜がありますのでそちらからお読みいただけたらと思います)

 

 

幼少期からとくべつな存在になることこそが、

自分が自分であることを認められる!と思って

母から言われることを忠実に生活をする中で、ある特徴が備わりました。

 

母の独裁国家をあまり火の粉を浴びずに過ごすには…『黙っていること。』

 

これは、父から言われた言葉でした。

 

いつものように、ヒステリックに怒鳴り始めた母親に対して

思春期の頃から反抗するようになり、やられたらとことんやり返そう!(倍返しだ!笑)

という根性も備わっていき、母親と同じように罵声を浴びせ合う日常を見て、

 

“きょうこは、賢い子なんだからお母さんと同じような言葉を使ったらいけないよ。

言われても黙っててごらん!

言葉にしなければ他人にはわからないし何を考えているかわからないものほど恐怖を感じるものはないんだよ。

お父さんは、人の気持ちがわかる優しい子になってほしいと思っているよ。

きょうこなら出来ると思うんだけどな。” 

 

いつも

穏やかで

品があって

わからない事を聞いたら何でも答えてくれて

大好きなお父さんから言われたのです!

 

しかし、わたしにとって、『黙る』という行為はとても難しいことでした。

 

でも、いつも父の言葉が脳裏をかすめるので意識だけはしていました。

 

結果、同じことをしても母親のその日の気分で言われることが変わったりする

日常に振り回されることがバカらしくなり、

母親の前では『良い子のふり』をして確実に自分が進みたい!

と思ったことを淡々と成し遂げるようになったわけです。

 

ただ、この状態を作り上げるには その場しのぎの行動では難しかったため

自分の中で想定できるシチュエーションから母親に対する『完璧な行動をする』

ことこそが、この家族で生き抜く私なりの知恵となったわけです。

 

自分で書いていても笑えるぐらい大袈裟だなぁ!と思うのですが、

当時は、そう思って生きていました。

 

そこには、わたしなりの精一杯の『お母さんがいつも平和で笑っていてほしい!』

 

ただ純粋にそう思っていましたし 出来る限りの愛情表現だったのだと思っています。

 

ただね。

 

長年…こうして自分の気持ちに蓋をして生きてきた代償は、

いろんな事で巡り巡って戻ってくるんですよね。

 

それが、25歳で結婚して26歳で母となった私に起こる出来事でした。

 

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございますラブラブ

 

My Story5へ つづく

 

素敵な1日となりますようにキラキラ