@npbOP_bot 1951年は「巨人の星」のプロ野球編における星飛雄馬が生まれた年(1967年16歳、1968年17才)。2013年の誕生日で62歳になる。太田幸司と山下大輔は1952年の早生まれで、飛雄馬と同学年。

 

#野球狂の詩⚾ 

1973年のドラフトで大洋が1位で山下大輔を、2位で大橋康延を、南海が1位で藤田学を、阪急が江川卓を指名した。東京メッツは江川や山下に高額の解約金をはらえないことなどから敬遠し、無名だった唐部大樹(とうべたいき)と丘知将(おかともまさ)を指名(「恐怖のTO砲」)。

 

水島新司の作品では藤村甲子園と王島大介が阪神虎に入り、大洋鯨には鯨取りだった海王神人が入団。武藤兵吉(石坂浩二ではない)が東京メッツから広島鯉(Carp)に移り、古巣メッツの水原勇気のドリームボールを打った。海王とよく似た元横浜学園の土門剛介は横浜湾星(BayStars)に入団。

 

星飛雄馬が1951年度生まれとすると学校は別でも同学年の選手に1952年早生まれの元近鉄・太田浩二がいます。太田は三沢高校を出て1970年春から近鉄入団。また同学年の山下大輔は慶応義塾大学を出て1974年から大洋に入団しました。

 

アニメの「巨人の星」では1969年夏に星飛雄馬が大リーグボール2号を編み出すための特訓をしていたとき、高校野球で三沢高校の太田幸司が活躍。原作では近鉄に入団した太田幸司が翌1970年春のオープン戦で飛雄馬と対戦、試合後に握手をしていた。

 

 

 

 

 

 

星飛雄馬と同学年(1967年度で高1と仮定)

新浦 壽夫(にうら ひさお、1951年5月11日~)

太田 幸司(おおた こうじ、1952年1月23日~)

山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )

 

山下大輔が大洋に入った1974年に松井秀喜が生まれた。 平成4年、松井秀喜が甲子園で5打席連続敬遠された。 平成5年、松井秀喜が巨人に入団。 翌年、平成6年に大谷翔平が生まれた。

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「巨人の星」では1969年春の宮崎キャンプの時点で飛雄馬は17歳(アニメ99「運命の出合【であい】」)。開幕後、アトムズ(現・ヤクルトスワローズ)との二軍戦で大リーグボール1号を復活させたときは18歳だった(114「見えないスイング」)。

運命の出合 @kyojitsurekishi - 検索 / X (twitter.com)

見えないスイング 18歳 @kyojitsurekishi - 検索 / X (twitter.com)

つまり星飛雄馬は1951年度生まれ。

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太田幸司(1952年1月23日~)は1970年のオープン戦で近鉄の投手として巨人の星飛雄馬と投げ合った。 新浦壽夫(にうら ひさお、1951年5月11日~)は「新巨人の星」で1975年の最下位長嶋ジャイアンツの投手として登場。

 

山下大輔は星飛雄馬と同学年だが、静岡県立清水東高等学校から慶応義塾大学に進んで1974年にプロ入りしたので、星飛雄馬との対戦があった年ても「新」の時代だろう。入団当時は番場蛮や藤村甲子園と同時代の選手だった。

 

1974年、大洋に入団した海王神人はのちに横浜ベイスターズに入団する土門剛介によく似ていた。 このとき、岩田鉄五郎が山下大輔と対戦。

 

『野球狂の詩』の「偉大なる打者 モビー・ゴッド -鯨神【げいしん】-」によると1974年のシーズンにおける大洋ホエールズの順位上昇は海王神人の打棒によるもの。

1974年の大洋ホエールズ - Wikipedia

 

「巨人の星」と「新巨人の星」の間の時期。左門豊作は大洋で現役を続けけいた。「侍ジャイアンツ」に左門豊作は登場せず、不二立彦というライバルがいた。

 

野球漫画の思い出8~侍ジャイアンツ11/M7970-94 | myojiの日記~書くも恥ずかし (ameblo.jp)

 

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参照

/1974年の大洋ホエールズと「鯨」/

 

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