梶原一騎の作品における中日ドラゴンズ

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星飛雄馬対アームストロング・オズマ

1968年、シーズン終了後。

巨人対カージナルス。

1回目

オズマは驚異の選球眼で悪球を3度見送り、大リーグボール1号に対し「バット落とし作戦」で対抗し、四球出塁。飛雄馬のすきをついて盗塁。

 

2回目

中日に移籍。1969年の前半戦、大リーグボール1号を「見えないスイング」で打倒。

 

3回目

1969年後半戦。大リーグボール2号を三振。

 

4回目

前回と同じ試合。大リーグボール2号に対し、見えないスイングで風を起こし、森捕手が打撃妨害。一塁に出塁したが牽制球でアウト。

 

5回目(アニメのみ)

1970年後期

オズマはベトナム戦争に出兵し、アメリカに帰国途中に日本に立ち寄って飛雄馬と再会。バットをよける魔球・大リーグボール3号と対戦。2球空振り。オズマは3号を「1号の逆の応用」と考え(実際は間違いで、風圧でよける魔球)、見えないスイングを試みるが戦場の傷が痛み、軽く出したバットにボールが当たった。

次の年の対戦を望んだが、オズマはアメリカで高い。リベンジは果たせなかった。

 

星飛雄馬対伴宙太

1970年(昭和45年)春、巨人から中日に移籍した伴宙太は星飛雄馬と対戦。

 

1回目

開幕戦。大リーグボール1号を連続ファウルにして、そのたびに故意に転倒し、本塁付近の土を固め、ボールを隠す土けむりを防いだ。次に星飛雄馬は大リーグボール2号を投げ、伴が打ったものの、外角外れの悪球だったので結果はピッチャーフライ。原因は星一徹のサインミス。涙をぬぐったのを伴が「打て」のサインと誤解。

 

2回目

後半戦。大リーグボール3号に対し大根切りで対抗するも三振。一徹が3号を「単なる急な下手投げ転向による攪乱戦法」とした誤り。アニメではさすがに「1号の逆の応用」という推理(オズマの推理と同じ)も追加されたが、これも外れていた。

 

3回目

土壇場で一徹が3号の秘密を見抜き、伴が長時間逆立ちをした後、最終打者として登場。二塁打性の当たりだったが、一塁まで走れずアウト。塁審の判定が揺れて、これが完全試合かどうか曖昧となり、提訴試合になった。『新巨人の星』では完全試合達成の設定。

 

中日移籍後の伴と左投手時代の星飛雄馬(巨人)の対決は3打席無安打一三振。結果を見れば星飛雄馬の完勝。これはすべて星一徹コーチのミスによるもの。

しかし、「慟哭のブロックサイン」に関しては、もし伴が「消え損ねた魔球」を見送っていれば、巨人側がタイムをかけ、本塁付近の土をかきならし、土けむりが立ちようになって、中日側の打倒策は実行不能になっていたはず。消える魔球が外角外れの悪球だった時点で川上巨人は勝っていた。

 

なお、実際のプロ野球の球場では土ぼこりが上がりにくいようになっているようで、土けむりでボールを隠すことはまず不可能に近いだろう。プレイのたびに土けむりが上がってボールや選手が隠されたら試合にならない。

 

1970年に星飛雄馬が編み出した大リーグボール3号はバットの風圧でボールがよける魔球。アニメではオズマと星一徹(伴宙太を指導していた)は3号を「1号の逆」と推理した。1号は星飛雄馬が打者の動きを予測し、ボールをバットに命中させて打ち取る魔球だった。逆の応用は打者の動きを予測してボールをバットに当たらないようにするもの。前年、1969年の前期にオズマが大リーグボール1号を打倒した後のオールスターの時期、川上監督はこれに近い策を思いついていた。これは投手がオズマの動きを予測したうえで外角高めのギリギリのストライクを投げて打ち取る策だった。川上監督は飛雄馬にその策を説明し、登板を瞑した。しかし、この時点で飛雄馬は大リーグボール2号の開発に心が移っており、監督命令に背いて二軍に落ちた。一軍に復帰したのは中秋の名月の時期だった。

 

星飛雄馬対ロメオ・南条

“ビッグ”ビル・サンダーが帰国とひきかえに日本に送り込んだ南米リーグの選手で、阪神に入団。『新巨人の星』では1977年と1978年に飛雄馬と対戦。

1977年当時、ロメオは鷹ノ羽圭子をめぐる問題を利用するなど、心理作戦で飛雄馬を動揺させて、グランドで飛雄馬に殴られた。飛雄馬はそれで謹慎。復帰後は一時、不調が続いたが立ち直って巨人のリーグ優勝に貢献。

1978年、飛雄馬は蜃気楼の魔球を編み出した。ロメオは最初は苦戦したが、すぐに魔球の合間の速球を打つよう方針を切り替え、ピッチャー返しで飛雄馬を倒そうとして、敬遠のボールも打てるようになっていた。これで一度は他の打者を打ち取っていた飛雄馬を降板させた。最終的に一徹の提案による巨人守備の連係でロメオは敗れた。

ロメオは速水譲次(心理作戦を使う)とウルフ・チーフ(格闘技的な野球をする)を合わせたようなキャラクターだった。飛雄馬もロメオ登場前はスクリュー・スピン・スライディングを使っていたので人のことは言えないだろうが。スクリュー・スピン・スライディングは阪神の掛布によって破られた。

 

前後一覧

〔2020年(令和2年)10月

 

関連語句

伴 飛雄馬 一徹

〔#スポーツ虚実歴史〕(AmebaBlog検索)

 

参照

梶原一騎の作品における中日ドラゴンズ