-------- AUTHOR: kyojitsurekishi TITLE: ルールを拒否しながらルールで他人を縛りたがる人たち DATE: 03/26/2019 23:12:00 PRIMARY CATEGORY: 歴史全般、元号 STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/ ----- BODY: 

ルールを守らない個人は人類にとって癌でもあり、宝でもある
教育基本法改正のときだったか、驛前で何か市民運動をしている人たちが「国の言いなりにならない」ということを主張していたと想う。このとき、東京新聞で「子供は国のものではない」という見出しもあったようで、「子供は国の宝」という感覚がなくなったので、平気で子供を殺す親が後を絶たないのだろう。
「国の言いなりにならない」というのは「国の言うことを聴かない」ということだから、政府見解と異なる論文を書いた元自衛隊関係者も「国の言いなりにならない」という姿勢を貫いていることになる。その人が更迭されたのが、もし、「当然」であれば、日の丸と君が代に対して起立しなかった教師も解雇されて「当然」である。
2008年12月3日、朝7:04
└→ルールを拒否しながらルールで他人を縛りたがる人たち

ルールを拒否しながらルールで他人を縛りたがる人たち
「国の命令」とは「国民の命令」のことである。政府も国民の一部の集団だ。
 

人々が「国の言いなりにならない」などと言ったら、国法で銃を規制しても銃を持つ人が出てくるし、飲酒運轉が禁止されても飲酒運轉はなくならないし、法律で食品の安全基準を定めても守られないことになるし、病院が必ず急患を受け入れるように政府から命じられても「国の言いなりにならない」病院は急患を拒否してしまうことになる。
逆に受け入れたら規則違反になる場合、ルールを守ると人を見殺しにする危険性がある。

 

駐車違反への規制が厳しくなると、宅配便や引っ越し業者が業務でやってきたことが、法改正の日を境に突然、「犯罪」になる。法律とはそんなものだ。これが急病人を搬送する車の場合、法を守ったら病人を見捨てることになる。だから、「違法駐車」になるのを覚悟して病人を搬送するという判断もありえる。

 

「300日規定」なども法律である。憲法を改正しようとしている政権が、それより古いものが多い一般法を改正しようとしないのは、まったく矛盾している。そして、人間はルールに守られながら、ルールから脱却しようとするのである。

 

大東亜・太平洋戦争で、日本とアメリカはどちらも国際法違反となる攻撃をしながら、相手が自国にやった攻撃を「国際法違反」と主張して非難した。
日本でも、大東亜戦争時、日本の軍人がおこなった罪が「国際法違反」であることについて、「国際法など罰則規定のない紳士協定だから無意味」と言う人がいるが、そういう人も日本が受けた空襲、原爆投下、あるいはアメリカのイラク出兵などの不当性を批判するときは「国際法違反」と言い、日本が行った大東亜戦争を正当化し、辯護する際には、あくまで当時の国際法だけを論据とする。

令和2年tw

/2020年06月08日(月)/
@gerogeroR 反権力と権力は表裏一体。先日、「ドラえもん」でアニメ化された「正義ロープ」に近いものです。自分の気に食わないやつをルールで縛るシステムを作ると、自分が縛られるという話です。
 

/他人の投稿「リツイート」で、法的責任を問われる? 中澤佑一弁護士に聞いてみた - 弁護士ドットコム (bengo4.com)/

/午後4:43 · 2020年6月11日/

 

自国の法律に違反すれば活動が制限される。それは人権団体だろうと性犯罪者だろうと人種差別主義者だろうと人種差別に反対する側だろうと同じ。法律というのは国によって違う。何が違法かも国によって違う。 #zoom 

/Zoom临时关停一美国人权团体账户 | NHK WORLD-JAPAN News/

 

前後一覧
2019年3月(平成31年3月)<T-CupBlog
2020年6月(令和2年6月)<AmebaBlog
 
関連語句
 
 

ルールを拒否しながらルールで他人を縛りたがる人たち