明治→大正→昭和→平成と元号が変わって面倒だという人がいるが、黒船来航直前の嘉永年間の日本では文化生まれ(島津斉彬、井伊直弼)、文政生まれ(西郷隆盛、徳川家定、大久保利通)、天保生まれ(篤姫、坂本龍馬、徳川慶喜)、弘化生まれ(和宮、家茂)が共存していた。

返信先: さん
井伊直弼は1815年生まれで、大阪夏の陣から200年後に生まれたのは奇遇です。
桜田門外の変(1860)から100年後の1960年は60年安保の年、デモ隊が国会を取り囲んだそうで、1世紀の年を経た「桜田門」と「永田町」は不思議な組み合わせです。

昭和20年(1945年)の終戦は「明治78年」「大正34年」に相当する年だった。万延2年(1861年)、西郷隆盛と愛加那の息子・菊次郎が誕生した。菊次郎は1928年(昭和3年)に67歳で没。昭和3年年当時は、明治維新から60年、安政の大獄から70年が経過していた。 

西郷吉之助→文政生まれ
西郷從道→天保生まれ
西郷菊次郎→万延生まれ 
明治生まれ、大正生まれ、が家族の中で混在または同居していたところで驚くことではない。
4:24 - 2018年6月1日        

井伊直弼公、最期の瞬間。
佐野史郎さんが心の中でつぶやいたのは、
「この国を頼む」でごわした。
本日【総合】午後1:05~第20回「正助の黒い石」再放送!
#大河ドラマ #西郷どん
#佐野史郎 #井伊直弼
#桜田門外の変
posted at 12:00:13

西郷どん」 
島津久光は、父・島津斉興からの命令にしたがえないと、正直に「できません」と言ってしまう真面目な男だったようだ。
久光は、サルと呼ばれた豊臣秀吉や、タヌキと呼ばれた徳川家康、あるいは真田昌幸のような「策士」にはなれなかったのだろうか。
posted at 13:34:43

#徳川慶喜
杉良太郎が演じた井伊大老「たわけ者め、異人に国を奪われたいか?」
#篤姫
中村梅雀が演じた井伊直弼「帝(みかど)に近づくために、『攘夷、攘夷』と口にして、条約締結を責め立てた卑怯な者たちに、この国を任せられますか?」
#西郷どん
佐野史郎が演じた井伊殿
posted at 15:48:06

西郷菊次郎は1861年2月11日(万延2年1月2日)生まれ。万延→文久→元治→慶応→明治→大正→昭和という6回の改元を経験し、1928年(昭和3 年)11月27日没。昭和生まれや平成生まれが、1度や2度の改元を経験するくらいで大騒ぎするのは、まだ早い。
#西郷どん
posted at 13:17:47

西郷吉之助の息子・菊次郎は、生まれた年に、元号が「万延」から「文久」になり、3歳の時に元号が「元治」になり、4歳の時から「慶応」、7歳の時から「明治」となり、16歳で西南戦争を経験、51歳の時に元号が「大正」となり、65歳の時から「昭和」の時代を生きた。#西郷どん
posted at 13:28:37

西郷菊次郎は1861年2月11日(万延2年1月2日)生まれ。万延→文久→元治→慶応→明治→大正→昭和という6回の改元を経験し、1928年(昭和3 年)11月27日没。昭和生まれや平成生まれが、1度や2度の改元を経験するくらいで大騒ぎするのは、まだ早い。
#西郷どん
posted at 14:04:16

#西郷どん 
佐野史郎が演じた井伊直弼は、1858年(安政5年)の安政の大獄の時、「戦国の世から250年間、徳川幕府が天下泰平を維持した」ということを強調していた。
安政7年(1860年)の「桜田門外の変」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の合戦」から260年後だった。
posted at 17:28:14

@nhk_segodon #西郷どん 
BSで早めの放送があったので、後半を視聴。
奄美大島で吉之助が愛加那との別れを惜しんでいた。放送中に九州で地震があり、薩摩地方は震度3、津波の心配はないとのこと。
某局で「八甲田山」放送中に北海道で大雪警報が出たのと同じくらい、奇妙な偶然だった。
posted at 18:57:38

#西郷どん 
安政5年(西暦1858年)から安政の大獄が始まり、安政7年(1860年)に桜田門外の変。この年に「万延」に改元。翌1861年にまた改元され、「文久」年間が始まった。文久年間は公武合体、薩英戦争、新選組結成の時代である。明治の前の元号を知らない人は、幕末を描いた時代劇をよく見ておこう。
posted at 19:32:50


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