江戸時代末期、水戸斉昭と孝明天皇が攘夷派だったのか。もし島津と井伊が開国を望むなら、島津と井伊で手を組み、朝廷を戴すのが筋だった。逆に朝廷から見れば幕府も薩摩も開国派である限りは朝敵。薩摩は開国派だったのに攘夷派の力をも借りて、朝廷を動かし、幕府を倒そうとしていたのか? #西郷どん

 
江戸幕府の大老・井伊直弼は日本のために開国を進めた、それなのに桜田門外で水戸・薩摩浪士の一団によって暗殺された。水戸は攘夷派だったとして薩摩はどっちだったか。土佐の坂本龍馬は尊王攘夷運動を利用して幕府を倒した。
竜馬は、開国論者それとも攘夷論者?
 
井伊直弼は開国を進めたのに、なぜ薩摩と対立したのか。薩長土肥は攘夷派だったのか、開国派だったのか…という問題。
 
Yahoo!知恵袋
2015/3/2501:25:19
 
歴史が苦手な人にとって幕末は複雑でわかりづらいのか。
歴史で龍馬が善玉か英雄で井伊直弼が悪玉にされやすいのはなぜですか?どちらも開国派なのに。やはり井伊大老が剛腕的だったからでしょうか?それから幕末の尊王攘夷と開国派はどちらが勝ったと言えますか?
 
ID非公開さん
2017/10/220:02:21
やはり井伊大老が剛腕的だったからでしょうか?
それから幕末の尊王攘夷と開国派はどちらが勝ったと言えますか?
明治維新は結局、尊王開国で、幕末の論争は不毛だったように見えます。
龍馬は本音では尊王開国の討幕を考えていたので、幕末の攘夷派と開国派の対立の中では浮いていたようにも見えます。
 
もし孝明天皇が攘夷派で井伊直弼が開国派だったのなら、朝廷と幕府の二重権威こそが江戸時代の日本の政治が抱えていた問題点だったということになる。
 
朝廷が攘夷派であれば、開国派は自ら朝敵を名乗って、朝廷を倒すのが筋であった。最終的に幕府が朝敵とされて滅んだのだから、尊王攘夷派が開国派を倒し、明治政府を作ったことになる。近代日本が戦争を繰り返していたのは明治維新が尊王攘夷運動の延長だったからだろう。
 
幕末から約80年の間、尊王攘夷派は戦争の道へと突き進んだ。真珠湾攻撃は昭和16年、これは「明治74年」に相当する。太平洋戦争が終わった昭和20年は「明治78年」に相当する。更に戦後73年経った「明治151年」の日本では「天皇は平和主義者で軍部が暴走した」という見方が主流のようだ。
 
西田敏行が豊臣秀吉と西郷隆盛を演じたのは奇遇である。江戸幕府を倒した明治政府は豊臣政権と似た道を歩んだ。
1588年 刀狩り
1590年 天下統一
1592年、1597年 朝鮮出兵
1876年 廃刀令
1877年 西南戦争
1910年 日韓併合
 
豊臣秀吉没から西郷隆盛誕生まで230年。
 
『翔ぶが如く』では西田敏行が西郷隆盛を演じ、樹木希林が幾島を演じた。『葵 徳川三代』では西田敏行が徳川秀忠を演じ、樹木希林が春日局を演じた。
 
 

フランス革命、辛亥革命、ロシア革命が王政・帝政の打倒だったのに対し、日本の明治維新は「王政復古」だった。尊王攘夷派による「維新」の実態は「復古」。これが日本の近代化の異常な点だろう。日本の近代化は開国派が朝廷を倒したのでなく、朝廷が開国派を潰す形で行われた。

 

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参照

西郷隆盛の生きた時代、『西郷どん』と対照(幕末編)【年表】〕

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