のび太が昼寝中のドラえもんの顔に落書きをして、ドラえもんが「犯人」を突き止めるために「あとからアルバム」を使ったが、この場面で劇中の時代が1983年8月、昭和58年、戦後38年経った時代とわかる。
のび太の父・のび助は小学生の時、全国図画コンクールで金賞を獲ったが、記念写真が戦争の空襲で焼けてしまったらしい。
もし1983年の時点で、のび助が36歳だと終戦の2年後に生まれたことになり、写真が空襲で焼けることはありえない。
のび助が終戦当時、6歳~12歳だったとして、劇中の(1983年当時の)大人ののび助は44歳~50歳であろう。
のび助が終戦当時、小学生の中で最年少の小1、6歳~7歳だったとして、劇中の(1983年当時の)大人ののび助は44歳か45歳であろう。終戦の年に10歳だったのなら、劇中で48歳ということになる。
@kyojitsurekishi 腹ペコのび太の3日間(44「腹ぺこのつらさ知ってるかい」)
のび助が「戦後の貧しさ」を語ったのは原作どおりだろうが、今のドラえもんの時代設定は21世紀なので、「戦争に負けて」云々は不要だった。のび太の家のテレビが液晶型であることと矛盾している。
のび助が「戦後の貧しさ」を語ったのは原作どおりだろうが、今のドラえもんの時代設定は21世紀なので、「戦争に負けて」云々は不要だった。のび太の家のテレビが液晶型であることと矛盾している。
posted at 19:27:52
「ドラえもん」でお馴染みの のび太の父・のび助は小学生の時、全国図画コンクールで金賞を獲ったが、記念写真が戦争の空襲で焼失したらしい。劇中、のび助がこれを言ったのは1983年8月のようだ。のび助が1945年の終戦時、6歳~12歳だったとして、38年経った劇中の のび助の年齢は44歳~50歳になる。
└→1945年6月10日当時、のび助少年が疎開。
└→のび助と玉子の結婚は1959年。
└→のび太誕生は1962年→2巻収録版で1964年。
└→のび助中学時代、1949年が23年前→25年前。のび太の時代は1972→1974年。
└→1948年7月10日、玉子の少女時代。
└→のび太の父と叔父が戦争経験。
└→のび助が1974年当時36歳。
└→戦後32年。のび助の少年時代は終戦直後で食糧難の時代だったらしい。
└→新聞が昭和54年(西暦1979年)のもの。戦後34年。
└→のび太が読んでいた新聞は1981年のもの。トキが2羽、保護のために捕獲された。
└→玉子は38歳。もし1985年当時38歳であれば1947年生れ。
参照