monogatarino_rekishi2012sep19 投稿日:2012/9/26

ツイッターを見るとHaruki Kazano氏がこういう呟きをしている。
 
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水戸黄門最終回「さようなら水戸黄門」ご隠居がいなくなると知った農民たちは、ご隠居に安心して帰ってもらうため、ご隠居の力を借りず自分たちだけで悪代官に立ち向かう。ボロボロにされても決して逃げずついに悪代官を倒した農民たち。黄門「それ一揆だから」幕府が鎮圧→打首獄門
18:20 - 2011年7月15日


水戸黄門最終回 さようなら水戸黄門」で検索するとRT(リツイート)が凄い。

実際の「水戸黄門最終回SP」(2011年12月19日)では水戸老公が関東地方某所でいつもの世直しをしたあと、助格を連れて鎌倉に旅立つ所で終わっている。
あらすじ:水戸黄門 最終回スペシャル|TBSテレビ

このツイートにあるような「光圀に救われた民衆が一揆を起こして光圀が幕府に弾圧を勧める話」は、実際には採用されなかった。

光圀と弥七は一揆にどう対処したか
金文京氏は『水戸黄門「漫遊」考』で「もし水戸黄門に救われた庶民が一揆を起こしたら、光圀はそれを弾圧する側に回るであろうが、弥七はその時、光圀への忠誠を保てるだろうか」という問いを投げかけている。光圀が10歳くらいの時に島原の乱が起きているが、「幸い」なことに「水戸黄門」ではそういう展開はなかったようだ。

ただ「水戸黄門」では2時間スペシャルで悪人が幕府転覆を企むという話がしばしば作られている。実は「水戸黄門」の場合、各シリーズの最終話やスペシャル版などで、敵が巨悪になればばるほど、悪人が誠に悪か疑わしくなる。「巨悪」になると幕府転覆や海外との密貿易を企むグループが出てくる。光圀はそれらを止めようとするのだ。

第41部最終回(原田助・合田格最終シリーズ)の最終話では松方弘樹扮する商人が海外との貿易を考え、光圀と手を組もうと持ちかけた。これは当時の鎖国の政策に反するもので、光圀は「貿易はご政道に背く」と言ったが、商人は「それはご政道が間違っている」と言った。決裂後、その商人は味方だったはずの柳沢吉保の一派によって船ごと沈められてしまった。光圀も吉保も綱吉の部下で同じ穴のムジナであった。

つまり「水戸黄門」でしばしば出てくる「巨悪」は要するに「討幕派」と「開国派」なのであり、 水戸徳川家の末裔である徳川慶喜が将軍になった幕末では、これが正義となっていたわけだ。 

「水戸黄門」本編で各地の悪代官が私腹を肥やすなど可愛いもので、そもそも劇中の光圀の世直し旅など路銀は水戸(または常陸国)の農民が納めた年貢がもとになっているから、光圀の旅が続けば水戸近辺の百姓は高い年貢に苦しんだはず。実際の光圀は全国行脚などせず、勿来(なこそ、福島県いわき市南部)と熱海に行ったくらいで、あとは水戸と江戸の往復の他に、日光(栃木)、鎌倉(鎌倉)、 さらに成田や銚子など千葉の各地を通ったくらいだが、「大日本史編纂」のために水戸藩の財政は逼迫していたらしい。

つまり水戸黄門の世直し旅は各地の悪代官が私腹を肥やしているのと同じ種類のもので、例の印籠シーンは幕藩体制の支配者同士の内輪もめに過ぎない。さらに「巨悪」になればそれは幕末に坂本龍馬や西郷隆盛が目指した討幕・開国に近付き、「正義」に近くなる。 

「水戸黄門」というのは幕府を倒すことも開国も正義にならず、綱吉統治下の幕藩体制を強化するのが正義だという価値観で貫かれている。

幕末の慶喜が直面した「討幕」
ここでリンクしたツイートにある「一揆」のような動きに直面したのが徳川慶喜であった。水戸家の血を受け継ぐ慶喜は幕府を倒す勢力と対峙したわけだが、それは百姓一揆などというレベルではなく、薩長、さらに官軍による討幕運動で、勝海舟と西郷隆盛の対談で江戸開城に至ったのは周知のごとしである。
慶喜の父は斉昭で、「江戸を斬る」では森繁久彌が演じ、遠山金四郎(演:西郷輝彦、里見浩太朗)を北町奉行に推していた。「遠山の金さん」は家慶の治世の話で、そこで「水戸黄門」が登場するとしたら斉昭ということになる。
斉昭は安政の大獄の末に桜田門外の変と同時期に没した。斉昭の次の水戸藩主慶篤(よしあつ)で藩主だったのは大政奉還後の慶応4年(1868年)まで。最後の藩主だった昭武( あきたけ)は江戸幕府崩壊から廃藩置県までの過渡期の数年間だけ藩主を務めていた。

明治政府が成立しても、「獅子の時代」の最終話で描かれた秩父事件のように一揆のような運動は続いていた。民衆が不満を訴えるだけで、トップがコロコロ変わっても世の中はよくならない。時代劇「水戸黄門」の光圀の世直しなど、江戸時代初期の地方政治の中間層をコロコロ交代させていただけである。

光圀によって手討ちにされた藤井紋太夫
冲方丁(うぶかたとう)の『光圀伝』では藤井紋太夫が光圀に「水戸から将軍を出して、水戸家出身の将軍が大政奉還をする」という案を光圀に提言し、光圀はこれを拒否して紋太夫を手討ちにした。
元禄7年(1694年) 11月(陽暦で1695年初め)に起きた光圀による紋太夫刺殺事件の真相は謎である。

紋太夫はTBSナショナル劇場の「水戸黄門」で3回登場し、光圀が紋太夫を手討ちにした事件は2回描かれている。
まず、東野黄門時代の第1部第2話「人生に涙あり」で紋太夫を佐藤慶が演じた。吉保(演:山形勲)は自分が育てている息子の吉里を綱吉の御落胤と主張し、紋太夫を取り込み、光圀の暗殺まで考えていたという」設定である。企みが露見し、紋太夫は故意に光圀に斬りかかって返り討ちに遭った。
次は石坂黄門時代の第29部第25話「陰謀と裏切りの果てに」で紋太夫を大出俊が、吉保を橋爪淳が演じた。  
紋太夫が登場した3度目は第43部最終回「嗚呼、人生に涙あり」(2011年12月12日)で、吉保(演:石橋蓮司)と紋太夫(演:小倉一郎)が光圀暗殺を企み、黒田一馬(演:伊武雅刀)を刺客として送るが、黒田は光圀の人徳に打たれて暗殺を断念。紋太夫は手討ちにされなかった。ネットで確認すると光圀は印籠を出して、これに家康公の遺骨が入っていると言って、それを聞いた紋太夫と吉保が印籠に平伏したらしい。水戸黄門の「印籠シーン」の権威主義的な本質がよくわかる展開である。

「水戸黄門」の「世直し」は体制派同士の内輪もめ
TBSの「水戸黄門」の場合、話のベースになっているのは幕府内の光圀と吉保という、「湯呑のなかの争い」である。綱吉の家臣同士の権力争いに過ぎない。
『光圀伝』では紋太夫事件までにページの大多数が費やされ、佐々介三郎が光圀より2年早く没したことや、光圀自身の死去は駆け足であった。
光圀はその後、水戸家から本当に将軍が出て、その将軍が大政奉還をするなど知ることもなかった。『光圀伝』はそのように締めくくられている。  
   
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『水戸黄門』における松尾芭蕉と藤井紋太夫

かげろうお銀の役割
西村黄門の途中で登場したかげろうお銀(演:由美かおる)は煙の又平(演:せんだみつお)とコンビで光圀の命を狙う刺客のような役割だった。一方で日本各地で庶民を苦しめる権力者にも怒る庶民の味方であり、光圀のような体制側に属さず、「悪代官」にも従わない本当の庶民派だった。このお銀が結果として光圀の家臣になったのは惜しかった。この西村黄門でお銀や飛猿が参加した時期は、先代東野英治郎のイメージが強い中でスタッフが新たなファンを獲得すべく、マンネリ打破を試みていた時期に見えた。しかし山田誠二氏や春日太一氏が書いたように1980年代は時代劇がマンネリ化し、バラエティ化していった時期で、西村黄門の実験も新たなマンネリの創造に過ぎなかった。
必殺で「必殺まっしぐら!」がファミコンゲームをモデルにし、「仕事人V旋風編」~「風雲竜虎編」と「剣劇人」で必殺が連続枠から離れたのと、「水戸黄門」にお銀・飛猿がレギュラーになったのがほぼ同時期というのも興味深い。 

光圀没後

「水戸黄門」第28部第17話で光圀(演:佐野浅夫)は京都を訪れ、当時「新之助頼方」と名乗っていた吉宗と出会っている。 また、第38部第5話で光圀(演:里見浩太朗)は紀州を訪れ、当時「源六」と名乗っていた吉宗と出会っている。TBS「水戸黄門」で新之助または源六が出た回はテレ朝「暴れん坊将軍」のパロディに見えるが、TBSのナショナル劇場の流れで言えば「大岡越前」でや山口崇が演じた吉宗の少年時代になるだろう。

これらの「近畿での光圀と吉宗の対面」はもちろんフィクションであり、「史実」の光圀は熱海から西に行っていないから、もし光圀が吉宗と会っていたとしても可能性としては吉宗と光圀が江戸に来た時だけである。
光圀隠居の時期、1697年に頼方は父や兄たちに連れられて江戸に赴き、綱吉に謁見している。
 
それから約20年、光圀没後16年の1716年に吉宗が8代将軍となった。
光圀の養子だった綱條はその2年後に他界している。
「暴れん坊将軍」第8部第10話「陰謀に巻き込まれた黄門様?」 で綱條は光圀の真似をして「すけさん・かくさん」を」連れて水戸から江戸まで忍び旅を敢行し、江戸の町なかで徳田新之助こと吉宗(演:松平健)と対面している。

ウルトラマンとドラえもんと水戸黄門
「ウルトラマン」の最終回では地球人類がウルトラマンに頼らず、自分たちの力で地球を守る決意を固めることで話が終わる。ゼットンを倒したのは科学特捜隊であった。「ウルトラマンタロウ」の最終回でも東光太郎はバッジをウルトラの母に返し、人間体で怪獣を倒した。「ドラえもん」の最終回ではのび太がドラえもんの秘密道具に頼らず自分で困難に立ち向かうことがテーマになっている。
しかるに「水戸黄門」では民衆が葵の紋に頼らずに悪代官などに立ち向かうことは全く奨励されていない。必殺シリーズでは格シリーズの最終回で、裏稼業への疑問がテーマになるが、「水戸黄門」では世直し旅の効果や印路提示への疑問や葛藤を光圀自身が語ったことがあるかどうか、疑問である。

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石坂浩二と水戸黄門
「暗闇仕留人」で石坂浩二の演じた糸井貢は裏稼業その物への疑問を主水に訴え、最後は開国派の幕臣を的にした仕事で返り討ちに遭って殉職した。その石坂浩二が「水戸黄門」第29部の主役になって、ある意味で「水戸黄門」をぶち壊そうとしたのは評価できる。しかし石坂黄門が前のシリーズと違っていたのは弥七や八兵衛の一時退場等を除くと「老公に白髭(シロヒゲ)がなかった」ことだけで、その髭(ヒゲ)も第2シリーズ(第30部)でやむなく復活。巨視的に見れば石坂黄門は全国行脚の設定を変えていない意味で前後の「水戸黄門」とまるで変わっていなかった。

それでも石坂黄門の改革から「水戸黄門」が更に10年続いたことは評価できる。

ただ里見黄門は石坂黄門の改革を受け継いで9年続いたのか、逆に里見黄門は東野・西村・佐野黄門の路線に戻って9年で「息切れ」したのか、そこは味方が分かれるであろう。

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追加
第41部最終話で松方弘樹扮する商人が光圀に海外との貿易の話を持ち掛け、光圀が「それはご政道に反する」と拒否。
商人は「それならご政道が間違っている」と述べた。
これは幕末、嘉永~安政年間に水戸斉昭と井伊直弼の時代に再燃した論議だったが、元禄時代の光圀は鎖国体制の維持こそ正義と信じていたようだ。
水戸黄門は大日本史を編纂し、印籠で徳川の権威を強化し、密貿易を摘発することで鎖国体制を維持するのが役目だったようだ。
そういう人物が編纂した歴史とはどういうものか大体、想像がつく。 

舛添都知事の「外遊」が問題視されているが、水戸黄門が時代劇でやっていた「世直し旅」など二重行政による税金の無駄遣いであろう。悪代官を根絶しないで、むしろ旅の理由を残しているとも考えられる。実際の光圀の旅は勿来と熱海の間だったろうが、移動だけで警備は大変で行く先々で家臣が大勢待ち構えていたであろう。


前後関係
2016年4/29

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