お庭番2名は相手を斬っている。
ところがこの時代劇について書籍で言及している人2名が勘違いして、暴れん坊将軍が相手をバッサバッサと切り捨てている書いてい例がある。
一人は柳田理科雄氏で「空想科学読本3」での彗星ネタの話。
もう一人は大野敏明氏(産経新聞編集委員)で「歴史ドラマの大ウソ」で「暴れん坊将軍」について言及し、やはり吉宗が相手をバッサバッサを斬り捨てるという趣旨の文を書いている。
また「水戸黄門」の助三郎と格之進も初期は人を斬っていたが、パターンが定着すると助三郎は脇差で峰打ち、格之進は素手で戦うのが定番となった。それでも「水戸黄門」で助さんが相手を斬っていると勘違いしている人が多く、ネット掲示板やツイッターでそういう記述がたまに見受けられる。
「遠山の金さん」も杉良太郎のころは相手を斬っていたかも知れないが、高橋英樹を経て松方弘樹主演の作品になると、金四郎の殺陣は素手→相手の刀を奪って峰打ちというパターンになっている。
大野氏のように時代劇のウソを指摘する人の著書は多いが、そういう人は時代劇を見ていても斬っているのか峰打ちなのか判別がつかないようで、ようするに歴史に詳しくても時代劇をよくわかっていないのである。
ちなみに将軍またはその親戚の武士が主人公の時代劇で、殺陣シーンで設定上、相手を斬っているのは「長七郎」「松平右近」「将軍家光忍び旅」などである。
大野氏は「暴れん坊将軍」で吉宗が立ち回りの直前に言う「余の顔を見忘れたか」と言っている件について「幕臣は将軍の顔など見ていないし覚えていない」と突っ込みを入れているが、これも「歴史に詳しいが時代劇をろくに見ていない人」ならではの見解であろう。なぜなら「暴れん坊将軍」では立ち回りの場面の前に江戸城で多の幕臣と会う場面が何度もあり、そこでは御簾(みす)を上げたままで、吉宗は上座に座り、下座の幕臣は最初は平伏しながら後で顔を上げ、吉宗と顔を会わせて対面している。もちろん史実では幕臣は平伏したままで将軍の顔も御簾で隠れていたのだろうが、「暴れん坊将軍」では吉宗が幕臣の顔を見て話すようにしているわけで、これが幕臣を成敗する前に役にたっているわけだ。
だから「暴れん坊将軍」の時代考証に突っ込みを入れるなら「余の顔を見忘れたか」の場面からいきなり取りあげるのでなく、江戸城での対面の場面から突っ込みを入れるべきであろう。
また「時代劇のウソを指摘する本」を読むと、単なる知識の羅列だけで、作者がそれで何を言いたいのか見えてこない。作者が知識をひけらかして自慢しているだけに見える。何よりその著者がどうして時代劇の制作スタッフに入っていないのかが不思議である。
「吉宗もたまに相手を斬ってる」という「アドバイス」があったがそんなことは当然前から知っているし、そういう場面を観たこともある。雲霧仁左衛門との一騎討ちやお庭番殉職の時もそうだった。だから「ほとんど」と書いている。助言は有難いかも知れんが「吉宗もたまに相手を斬ってる」ことを知っているからって偉くもなんともない。それから柳田氏が書いていたのは彗星落下の話でその時は吉宗は峰打ちだったし、大野氏が観た「暴れん坊将軍」が本当に吉宗が斬っていた場面か確認できない。
〔暴れん坊将軍が悪人を峰打ちにする理由を今日ようやく知った〕
>あれ上様が直接手打ちにするのは侍にとって名誉になっちゃうから
>悪人にそんな名誉を与えたくないという配慮なんだな
>刀が汚れるからとかそんな理由かと思ってたわ
そういうことだったのか、知らんかった。しかし綱吉治世の水戸黄門が印籠みせるだけで降参するのに、吉宗のころには刃向かわれるってのはやはり幕府の権威が低迷してんのかしらw
時代劇では、将軍家光や長七郎の場合、やはり暴れん坊将軍のパターンなので、逆に大坂夏の陣や由比正雪の乱などから日が浅いうちは、幕府の権威が確立していなかったということになりますかね。〔#水戸黄門〕〔#暴れん坊将軍〕
返信先:@WhiteChamberson
「#暴れん坊将軍 9」の第19話を見ると吉宗は刀を抜いた後、峰打ちに持ち替えており、「空想科学読本3」にある「バッタバッタと斬り捨てた」は間違いですね。柳田理科雄氏が誤解したのでしょうが、大野敏明氏も「歴史ドラマの大ウソ」で同じ間違いをしています
〔ツチノコ@梅太郎@rimman0223〕
今BSで戦国自衛隊やっててバカバカ人が戦闘で撃たれているんだけど、映画に限らず戦争は「群衆の殺戮」とすれば死のイメージも薄らぐが、一人一人を見れば血を多量に流して痛いだろうし一人一人に人生もある。自分が撃たれた時を考えて、戦争ゲームなどもそこに思いを馳せてプレイして欲しい物だ。
そうなんですよねぇ。水戸黄門はまだ斬らないからいいけど、暴れん坊将軍や桃太郎侍はバッタバッタ斬り倒しますからね(・∀・;) その点里見浩太朗の「大江戸夢日記」は「関わり無き者は去れ!」と分別するのでちょっと安心したりしてます( ̄▽ ̄*)∇ヾ
返信先:@rimman0223さん
暴れん坊将軍はパターンが定着した時には相手を斬り倒してはいません。相当憎い相手でない限り、吉宗は峰打ちで相手を倒しており、お庭番2名が相手を斬ってました。時代劇を見慣れてない人はこの辺、見分けられないんでしょうね。
〔ミケ太郎@bokumike〕
「この紋所が目に入らぬか」って言われてハハーッて大人しくなるのが水戸黄門に出てくる悪党で、「この桜吹雪に見覚えはねえか」って言われて観念するのが遠山の金さんの悪党で、「余の顔見忘れたか」って言われて「こやつは上様の偽者じゃ!」って無駄な抵抗して全員斬られるのが暴れん坊将軍の悪党
返信先:@bokumikeさん
「暴れん坊将軍」の悪人の場合、全員斬られてはいません。多くの場合、お庭番2名は相手を斬ったり刺したりしてますが、吉宗は相手を斬らないことが多いです。「水戸黄門」でも印籠に臆せず抵抗する悪人はいます。「遠山の金」さん でも白州で奉行に抵抗して取り押さえられる悪人が何人かいました。
〔るーと@kozica26〕
「時代劇で刀がチャキっとなるのはスーパーマリオのスター状態みたいなもん」を実際に見て体感したい時は暴れん坊将軍を見るとわかりやすいぞ!ほぼ確実に吉宗が「チャキッ」て言わせた瞬間にあのテーマソングが始まるので非常にわかりやすく無敵タイムだぞ!(じゃーんじゃーんじゃーん♪)
返信先:@kozica26さん
これは刀で斬るのでなくて峰打ちにするという合図です。#暴れん坊将軍 を見てる人の多くはそこを理解できないので、徳田新之助(徳川吉宗、演:松平健)が相手を斬ってると思い込んでいます。 >「時代劇で刀がチャキっとなるのは…」
〔るーと@kozica26〕
それは当然存じておりまして、歴史上の実在人物が毎度大量殺人を犯す表現にならない為の演出であろうと理解しています。しかしだからこそ、峰打ちであることを音で理解させたうえで「まるで無敵であるかのような」表現を可能にしているのだと。