中村主水の年齢を考えるには西暦何年生まれか特定する必要があるが、主水は江戸時代初期から幕末まで江戸時代の各時代に登場しており、現代版では子孫もいたので、服部半蔵や山田朝右衛門のように同じ名前の先祖と子孫が代々、存在したと考えていいだろう。または必殺シリーズの各シリーズがパラレルワールドと考えていい。

「必殺仕置人」は番組予告で文化・文政年間(文化:1804~1818、文政:1818~1830)の設定で、第1話で主水は「男30過ぎていいかっこしようなんざ落ち目になった証拠よ」と言っており、少なくとも主水と鉄は30は過ぎていた模様。藤田まことは1933年生まれなので「仕置人」放送の1973年当時で40歳であった。
1974年の「暗闇仕留人」では文政末期から四半世紀経過した嘉永6年、1853年の黒船来航以降に時代が移っている。第15話「過去ありて候」で村雨の大吉(演:近藤洋介)は34歳の設定だった。
1975年の「必殺仕置屋稼業」第1話で主水が北町奉行所から南町に移ったのは1841年(天保12年)であり、主水が挨拶している時の書状で何とか確認できる。
第10話で主水の上司が主水の経歴の描かれた書類を見ている場面があり、主水が42歳だったことがわかる。藤田まことは1975年当時確かに42歳になっていた。

次に1976年の「必殺仕業人」、77年の「新必殺仕置人」、78年の「必殺商売人」、79年の「必殺仕事人」と続くが、時代設定は天保と文化・文政を何度も往復している。
「仕事人」無印開始当時で三田村邦彦(1953~)は満25歳から26歳になったのだが、秀の年齢も劇中で25歳だったらしい(DVDマガジン仕事人ファイルのプロモーションの動画で三田村邦彦がそう語っていた)。
藤田まことは三田村邦彦より20歳年上である。だから「仕事人」で藤田まことは45歳を超えていた。
主水の年齢が放送当時の藤田まことの年齢と同じなら、1978年の「商売人」以降で主水は45歳以上だったはずだ。

ところが1981年の「新必殺仕事人」では主水の年齢は40代前半で停滞していたようである。
第13話「主水 体を大切にする」で筆頭同心・田中(演:山内としお)が24歳、中村主水が43歳であった。
藤田まことは自身1981年に47歳から48歳になったはず。つまり「新仕事人」で主水の年齢は藤田まことの実年齢より5歳年下になっていた。

「必殺仕事人IV」のスペシャル版である「仕事人アヘン戦争へ行く」ではアヘン戦争が終わった1842年に主水・秀・勇次・順之助が熱気球で香港に渡っている。
「仕置屋」主水が1841年当時42歳だとすると、1842年のアヘン戦争終結当時の主水は43歳であり、「新仕事人」の主水がその間に入ると考えれば43歳というのも納得できる。

藤田まことは「仕置屋」スタート時42歳で、「仕業人」終了当時は43歳だった。
「仕置屋」は1975年夏から1976年年明け直後の冬まで、「仕業人」は1976年初めから同年夏までの放送で、「仕置屋」スタートから「仕業人」終了まで1年である。
しかし劇中設定では1年の空白期間が入り、「仕置屋」グループ結成から「仕業人」グループ解散まで2年が経過していたはずだ。

「仕置屋」第1話は1841年夏のようで、最終回は冬。「仕業人」第1話は雪の正月の話だが、捨三(演:渡辺篤史)の台詞から仕置屋の時代から1年経過したことがわかる。「仕業人」の最終回近くでは中村家で西瓜を買うなど夏になっており、「仕置屋」半年+劇中の空白の1年+「仕業人」半年=2年だから、「仕置屋」開始から「仕業人」終了まで劇中で2年経過している。
1841年夏「仕置屋」結成→1842年初め「仕置屋」解散→1年空白→1843年初め「仕業人」結成(又右衛門は既に仲間)→1843年夏「仕業人」解散という経緯になるだろう。
「仕事人アヘン戦争へ行く」で主水が香港に渡ったのはその空白期間の1842年ということになる。

天保の主水が1841年で42歳、1842年で43歳とすると1800年で1歳なので、水戸斉昭の数え年と同じである。
 

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2012年7/19前後
 
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