野比のび太の代替わりと学年 投稿日:2012/6/26 (知恵ノート)
 
野比のび太は8月7日生まれである。ここに書いた学年はそれを前提としている。
なお、同学年のうち、源静香(5月生まれ)と剛田武(6月15日生まれ)は生年がのび太のそれと同じだが、骨川スネ夫(2月生まれ)はのび太たちの生まれた年の翌年に生まれたので、初代のび太が1959年生まれであれば、初代スネ夫は1960年2月生まれである。

1959年8/7生まれ…1969年4月~1970年3月小4、1970年4月~1971年3月小5(初代
1960年8/7生まれ…1970年4月~1971年3月小4、1971年4月~1972年3月小5(2代目)
1961年8/7生まれ…1971年4月~1972年3月小4、1972年4月~1973年3月小5(3代目)
1962年8/7生まれ…1972年4月~1973年3月小4、1973年4月~1974年3月小5(4代目)
1963年8/7生まれ…1973年4月~1974年3月小4、1974年4月~1975年3月小5(5代目)
1964年8/7生まれ…1974年4月~1975年3月小4、1975年4月~1976年3月小5(6代目)
1965年8/7生まれ…1975年4月~1976年3月小4、1976年4月~1977年3月小5(7代目)
1966年8/7生まれ…1976年4月~1977年3月小4、1977年4月~1978年3月小5(8代目)
1967年8/7生まれ…1977年4月~1978年3月小4、1978年4月~1979年3月小5(9代目)
1968年8/7生まれ…1978年4月~1979年3月小4、1979年4月~1980年3月小5(10代目)
1969年8/7生まれ…1979年4月~1980年3月小4、1980年4月~1981年3月小5(11代目)
1970年8/7生まれ…1980年4月~1981年3月小4、1981年4月~1982年3月小5(12代目)
1971年8/7生まれ…1981年4月~1982年3月小4、1982年4月~1983年3月小5(13代目)
1972年8/7生まれ…1982年4月~1983年3月小4、1983年4月~1984年3月小5(14代目)
1973年8/7生まれ…1983年4月~1984年3月小4、1984年4月~1985年3月小5(15代目)
1974年8/7生まれ…1984年4月~1985年3月小4、1985年4月~1986年3月小5(16代目)
1975年8/7生まれ…1985年4月~1986年3月小4、1986年4月~1987年3月小5(17代目)
1976年8/7生まれ…1986年4月~1987年3月小4、1987年4月~1988年3月小5(18代目)
1977年8/7生まれ…1987年4月~1988年3月小4、1988年4月~1989年3月小5(19代目)
1978年8/7生まれ…1988年4月~1989年3月小4、1989年4月~1990年3月小5(20代目)
1979年8/7生まれ…1989年4月~1990年3月小4、1990年4月~1991年3月小5(21代目)
1980年8/7生まれ…1990年4月~1991年3月小4、1991年4月~1992年3月小5(22代目)
1981年8/7生まれ…1991年4月~1992年3月小4、1992年4月~1993年3月小5(23代目)
1982年8/7生まれ…1992年4月~1993年3月小4、1993年4月~1994年3月小5(24代目)
1983年8/7生まれ…1993年4月~1994年3月小4、1994年4月~1995年3月小5(25代目)
1984年8/7生まれ…1994年4月~1995年3月小4、1995年4月~1996年3月小5(26代目)
1985年8/7生まれ…1995年4月~1996年3月小4、1996年4月~1997年3月小5(27代目)
1986年8/7生まれ…1996年4月~1997年3月小4、1997年4月~1998年3月小5(28代目)
1987年8/7生まれ…1997年4月~1998年3月小4、1998年4月~1999年3月小5(29代目)
1988年8/7生まれ…1998年4月~1999年3月小4、1999年4月~2000年3月小5(30代目)
1989年8/7生まれ…1999年4月~2000年3月小4、2000年4月~2001年3月小5(31代目)
1990年8/7生まれ…2000年4月~2001年3月小4、2001年4月~2002年3月小5(32代目)
1991年8/7生まれ…2001年4月~2002年3月小4、2002年4月~2003年3月小5(33代目)
1992年8/7生まれ…2002年4月~2003年3月小4、2003年4月~2004年3月小5(34代目)
1993年8/7生まれ…2003年4月~2004年3月小4、2004年4月~2005年3月小5(35代目)
1994年8/7生まれ…2004年4月~2005年3月小4、2005年4月~2006年3月小5(36代目)
1995年8/7生まれ…2005年4月~2006年3月小4、2006年4月~2007年3月小5(37代目)
1996年8/7生まれ…2006年4月~2007年3月小4、2007年4月~2008年3月小5(38代目)
1997年8/7生まれ…2007年4月~2008年3月小4、2008年4月~2009年3月小5(39代目)
1998年8/7生まれ…2008年4月~2009年3月小4、2009年4月~2010年3月小5(40代目)
1999年8/7生まれ…2009年4月~2010年3月小4、2010年4月~2011年3月小5(41代目)
2000年8/7生まれ…2010年4月~2011年3月小4、2011年4月~2012年3月小5(42代目)
2001年8/7生まれ…2011年4月~2012年3月小4、2012年4月~2013年3月小5(43代目)
2002年8/7生まれ…2012年4月~2013年3月小4、2013年4月~2014年3月小5(44代目)
2003年8/7生まれ…2013年4月~2014年3月小4、2014年4月~2015年3月小5(45代目)
2004年8/7生まれ…2014年4月~2015年3月小4、2015年4月~2016年3月小5(46代目)
2005年8/7生まれ…2015年4月~2016年3月小4、2016年4月~2017年3月小5(47代目)
2006年8/7生まれ…2016年4月~2017年3月小4、2017年4月~2018年3月小5(48代目)
2007年8/7生まれ…2017年4月~2018年3月小4、2018年4月~2019年3月小5(49代目)
2008年8/7生まれ…2018年4月~2019年3月小4、2019年4月~2020年3月小5(50代目)

初代と2代目について解説:1970年1月『小学四年生』に掲載された第1話を読んだのは初代のび太の学年。同学年では静香が1959年5月生まれ、剛田武が同年6月15日生まれで、スネ夫は1960年2月生まれになる。
なお、この学年の読者は学年雑誌の『ドラえもん』を1970年の1月号から3月号まで見たが、それで『ドラえもん』からは卒業したと思われる。当時『小五』『小六』に『ドラえもん』は連載されておらず、1959年度生まれは1972年3月に小学校を卒業。1974年にてんとう虫コミックスが出た当時、この1959年度生まれは中学3年生になっていた。
初代のび太は1978年3月に高校を卒業し、大学を受験した。
てんコミ1巻「未来の国からはるばると」ののび太は2代目。もとは1970年1月号「小四」の初代のび太だったが、単行本掲載の段階で大学受験が1978年から1979年に変更された。高校3年の現役での受験であれば、こののび太は1960年8月7日生まれで、1970年1月当時は小3の冬休みで、1970年4月から小4になっていた。
1970年1月号の学年雑誌は1969年12月に出た。「ドラえもん世代」はこの当時、10歳以下だった世代である。
小倉智昭が「ドラえもん」を全く見たことがないと言っているのは、彼が1947年生まれで、1969年12月の時点で22歳だったからで、当時すでに児童漫画など読む年齢ではなくなっていたせいである(しかし、小倉智昭はAKB48の総選挙の「大騒ぎ」から距離を置く一方で、韓流アイドルには関心が深いようなので、彼個人の好みもあるのだろう)。

3代目について解説:「プロポーズ作戦」の野比のび太は1971年度で小学4年生、1971年8月7日生まれ。両親は1959年(昭和34年)11月3日にデートして互いにプロポーズを受け、その年に結婚したようだ。

6代目について解説:てんコミ2巻「ぼくの生まれた日」ののび太は昭和39年(1964年)8月7日生まれの6代目であるが、これだと1970年1月の時点では満5歳で就学前である。
「ぼくの生まれた日」が雑誌に掲載されたに1972年で、のび太は昭和37年(1962年)生まれ、4代目だった。これなら1970年1月卯の段階で7歳で、ギリギリ小学1年生であった。
てんコミ1巻と2巻が1974年に出たので、のび太はその時点で10歳ということになった。
この1964年度生まれは、1974年『小三』3月号で「さようなら、ドラえもん」を読み、直後の『小四』4月号で「帰ってきたドラえもん」を読んだ世代に相当する。
2010年の『映画ドラえもん のび太の人魚大海戦』でゲスト声優を務めた温水洋一(ぬくみずよういち)はこの1964年度生まれで、パンフレットのコメントで「小学生のころに学年雑誌で『帰ってきたドラえもん』をリアルタイムで読んだ」と語っている。また温水氏は『ドラえもん100』でも同様のコメントをしている。
この6代目のび太は1977年『小六』3月号で小学校を卒業し、77年4月から中学1年になった。1977年『小六』3月号は「りっぱなパパになるぞ!」で、こののび太は西暦2002年にはマンションで妻・しずか、一子・ノビスケと生活していた。
2002年の時点でノビスケは10歳前後の少年であった。

10代目と11代目について解説:福山雅治は1969年生まれなので2月生まれだから10代目のび太と同学年。
1969年4月2日から70年4月1日までに生まれた人たちは11代目のび太と同学年で、大山ドラえもんの1年目(1979年)で小学4年生、1980年春の『映画ドラえもん のび太の恐竜』公開当時に小学5年に進級した。
映画『のび太の恐竜』ののび太が1980年度で小5とすると、そののび太は11代目ということになる。

13代目について解説:1982年の映画『のび太の大魔境』ののび太が1982年度で小5だとすると、13代目である。なお、2012年の『のび太と奇跡の島』に登場したのび太の父・のび助は30年前の1982年当時で小学生くらいであり、2012年ののび太少年と同じくらいの年齢に見えた。もし、こののび助が1982年で11歳だったとすると『大魔境』ののび太と同い年だったことになる。

43代目について解説:
2012年の4月以降のアニメに登場する43代目ののび太は2012年8月7日の誕生日で11歳になるとすると2001年生まれで21世紀生まれののび太の第1号である。
ただし、同学年の43代目のスネ夫は2002年2月に生まれている。
2011年4月から2012年3月まで小5だった先代(第42代)のび太は2000年度生まれののび太世代第1号であるが、42代目のスネ夫は2001年2月生まれで、のび太世代ではこのスネ夫が真っ先に21世紀生まれになった。
2012年度のアニメにおけるのび太の生年
『のび太と奇跡の島』ではのび太とのび助がデパートでカブトムシを買ったのだが、そのときのビルの壁にある垂れ幕らしき物から西暦2012年と判明。さらに背景に東京タワーと東京スカイツリーが見えた。しかも劇中の人々の服装などの描写から季節は夏と思われるので舞台は2012年夏。今のアニメでのび太は毎年度小学5年生なので『奇跡の島』ののび太は2012年8月7日が11歳の誕生日で、逆算すると2001年8月7日生まれ。
父・のび助は30年前の1982年において小学生くらいだった。このときのび助が11歳だったと假定すると1971年生まれである。1982年の映画『のび太の大魔境』ののび太が1982年で11歳とすると1971年生まれであるから「同い年」になる。ただし、大長編の描く時代が映画公開までの年度だとすると、『大魔境』は1981年春から82年春までの時期を描いていることになり、この年度でのび太が小5なら1970年生まれになる。もっとも原作漫画ののび太は単行本などでは小4(9歳~10歳)なので、この場合、1981年度で小4だから、1971年度生まれで、1982年度で小5ということになる。
 
45代目について解説:2014年8月1日放送の「竜宮城の八日間」はのび太たちが夏休みの宿題のネタにしようと竜宮城に行った話。警察官の台詞で時代が2014年と判明している。
 

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投稿日:2012/7/5
@kyojitsurekishi
posted at 02:06:10

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参照
 
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