2008年当時、田母神氏が更迭されたのは、彼の歴史観が政府の方針に合わないからであった。
4年経過した今、相変わらず日の丸・君が代に対する礼儀作法が問題になっているが、国旗・国歌に敬意を示すのも政府の方針である。
田母神氏が「思想・信条の自由」を制限されたように、式典で君が代を歌わない教職員や市議会議員の「思想・信条の自由」も制限されるわけだ。
我々が日の丸・君が代を嫌がる人たちの「思想・信条の自由」を尊重すべきなら、田母神氏や名古屋市長や都知事の「思想・信条の自由」も認めるべきで、その場合「問題がこじれるから言わないほうがいい」などと釘を指す態度は言論の自由の否定である。問題になるのを恐れるのなら沖縄の反基地運動も、戦時中の戦争反対運動も、抗日運動も「問題をこじらせる不適切な言動」になるだろう。
2006年に小泉純一郎氏から首相の座を継承した安倍晋三氏は、就任前に著した本の歴史観が「村山談話」などの政府の「戦争反省主義」に合わないとして当時の野党から国会で攻撃され、安倍首相が今までの政府の方針を踏襲すると答辯したら、野党は「政府としてだけか、個人でもか」などと異常な踏み絵のような思想検閲をしていた。
その思想検閲をしていた当時の野党が今の与党である。麻生政権に対し、国会で漢字テストをやった議員もいたが、攻守が逆になった今、今度は国会の審議が田中防衛大臣に対するクイズ合戦と化していた。
 
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自民党時代から歴代の首相は就任すると「村山談話踏襲」と答辯する慣習ができあがっているが、その村山富市は社会党(今の社民党)の党首から首相になったとき、自衛隊は合憲だと認めるように豹変し、さらに日韓併合も合法だとまで言っていたはずだ。当時の国会では土井たか子が議長だった。社会党は自衛隊を違憲としているのだが、村山富市は首相になってその考えを一旦捨てた。総理大臣の談話とはそういうものである。
民主党が政権を獲った途端に、沖縄の米軍基地や消費税について、結局、自民党政権時代の政策を継承せざるを得なくなったようだが、自衛隊や昭和の戦争に対する認識の例でわかるように、政治のトップに立った政治家が自分の意見を捨てて「変節」を余儀なくされるのは自民党政権時代からあったことである。
 
田母神氏やその意見に賛同する側(日本の戦争を擁護する側)が戦後憲法の「思想・信条の自由」を理由に意見の多様さを重んじているのに対し、田母神氏を批判する側(日本の戦争を侵略戦争として全面否定する側)が戦後の天皇や首相のそういう「反省」の談話に国民全員が從うべきであるかのような全体主義的な主張をしているのは何とも奇妙なねじれ現象である。これは靖国神社のいわゆるA級戦犯の合祀に対する是非についても言えることで、反靖国派(例えば朝日新聞的な人たち)が天皇の私的な「ことば」から合祀への不満らしき部分を持ち出して「葵の御紋」ならぬ「錦の御旗」か「金科玉条」にして靖国神社を批判していたのも、すさまじい天皇崇拝主義である。これでは「皇民化教育」の戦後版である。
 
1985年当時、ある人物が全斗煥政権の韓国で、石川啄木と日韓併合について講演したとき、当時、天皇(当時は昭和天皇)が併合に対し遺憾の意を示したことについて、韓国の学生らしき人は「あのことばは日本国民全体の総意ですか」と訊いてきたらしい。もし日本が北朝鮮のような独裁国家であれば天皇の「おことば」がそのまま大日本帝国臣民の建前の「総意」になっていたであろうが、日本が民主国家であれば、国民が天皇一人のことばに縛られないと考えるのが普通であるから、国民の「総意」からして存在を期待するほうが無理である。
 
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2012年4月
 
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