時代設定は最初が2008年の北京五輪当時、次に1988年のソウル五輪当時に移って、話の大半は1988年当時を舞台にして進む。ラストシーンで2008年の吉林食堂に戻る。
 
劇の冒頭でおそらく劇団道化の人が「中国語で肯定の返事で『ハダハダ』がある」というようなことを言っていた。
これは「好的,好的」Haode haode であろう。
 
劇中で「おばあちゃん」とされる江頭マサは1918年佐賀県生まれの設定で、外国趣味の元気のあるオバサン(下注釋)である。
 
「終戦」当時22歳、1988年当時は70歳。2008年計算上、90歳だが、2008年の場面では故人となっていた。
 
吉林食堂を切り盛りしているのがマサの息子の副島博こと建明(ケンミン)で妹のさと子とともにハルビン生まれ。
博は日中戦争が始まって2年後の1939年生まれで、「終戦」当時は6歳、1988年当時は49歳で、2008年では69歳。
さと子は太平洋戦争が始まって2年後の1943年生まれで「終戦」当時は2歳、1988年当時は45歳で、2008年で65歳。
劇中、建明は「ケンミン」と呼ばれる。
中国の普通話では Jianming だから「チエンミン」または「ジエンミン(ヂエンミン)」である。
「建」の最初の音は k が口蓋化した結果である。
山東省の方言では「建明」は Gianming [kiεn-miŋ] になり、「キエンミン」に聴こえるだろう。
 
博には息子と娘(息女)がおり、新一と純子で、吉林生まれ。
新一は1970年生まれで、妹の純子は1973年生まれ。1972年の日中国交回復の前後に生まれたわけだ。
1988年当時、新市は18歳、純子は15歳である。
話の大半は1988年を舞台に進んでいるので、マサ70歳、博こと建明は49歳、さと子は45歳、新一は18歳、純子は15歳の設定の話が多い。
さと子は近くのおはぎの店でアルバイトしている設定のようだ。後半で純子と一緒に日本語学校に行く。
なお、新一と純子にとって母に相当する博の妻は故人のようである。
 
パントマイムのあらい汎氏も「来店」していた。固焼きそばを注文していた。
 
マサは満洲からの引き上げの課程でさと子は死んだと思っていたようだ。
当時の日本人引揚者の班長は「ロシア兵に見つかると殺されるから5歳以下の子供を殺すように」と命じたらしい。マサはさと子に手をかけられず、別の女性がさと子を連れて行ったがその女性もさと子の命を奪えず、置き去りにし、さと子は中国人に拾われたらしい。
 
当時はソ連の時代だったが、劇中では一貫して「ロシア」であった。
ソ連を「ロシア」と呼ぶのは当時の慣用で問題ない。逆にソ連解体後のロシアを「ソ連」と呼ぶのは誤りであろう。
 
そのマサがソウル五輪見物から帰国して吉林食堂を訪れるのだが、博たちは「さと子が生きていること」をマサに秘密にしようとして、マサが店にいる間、さと子を博と一緒に外出させたりする。しかし最終的に真相がわかる。
 
マサとさと子は満洲の方角を向いて拝み、さと子の養父母に感謝した。
 
マサ以外の4人は中国生まれ(厳密には満洲生まれ)だが、九州人としてのアイデンティティを持っているようだ。
 
『帰ってきたおばあさん』では引揚者の女性が娘を絞殺しようとしたが、娘は生きており、引揚者たちが去ったあと、娘は意識を取り戻し、中国で養育され、のちに母と再会する話だった。
『帰ってきたおばあさん』の場合、戦時中は大日本帝国に洗脳された元軍国少女が、戦後には近代中国の思想に洗脳されているだけという風に見える。
 
しかも今は高齢者なのに戦争経験者は戦時中は子供だった人が多く、日本がなぜ戦争をしたか、満洲国を作ったかということを辛亥革命の前の清朝の時代から語ることができない。満洲に移住した日本人が中国人に向かって「私は戦争の被害者だ」と言っても通用するわけがないし、自分が日本の政府とともに戦争を進め、その結果責任まで負うという自覚が欠けている。
 
『帰ってきたおばあさん』の場合、戦後の中国で主人公が被害者意識を捨てて加害者であることを自覚し、謝罪する場面は、完全に自己啓發セミナーか新興宗教のようであった。
中国人は日本政府と日本国民を同一視し(それは当然である)、日本人が戦争を始めたとして批判している。しかも日本兵に親族を殺された中国人が別の日本人に恨みをぶつける。これは中国人が日本で犯罪をしたからといって、日本人が他の「善良な」中国人全体を侮蔑するのと同じである。『吉林食堂』であったように、日本人が一部の中国人を観て中国人全体をわかった気になることは批判されるが、中国人も日本人に対して同じようなことをしている。それに対する批判はないようだ。
 
しかも一人芝居の主人公である引揚者は、それで日本人同士の会話や書簡では「あなたも私も悪くない」「悪いのは戦争」というスタンスを貫いており、戦争という災害が点から振ってきたか、「国」という中傷的な悪役が自分たちを捨てたということにしている。中国人相手では戦争責任を背負うように変節しながら、日本人同士では被害者同士というダブルスタンダードが見える。
 
それと比べるとこの『吉林食堂』はエンターテインメントとしてはよくできていた。
引揚者やその2世、3世にとって、引揚者を同じ日本人が殺そうとし、中国人が助けたことで、自国への不信感があるのはわかる。『白旗の少女』の富子氏も日本兵から斬られそうになったが、白旗で投降するとアメリカ兵は攻撃してこなかった。だが、その日本を批判ばかりしている人が日本で生活したいと言っても、万民から受け入れられるとは限らない。また、引揚者に直接害を与えたのは現地で「卑俗」と呼ばれる人たちで、今で言えば圧倒的に中国人やロシア人が多かっただろう。
またロシア兵に見つかったら殺されるから引揚者の子供を始末するという考えは、ロシア人の国民性に対する偏見が混ざっていないか。もし当時のロシア兵がそういう人たちだったのなら、満洲引揚者の悲劇はロシアにも原因がある。
 
日本の反戦平和主義は責任を個人や特定の国家でなく「戦争」という現象に押し付ける傾向があり、実際にやっていることは日本政府に戦争被害者の経済的救済を求める運動である。日本政府が経済的に支援するとその財源は税金である。すると日本国民の金を政府が集めたのを引揚者や戦争被害者に使うのであるから、日本政府を経由せず募金や民間支援で集めても同じことである。生活が苦しいから支援してほしいという要求だけならまだよかったものの、戦争への反省や歴史観という思想を前面に出すと話が面倒になるのではなかろうか。
 
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2012年3/26 3月
 
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注釋
外国趣味の元気のあるオバサン
東京電力のオール電化のCMに登場していたようなオバサン。オール電化のCMは震災後はまったく見なくなった。演じていたのは江波杏子だったか?鈴木京香の母親役だった。

参照