1975年、長嶋ジャイアンツは1年目で最下位。
西本監督から阪急を引き継いだ上田利治監督が広島の赤ヘル軍団を破って日本一。

その後、1976年に星飛雄馬が巨人に復帰。上田監督はピッチャー返しで応戦したが、星はスクリュー・スピン・スライディングを応用して防いだ。
しかし、上田監督は日本一を獲得。星はコントロール改善を長嶋監督から厳命される。

1977年、星飛雄馬は一徹製作の大リーグボール養成ギプス右投手用でコントロールを改善させ、日本シリーズでは自ら本塁打を放ったが、それでも阪急打線の目が星の速球に慣れ、日本一はやはり阪急。
星は大リーグボール右1号の必要を痛感する。

1978年、開幕前に星飛雄馬は「蜃気楼の魔球」を編み出すが、ヤクルトの花形と横浜大洋の左門に打たれ、セ・リーグではヤクルトが優勝した。
1978年の日本シリーズはヤクルトと阪急。結果はヤクルトの優勝。

阪急としては1975年に広島を破り、76年と77年に巨人を破って3年連続で日本一となり、78年にヤクルトに敗れたわけだ。

そのシーズン終了後、あの江川事件が起きた。

1979年のアニメ『新巨人の星II』最終回では巨人が日本一になっているが、「史実」では1975年から80年までの第1次長嶋ジャイアンツは日本一になっていない。
1979年1980年のセ・リーグ優勝は古葉竹識監督率いる広島で、パ・リーグ優勝は西本監督率いる近鉄バファローズであった。そして広島が連続日本一。

第2次長嶋巨人が日本一になったのは就任2年目の1994年(相手は西武)と、ダイエーホークスとのON対決となった2000年の2回であった。

前後一覧
2011年11月