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元日、金田正一が番場蛮に「サムライよ 斬りまくれ!」というメッセージをサイン色紙に書いてよこした(『侍ジャイアンツ』文庫第1巻308ページ)。

 

『侍ジャイアンツ』文庫第1巻末から第2巻まで、1970年春の宮崎キャンプからアメリカ遠征までが描かれている。
文庫第2巻75ページでは、読売ジャイアンツがフロリダ州ベロビーチでドジャースと対戦。
前年、1970年の後半戦の時期、オズマが星飛雄馬に「(巨人は)ベロビーチに行くだろう」と言っていた。オズマはそこで飛雄馬との対決を望んでいたのだろうが、オズマは1970年代に戦場での傷がもとでこの世を去り、飛雄馬は大リーグボール3号の投げすぎで左腕を壊し、1970年末に失踪していた。

 

文庫第2巻170ページ「3開幕の章」「いざ!本番突入の巻」では1971年ペナントレース開幕。
実際は、巨人は4月10日と11日(同日2試合)に後楽園で広島と2日3試合で対戦し、巨人は●○○。
『侍ジャイアンツ』では三原監督と中西ヘッドコーチ率いるヤクルトとの対戦(文庫第2巻172ページ)。漫画では場所は後楽園球場。眉月光がヤクルトに入った直後で5番打者。
実際の野球史では、1971年春の巨×ヤの所詮は5月1日から3日まで3連戦で、場所は後楽園で、巨人が連勝。

 

『侍』では巨×ヤの試合と同日の試合として、198ページで阪神と広島の試合が描かれ、ドジャースから移籍したウルフ・チーフが阪神の選手として日本デビュー。
実際は4月23、24、25日に阪神と広島の試合があり、巨人は23日と24日に大洋と対戦している。
5月1日から3日まで巨×ヤと神×広がそれぞれ3連戦で同時進行しているが、すでに開幕戦ではない。阪神と広島の試合の場所も広島市民球場であった。
阪神が広島と甲子園で対戦したのは5月25、26日であった。

 

226ページ「おれはONの用心棒の巻」では後楽園で巨人と阪神の試合。
実際は4月27日と29日に甲子園でおこなわれたのが最初のようだ。
5月11、12、13日に後楽園で巨×神があった。

 

295ページでヤクルト連勝。これは5月31日から6月8日までのヤクルト6連勝か。

 

オールスターは7月17、19、20日。

 

後半戦は10月8日まで。
10月17日、日本シリーズで巨人がV7を決めた。

 

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2011年6/26 6月