『新オバケのQ太郎』と日テレ版『ドラえもん』を幼児期に観た記憶がある。
『忍者ハットリくん』は白黒実写版を観た記憶がかすかにあるだけで、のちにカラーでアニメ化されたときにしっかり観た。

自分が小学校に入ったのは1974年4月だったと思う。それで73年の「こびとロボット」「ネジまいてハッスル」を雑誌で観たことがあるのが不思議だが、とにかくてんとう虫コミックス『ドラえもん』が出たときに小学校生活が始まったと思う。
小学生だったので、家ではある年度は『小四』、ある年度は『小五』だけを購読していたが、小学校に行けば『小一』から『小六』まで読めたし、『ドラえもん』はそのすべてに連載されていた。
1974年には「さようなら、ドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」が雑誌に掲載され、『ドラえもん』の後継作品が考えられていたせいだろうか、『みきおとミキオ』『バケルくん』も始まり、雑誌『こどもの光』で『キテレツ大百科』も始まって、航時機のパラドックスを早いうちに単行本で観た記憶がある。
『新オバケのQ太郎』もてんコミで読んだ。

自分としては『パーマン』はのちに『コロコロコミック』に掲載されてから本格的に読んだ記憶がある。
最初のアニメ化(白黒)の時は生まれてなかったか幼くて記憶になく、カラーでリメイクされた時は小学校を卒業した後だったので、『パーマン』をアニメで見た記憶は余りない。
『ドラえもん』でパーマンが再登場した時も、懐かしい感じはそれほどなかった。

1976年に出た11巻で「ドラえもんは鼠に耳をかじられた」という設定が出た。

『コロコロコミック』ではテレ朝大山ドラえもんの1年目に原作掲載、アニメに関する記事の特集が続き、原作とアニメの比較も記事になり、当時としては最先端技術を使ったタイムマシンの超空間の背景はアニメならではの効果として取り上げられた。また、「帰ってきたドラえもん」や「ラジコン大海戦」などでは、むしろ原作を見て音声を想像するほうが迫力があるという内容だった。

1980年の初めには、てんコミ第11巻のドラえもん誕生秘話(今では常識と化しているが)がアニメ化され、ドラえもんとドラミが同じオイルを燃料として作られた話、ドラえもんが黄色だったのが青くなった設定(のちに黄色いメッキがははがれた設定に)が追加され、アニメで黄色いドラえもんと青いドラえもんが対決する場面が雑誌でも特集された。

そしててんコミ第10巻の「のび太の恐竜」(1975年『少年サンデー』掲載)に後日談が加わり、大長編として『コロコロ』に掲載。投書欄で「のび太を見なおした」という賞賛の声が掲載された。
1980年春、『映画ドラえもん のび太の恐竜』が公開され、東宝映画で恐竜のアニメであったせいか、怪獣映画と同時上映という扱いだった。
自分はこの1980年春に小学校を卒業したのだと思う。

『新・のび太と鉄人兵団』の寺本幸代(~ゆきよ)監督は1976年生まれで『鉄人兵団』公開の年で10歳だったことになり、非常に若い。『コロコロ』創刊当時は1歳だったわけだ。完全に80年代『映画ドラえもん』で育った世代であろう。2月生まれらしいので学齢で言えば1975年度生まれに入る。『鉄人兵団』の漫画が『コロコロ』に掲載されていたときは小4で公開直後に小5になっていたのだろう。「ハリーのしっぽ」ののび太が1985年当時で10歳とするとほぼ同学年または同世代になる。

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2011年6/12 6/13前後