戦国の姫たちの年齢変遷

お大の方(1528~1602)→→家康の母
濃姫(1535~1612)→信長の妻
お市小谷の方、1547~1583)→信長の妹、浅井長政の妻、次に柴田勝家の妻
北政所・高台院(1549~1624)→秀吉の正室、「ねね(寧々)」として有名
お茶々(淀殿淀君、1567or1569~1615)→市の長女、秀吉の側室、秀頼の母
お初の方(常高院、1570?~1633)→市の次女
江姫(崇源院、1573~1626)→市の三女
千姫(1597~1666)→秀忠のむすめ、秀頼(秀吉の息子)の妻

淀殿が1567年生まれであれば、伊達政宗や真田幸村と同世代である。
濃姫は1582年の本能寺の変で薙刀を使って闘って倒れたように描かれたこともあるが、どうも江戸時代初期まで生きたらしい。
お大の方は明智光秀と「同い年」だった。光秀は1582年の本能寺の変のあと、山崎の戦いで敗れて没した。お大は関ヶ原の戦いのあとも生きていたが、江戸幕府の成立を見ることなく没した。
千姫は秀吉の義理の孫むすめで、家康の孫むすめであり、市の孫むすめでもある。

茶々、初の生まれた年について説が分かれていたり、はっきりしない部分があるようだが、『江~姫たちの戦国~』では市が1568年(永禄11年)に浅井長政に嫁ぎ、1569年茶々誕生、1670年お初誕生(永禄13→元亀元年)としている。

『将軍家光忍び旅』で家光が江戸と京都を往復したのは1634年。このとき、春日局と千姫は健在だったが、江と初はすでに故人となっていたことがわかる。

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2011年1/5 1/7

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