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「ママのダイヤを盗み出せ」の原作は1973年『小六』7月号掲載で、この作品ののび太は1961年8月7日生まれ。松田聖子は1962年3月10日生まれで、1歳「年下」だが、同学年の誕生日は1961年4月2日から1962年4月1日までなので、1961年8月生まれののび太と「同学年」になる(のび太と同級生のスネ夫は1962年2月生まれ)。2007年のアニメでこの松田聖子が登場したのは奇遇である。

「ママのダイヤを盗み出せ」が収録されているてんコミ第7巻は1975年に出ており、2007年のアニメの玉子が1982年で7歳とすると1975年生まれ(82年で6歳から7歳に)または1歳上の1974年生まれ(82年で7歳から8歳に)であり、アニメの玉子が原作の単行本發賣年に生まれたといのも奇遇である。

赤いスイートピー」が出た1982年で玉子が7歳とすると1975年生まれ。ただ、1982年で8歳で、サイン会のときは誕生日前だったとすると、玉子は1974年生まれになる。

「赤いスイートピー」が發賣されたのは1982年1月で、松田聖子は82年3月に20歳になっていたので、發賣当時まだ19歳であった。アニメではこの曲が流れるサイン会場に7歳の玉子と推定11歳ののび太が来ており、のび太は2007年夏の時代からタイムマシンでやってきた。のび太が2007年8月17日で小5とすると1996年生まれ。こののび太は1982年当時は当然、生まれていなかったわけで、生まれる14年前の時代だったわけだ。
しかし、1982年当時、タイムマシンで来たわけではない小学生ののび太が別に存在した。
「竜宮城の八日間」では1982年当時でのび太が小学生であり、単行本と文庫の設定から1982年度で小4とすれば「赤いスイートピー」が出たときは小3の冬休みだったことになる。
この場合、のび太は1972年生まれとなる。松田聖子より10歳下、11学年後輩である。

ちなみに、松田聖子の「赤いスイートピー」は日野美歌の「氷雨」と同時期のヒット曲であった。
日野美歌は1962年12月生まれなので、松田聖子より1学年後輩で、『ドラえもん』の「ぼくの生まれた日」の雑誌掲載当時ののび太と同学年だ。
この学年のジャイアンは1962年6月生まれ。1975年3月に小学校を卒業、その直前に空き地でツチノコを見つけた。これは1975年『小六』3月号掲載当時で、てんコミ収録版では1976年に見つけたことになっている。したがって、てんコミでツチノコを見つけたジャイアンとその同級生ののび太はもっと「年下」(1963年以降の生まれ)である。

ちなみに「赤いスイートピー」は1982年1月に出た曲で、前年1981年10月に出た「風立ちぬ」の次が「赤いスイートピー」だった。「赤いスイートピー」の後、82年4月に「渚のバルコニー」、7月には「小麦色のマーメイド」が出ていた。
シングルのジャケット写真から判断すると、松田聖子の髪型がいわゆる「聖子ちゃんカット」だったのは「風立ちぬ」までで、「赤いスイートピー」~「小麦色のマーメイド」を経て82年10月の「野ばらのエチュード」辺りになると、普通のショートカットになっていた。
「赤いスイートピー」が出た後の夏のサイン会で松田聖子の髪型が「聖子ちゃんカット」だったというのは、時代考証の上で少し苦しい。
アイドル シングルジャケット シリーズ 松田聖子編(1st~14th)

なお、1982年は原作『ドラえもん』の「竜宮城の八日間」において、のび太たちの小学生時代であった。これは2014年8月放送のアニメでは「2014年」に変更されている。
2012年の映画『のび太と奇跡の島』ではのび太の父・のび助の少年時代が1982年であった。


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2010年9月 9/3