浦辺粂子(1902~1989)は1910年と1986年の二度の接近のときに生きていたらしい。

二度のハレー彗星接近のときにいずれも生きていた人物は、著名人ではなかなかいない。

松平定信(1758~1829)は赤ん坊のときにハレー彗星接近を迎え、次の接近から6年前に没している。
葛飾北斎(1760~1849)は享年90歳の長寿だったが、生まれたのはハレー彗星が接近した1759年の翌年。
彼が存命中のハレー彗星接近は1835年における一度だけである。
もし、北斎があと2年早く生まれていたら、二度のハレー彗星接近の時期に生きていた有名人になっていたはずだ。

福沢諭吉(=福澤~)は1835年のハレー彗星接近の年には生まれていただろうが、次の接近を待たずに1901年に没し、1910年の接近時にはすでに諭吉の10回忌であった。慶喜は1910年にはまだ生きていはいたが、1835年当時はまだ生まれていなかった。

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2010年1/4