双子、出生の秘密、瓜二つ、再会I 

双子が別々の家で離れて育ち、成長してから再会という話は多くの物語で採用されている。

『野球狂の詩・北の狼 南の虎』では、北海道の加代という女性の息子二人、一郎と二郎という双子の兄弟が父親(加代の夫)没後1箇月で捨て子となった。
兄・一郎は火浦健となって東京メッツに入団(1973年師走)、弟・二郎は九州で王島大介として73年秋のドラフトで阪神に入団。
1974年のシーズンでルーキー対決(西暦は推定)。
火浦はメッツをセ・リーグ優勝に導き、日本シリーズでロッテと対戦した。
この兄弟の場合、戸籍はどうなっていたのか。また、高校入学やプロ入団で経歴が明らかにならなかったのか、気になる。

また、別の箇所で書いているように、この兄弟の経歴には謎がある。

火浦健は1971年(昭和46年)の2月まで北海道の白大雪高校に在学しており、入学は1970年(昭和45年)4月かそれ以前。70年4月入学とすると、退学しなければ73年3月には高校を卒業していたはず。
一方、双子の弟・王島大介は阿蘇高校代表として、おそらく高校3年夏の甲子園で優勝。その年秋のドラフトで阪神から1位指名され、12月に背番号10の阪神のユニフォームを着て大阪に行き、入団している。

火浦と王島の1年目はパ・リーグの優勝球団がロッテだったことや、73年秋のドラフトでメッツに入った唐部と丘がすでにメッツにいたことから74年のシーズン。逆算すると王島大介の高校最終学年は73年4月から74年3月まで。これでは火浦と王島の高校入学は71年4月になり、71年2月当時まだ中学3年の3学期ということになる。これでは王島大介が高校受験で一浪したか、在学中に留年したということでもない限り、火浦健が71年2月ごろに野球部を退部(直後、事実上の退学)ことと合わない。
└→野球狂の詩
└→『野球狂の詩』で描く西暦1973年のドラフト

『北斗の拳』ではリンという少女の双子の姉が天帝となり、しかし、天帝の名を利用した者によって地下に幽閉されていた。リンとバットは反体制運動の指導者として、帝都を支配する組織から賞金つきで指名手配され、似顔絵も貼り出されていたが、天帝と瓜二つの少女の命を狙うということに、天帝周辺では誰も疑問に想わなかったのだろうか。
その後、リンが誘拐され、ケンシロウはリンを追って修羅の国に行くが、そこがケンの生まれ故郷と判明。ヒョウはケンの兄で、カイオウはラオウとトキの兄(カイオウの妹・サヤカもラオウたちの妹か)。そして北斗神拳と北斗琉拳の創始者2名はおよそ2000年前の姉妹から生まれた從兄弟であった。

この作品では、初めは拳法の傳承者が「実力」によって決められるはずだったが、話が進むにつれて「血統」による「運命」に移ってゆき、ユリアが南斗六聖拳の将になったのも幼いころから決まっていたことになった。また、元斗皇拳のファルコが修羅の国で死んだとき、その直前にケンはファルコの子供が元斗皇拳を受け継ぐようなことを言っており、そのケンもラオウの子・リュウに対し「かなしみを知る心」と「ラオウの血」があれば充分という理由で、自分からはリュウに北斗神拳の技も秘孔も教えずにリュウのもとから去っていった。
└→北斗の拳拳法の里【地理】

『リングにかけろ』の剣崎順と影道総裁・殉は二語の兄弟だが、2人そろって名前が「ジュン」では混乱するのではなかろうか。

『魁!男塾』では男塾死天王の一人・卍丸(まんじまる)を苦しめたジェミニという戦士が双子で、最初は一人が現れ、分身の術でもう一人が参加した。卍丸は苦戦したが、戦いの中で手刀でジェミニの頬に傷をつけ、分身の中にその傷のない者がまぎれていることから双子だと見抜いた。

『スケバン刑事III』に登場した少女・翔は主人公・風間唯の双子の妹だったが、翔は成長を10歳の段階で止められていた。

なお、英国で双子の男女(兄妹または姉弟)が互いに双子だと知らずに結婚し、あとで婚姻が無効になるというドラマのような話があった。
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2009年6/21


参照
その他(2009年6月~7月)