誰であれ、「日本の軍国主義」を批判する場合、それは「日本」が悪いのか、「軍国主義」が悪いのか、区別する必要がある。
もし、日本人が世界でも例がないほど軍国主義におちいりやすいなら、日本という国をこの世からなくして、ネパールが王制を捨てたように日本も天皇制を廃止し、日本列島を他の国の一部に併合するのが一番いいし、それ以外に方法はない。
平成の大合併と同じである。
一方、もし、「軍国主義」が悪いのなら、「中国の軍国主義」も悪いし、「ロシアの軍国主義」も悪いし、「イギリスの軍国主義」も「朝鮮、韓国の軍国主義」も悪いことになるから、世界中で軍国主義を作らない努力をすべきであろう。

中国人の歴史観の問題点は、「中国は悪くない」、「日本が悪い」、「日本人がこういうことをした」というように国家や国民を単位にして考えていることである。「中国人」や「日本人」は頭の中だけの作り物であり、戦争をするのは個人である。むかし、日本人が敵だったから今の別の日本人を憎むという考えが中国人の間が主流であるようでは、日本での中国人の犯罪によって全ての中国人が批判されても仕方がない。
60年前の犯罪者が今の遼寧省の人間だからといって、今の遼寧人を全て同類に扱うのは間違いである。

例えば、秦が他の六国を「侵略」した戦争、『三国志』にある魏、呉、蜀の「侵略」戦争など、中国の地域同士で戦争の加害者、被害者となった歴史がある。始皇帝没後ならともなく、今、「趙」の人が「秦」の人を恨むだろうか。そんな人がいたら、よほど、視野の狭い人である。

「国」というのはたかが制度にすぎない。

戦争への反省が「どこの国が悪い」、「この国が被害者」、「この国が加害者」というように「国」単位でおこなわれているのでは、進歩がない。
中国が日本軍から空爆を受けたとしても、それは「日本が悪い」のでなく「戦争が悪い」というように見なすべきで、中国を含めた世界各国が戦争をしていた状況、義和団のような暴徒がいた状況では中国が日本以外の別の国から空爆されても不思議ではなかったというように、自分や相手の国籍を問わず、地球人同士として国際情勢の中で戦争を「反省」すべきだろう。

すると、「日本人の歴史観」、「中国人の歴史観」というのも幻想であり、結局、国籍が「日本」だったり「中国」だったりする地球人の十人十色の歴史観があるだけである。
本来、歴史認識は個人によって違うし、同じ個人でも一生の間に変わるものである。

そして、「左翼」も「右翼」も「軍国主義」もことばだけで、実態は存在しない。
野球の外野や鳥、飛行機の「左翼」、「右翼」は例外である。

中国人は何かと「右翼分子」という詞(ことば)を使うが、そんなものは詞だけで、存在しない。
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もし、中国人が日本人と同じ国民性を持っていたら、まず、日中戦争の犠牲に関しては、相手国・日本を恨む気持ちは忘れ、日本軍から自国民を守らなかった中国軍と中国政府の責任を強調し、中国の市民団体が中国政府を相手に裁判を起こしていただろう。
また、今回の四川省地震では、中国人は日本に感謝するとともに、最初に日本の部隊の受け入れを拒否して救助を遅らせた自国政府の責任を問うであろう。そして、こんなに親切な日本に自国を攻撃させる口実を作った旧中国軍部の暴走を反省するのが歴史学習になっていたはずだ。

また、もし、日本人が中国人と同じ国民性を持っていたら、中国、ロシア、アメリカを「侵略者」として批判し、これらの国の歴史教科書に干渉し続けていただろう。
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ガイドブックか何かで「中国人と会話するときの注意」として「文革など、中国の体制を批判することは、中国人にはなかなかできない。とくに知識人ならなおさら」とあって、疑問に想った。日本では知識人なら、一番、自国の政府に対して批判的であるのが誇りなのだ。中国ではそうではないのかね。中国の学者は政府のスポークスマン、俗に言う「御用学者」なのかね。

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2009年3/18